文部科学省科学研究費補助金・特定領域研究:"資源の分配と共有に関する人類学的統合領域の構築-象徴系と生態系の連関をとおして-"

 

■総括班主催
  『欲望と資源』ワークショップ(03/11/15)(PDF.95kb)
  『資源と人間』ワークショップ(04/02/22)
  『資源と人間』ワークショップII(05/03/07-08)
  『資源と人間』ワークショップ3(06/03/06-07)
  『資源と人間』ワークショップ4(07/02/19-20)
   理論研究会(05/06/25)
   理論研究会(05/07/30)
   理論研究会(05/10/29)
   理論研究会(05/11/19)
   理論研究会(06/01/28)

■A01文化資源(山下)班
   第1回研究会(02/11/10)
   第2回研究会(03/01/11)
   第3回研究会(03/02/22)
   第4回研究会(03/05/31)
   第5回研究会(03/07/19-20)
   第6回研究会(03/10/11)
   第7回研究会(04/01/10)
   第8回研究会(04/02/07)
   第9回研究会(04/02/21-22)
   第10回研究会(04/06/04、06)
   第11回研究会(04/06/11)

■A02知識資源(ダニエルス)班
  2002年度第1回研究会(02/10/18)
(PFD.54kb)
  2002年度第2回研究会(02/11/27)
  2003年度第2回研究会(03/07/05)
  2003年度第3回研究会(03/09/05)
  2003年度第4回研究会(04/01/25)
  2004年度第1回研究会(04/07/17)
  2004年度第2回研究会(04/09/18)
  2005年度第1回研究会(05/07/18)
  2006年度第1回研究会(06/07/22)

■A03小生産物(小川)班
  2002年度第1回研究会(02/12/05)
  2002年度第2回研究会(03/01/27)
  2003年度第1回研究会(03/04/12)
  2003年度第2回研究会(03/06/07)
  2003年度第3回研究会(03/07/12)
  2003年度第4回研究会(03/09/11)
  2003年度第5回研究会(03/12/06)
  2003年度第6回研究会(04/02/20-21)
  2004年度第1回研究会(04/06/26)
  2004年度第2回研究会(04/07/04)
  2004年度第3回研究会(04/11/27)
  2004年度第4回研究会(05/02/19)
  2005年度第1回研究会(05/07/23)
  2005年度第2回研究会(05/10/22)
  2005年度第3回研究会(05/11/26)
  2005年度第4回研究会(06/02/05)
  2006年度第1回研究会(06/05/13)
  2006年度第4回研究会(06/12/02)

■A04貨幣資源(春日)班
  2002年度第1回研究会(02/11/18)
  2002年度第2回研究会(03/02/01)
  2003年度第1回研究会(03/06/16)
  2003年度第2回研究会(03/07/19)
  2003年度第3回研究会(03/10/20)
  2003年度第4回研究会(03/10/25)
  2003年度第5回研究会(03/11/22)
  2003年度第7回研究会(04/02/02)
  2003年度第8回研究会(04/02/17)
  2004年度第1回研究会(04/06/26)
  2004年度第2回研究会(04/10/16)
  2004年度第3回研究会(04/12/06)
  2004年度第4回研究会(04/12/18)
  2005年度第1回研究会(05/06/11)
  2005年度第2回研究会(05/06/27)
  2005年度第3回研究会(05/11/12)

■B03生態資源(印東)班
  2003年度第1回研究会(03/06/13)
  2003年度第2回研究会(03/12/18)
  2004年度第1回研究会(04/06/26)
  2004年度第1回国際シンポジウム(04/07/08)
  2004年度第2回国際シンポジウム(05/03/05)
  2005年度第1回研究会(05/11/12)

■B04身体資源(菅原)班
  第1回:2002年11月30日 (平成14年度第1回)
  第2回:2003年 1月11日 (平成14年度第2回)
  第3回:2003年 6月21日 (平成15年度第1回)
  第4回:2003年10月27日 (平成15年度第2回)
  第5回:2003年12月 6日 (平成15年度第3回)
  第6回:2004年 1月24日 (平成15年度第4回)
  国際ワークショップ(2004年9月27-29日)


総括班主催『資源と人間』ワークショップ4(07/02/19-20)
資源の探求と放棄に伴う認識の転換
―鍛冶屋にとっての資源と非資源についての事例から―
齋藤貴之(北海道大学)

 本発表の目的は、鍛冶屋を事例として取り上げ、資源の探求と放棄に伴う資源から非資源、非資源から資源へという認識の転換について検討することで、資源とその認識について考察することである。
  鍛冶屋は、欠乏や枯渇、状況の変化に伴う有用性の喪失、あるいは、新たな資源の出現や有用性の発見などによって、従来の資源を放棄し、また、探求によって、これまで資源ではなかったものを資源として認識するようになるというように、ある資源に対する認識を変化させてきた。また、特定の鍛冶屋によってのみ資源として認識されるものが鍛冶屋全般によって資源として認識されているものになるというように、資源としての認識の程度も変化させてきた。これらのことから、資源と非資源との境界は非常に曖昧なものであり、その認識はその探求と放棄によって変化することを明らかにするとともに、こうした鍛冶屋の資源とその認識は一般社会にも適合できることを提示する。

【↑】

総括班主催『資源と人間』ワークショップ4(07/02/19-20)
浮遊する/空虚なアスワン
―フィリピン・カピス州における妖術師の観光資源化から
東賢太朗(宮崎公立大学)

 アスワンとは、フィリピンの妖術師的な存在である。スペイン植民地時代から現在にいたるまで、アスワンは非カトリック的な在来信仰であるとみなされ、ときに反社会的な存在として、ときにフィリピンの基層文化や国民文化として語られてきた。また日常生活においては、アスワンであるという嫌疑が共同体内の特定の人物を排除するラベリングとして機能する様子がみられる。さらに、近年では映画やテレビ番組、新聞といった国家レベルのメディアの中でアスワンが頻繁に取り上げられ、また舞台や戯曲、絵画、小説など芸術のモチーフとしてもよく用いられている。
  本発表では、そのように過剰な意味内容を表すシニフィアンとしてのアスワンが、ある特定の地域の観光経済にダメージを与えるスティグマとなっている状況を提示する。その上で、「アスワンの故郷」という外部からの他者表象に対して、「海産物の首都」という対抗的表象と「アスワン・フェスティバル」という流用的表象が同時に生成するプロセスを、特に象徴の観光資源化という観点から考察する。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ4(07/02/19-20)
『振る舞い』が現金になるとき
―パプアニューギニア・クルティ社会におけるパラ・ソウエ儀礼の分析―
馬場淳(東京都立大学)

 南西太平洋パプアニューギニアのクルティ社会には、結婚生活の中で妻とその家族が行ってきた一つ一つの「振る舞い」に対して、夫方親族が金銭の形で「報酬」を与えていく儀礼が存在する。本発表は、パラ・ソウエ(pala soue)と呼ばれるこの儀礼の経験的位相を明らかにし、「振る舞い」が現金獲得の資源となっていく構造とプロセスを検討する。パラ・ソウエ儀礼は、婚資の支払いなど婚姻をめぐる儀礼に付随して行われるものだが、独特の様式と構造をもつ別個の出来事としてみなされており、普段は「自明」なものとしての「振る舞い」が再帰的に捉え返される特殊なモーメントとして注目に値する。その際、「振る舞い」の資源化が与え手の主体性に大きく依存しているという点は強調してもしすぎることはない。というのも、与え手は(受け手との)過去の無数の相互行為のうち、いくつかの「振る舞い」を想起し、あるいは「発掘」し、選別し、パラ・ソウエとして取り上げるからである。つまり「振る舞い」をした本人(受け手)ではなく、この与え手の概念化を通じてはじめて、その「振る舞い」が資源となるわけである。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ4(07/02/19-20)
資源と担い手の相互構成
―タイにおける農業機械技術の発展と機械工集団の形成―
森田敦郎(東京大学)

 モノが資源となるためには、それを利用する人間が必要である。たとえば、途上国に輸入されたトラクターは、それを整備するできる機械工がいなければ維持することができずスクラップになってしまう。そのため技術移転は、資源となるモノとそれを利用する行為者がともに生み出されていく生成的な過程とみなすことができる。
 本発表では、タイにおける農業機械技術の発展を取り上げて、このような機械と機械工集団の相互構成の過程を考察する。ここでは東北タイ最大の都市であるコラート市の農業機械工場群で行われる実践と、そこに見られる機械工、機械、部品、工作機械、農民、土壌、雑草といった異種混交的な要素の結びつきに焦点を当てて、機械が変形され新たに生み出されるプロセスを記述していく。さらに、この実践の分析を通して、輸入された農業機械を動かし続けようとする技術的実践が、機械工たちの間にある種の社会性を生成したことを明らかにする。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ4 (07/02/19-20)
パプアニューギニア・トーライ社会における貝貨の数え方と払い方
― 資源としての単位/単位による資源化 ―
深田淳太郎(一橋大学)

 単位とは「量を測定するための基準として用いる一定の量」である。つまり、モノを数量的に把握(=資源化)するための概念・道具であり、またそれと同時にある具体的な量でありモノ(=資源)である。
  本発表では、パプアニューギニア・トーライ社会において用いられているタブと呼ばれる貝殻の貨幣を、単位という切り口から眺めてみたい。特に注目するのは、人々がタブを数えたり、あるいはモノの売買において支払ったりする際のタブの物質としてのまとまり(=単位)のあり方である。バラバラの貝殻であったり、あるいは長短の数珠状であったりと、タブの物質的なまとまりには複数の種類が存在する。ある種のまとまりはそれ自体がモノを獲得するための貨幣資源となり、また別の種のまとまりは権威を表す象徴資源となる。また、さまざまなモノをトーライ社会の価値秩序に位置づけ資源化する際の基準となるまとまりも存在する。これらの多種多様なまとまりが、タブというひとつの貨幣システムの内部に同時に存在していることがどのような意味を持つのかを考察する。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ4(07/02/19-20)
資源としての系譜
―ボツワナの再定住地におけるサンの社会関係の再編―
丸山淳子(京都大学)

 近年、南部アフリカの狩猟採集民として知られるサンは、各地で進行する移住(再定住)政策のもと、伝統的な生活域から開発計画の拠点へと移住し、生業基盤を狩猟採集から賃金労働へとの移行させつつある。ボツワナ共和国では今日までに、64の再定住地が設けられ、国内のサンの約8割が移住した。再定住地には、それまで小規模な集団に分散して生活していたサンが、数百人から千人も集住した。本発表では、セントラル・カラハリ地域で生活してきたグイ/ガナ語を話すサンを対象に、このような集住状況のなかで、彼らがいかに社会関係を再編しているかを検討する。セントラル・カラハリ地域では、遅くとも19世紀末には、グイ/ガナとバントゥ系のバカラハリとのあいだの通婚が始まったが、その子孫の多くは、他のグイ/ガナと同様に、近年まで「伝統的な狩猟採集民」の生活をおくってきたといわれている。しかし、今日、再定住地では、このバカラハリとの系譜関係の有無が、様々な場面で重要な要素として言及されていることがわかった。本発表ではこの点に注目して、かつてない集住状況において、グイ/ガナのあいだで、系譜をもとにどのような差異化が進んでいるのかを論じたい。

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小生産物(小川)班2006年度第4回研究会(06/12/02)
スワヒリ海岸キルワ島の干物考
-「腐る価値」とのつきあい方-
中村亮(名古屋大学大学院文学研究科) 

漁撈民は,捕獲量の予測がつかず,すぐに腐ってしまうという扱いにくい海産物を相手に生きている。アフリカの沿岸で小規模な漁撈を行う多くの漁撈民がもつ問題点は以下の二点であると考える。
①網元や漁業組合など,生活を援助してくれる組織がない点:(漁師の生活保障に関わる問題)
②冷蔵設備を持たない点:(海産物の保存と蓄積に関わる問題)
漁撈民はどのようにこれらの問題を克服しているのであろうか。この問題について,本発表では,スワヒリ海岸南部に浮かぶ人口1000人足らずの小島,キルワ島の「干物」の事例より考えてみた。
結論から言うと,キルワ島の漁師は鮮魚を干物(乾燥魚,塩干魚とエイの塩漬け)に加工し,うまく「腐らせる(発酵させる)」ことによって海産物がもつ保存と蓄積の問題に対処している。また,キルワ島の刺網漁師が干物商人と結ぶ「主人-専属漁師tajiri-mvuvi関係」の取引慣行である「信用取引mali kauri」によって,海産物が腐る前に迅速に売りさばいている。このように①うまく「腐らせる」ことと②「腐る」前に売るという海社会独特の「腐る価値」とのつきあい方によってキルワ島の漁師は,海産物の保存と蓄積に関わる問題に対処している。
また,漁師の生活保障に関わる問題は,イスラームという共通の価値観をもつ漁師と干物商人との間に結ばれる「tajiri-mvuvi関係」によって解決されている。「tajiri-mvuvi関係」とは漁師と干物商人の双方に利益のある関係であり,「信用取引」(遅延的な交換)によって長期継続することを前提とした人間関係である。この関係においては敬虔なムスリムであることが生み出す「信用amin」が大切である。網元や組合のないキルワ島において漁師は,個人的に干物商人と,双方に利益のある長期的な人間関係を結ぶことによって,不確定要素の多い海の暮らしの生活保障としているのである。
大型エビやナマコ,フカヒレ,カニのように近年キルワ島に導入された交易活動とは違い,干物にまつわる活動には「腐る価値」である海産物をあつかう際の知恵と技術,取引慣行が見てとれる。このような干物交易は,国家経済の観点からは決して数字として現れてくることのない小規模なものである。しかし,小生産物をあつかった地域経済活動といえども,干物交易は海と陸との生態学的条件の違いを相互補完し,かつ,広範囲におよぶ人間関係を形成しているという重要な役割を果たしている。

小生産物(小川)班2006年度第4回研究会(06/12/02)
現代モンゴル牧畜地域における銀と鍛冶師
-潜在的商品としての銀と銀製品-
風戸真理 (京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)

本発表は、今日のモンゴル遊牧民が、財産として家畜のほかに銀製品を重用していることに着目し、銀製品の生産と流通のあり方を検討することにより、銀製品がモンゴル遊牧民にとってどのような資源となっているのかを考察することを目的とする。 モンゴルの銀製品には、馬具装飾、装身具、茶碗があり、これらは父母両系の先祖伝来の財として継承されてきた。小さな装身具は子どもの数に応じて分割・合体して再形成して相続された。人びとは、銀製品をその歴史性ゆえに大切にしてきた。また貴金属による装身は、健康や運勢と関係をもつとも考えられている。つまり銀製品はモンゴルの文化に埋め込まれた多義的なモノなのである。一方で、銀と銀製品は財として周辺的な位置を占める。すなわち、銀は家畜と異なりそれ自身で殖えることはなく、原則として投機的に利用されるものでもない。また牧畜地域では外部からの原料・製品供給は多くなく、銀製品の生産は周辺的な産業である。資産価値の観点からも、金と比べて銀は、国際・国内価格ともに低い。 だが、牧民のライフサイクルのなかでは、個人が所有している銀製品を相続のために再形成・分割・合体することは不可欠であり、金銀鍛冶師はこの仕事を引き受けている。鍛冶師は、基本的に1人で遊牧地域を巡回して労働をおこない、職人としての集団を形成しない。ただし、技能の伝達および鋳型の入手を目的とした非対称な2者関係を基盤としたゆるやかなネットワークがみられた。 最後に、銀という小生産物がモンゴル遊牧民にとってどのような資源となっているのかをまとめる。第一に、銀は身を飾りその人の社会的・経済的な位置を表示すほか、家族の歴史的な記憶の手がかりとなる。これは文化内での価値である。第二に、貯蓄財として機能する。第三に、ふだんは家畜に依存して生活している人びとが、危機などの特別な機会に、これを外部との交換資源として利用する。


知識資源(ダニエルス)班 ・小生産物(小川)班合同研究会(06/07/22)
知識資源としての手話
亀井伸孝 (関西学院大学社会学研究科 COE特任助教授)

キーワード:手話言語、知識資源、ろう者、西・中部アフリカ、潜在能力

 本発表は、「ろう者の手話は知識資源である」という命題を具体例とともに示すことを目的とする。
  一般に、資源とは「何らかの機能をもつ単位(モノやヒト)を構成する要素」と定義することができるだろう。たとえば、天然資源は採掘・加工技術と結合することで機能を持つモノとなり、知識や情報はヒトと結合することで機能するヒト(人材)を生む。潜在能力が機能から定義されてきたことを考えても(Sen)、知識とヒトの結合およびそれが生む機能に注目する知識資源の人類学は、開発・教育・言語政策などの実践的諸領域と密接な関わりをもつだろう。
  世界各地のろう者の集まりが、手話という視覚的な諸言語を話している。ろう者たちの間で生まれ、その世代をこえて伝承と伝播をくり返してきた手話は、多様性に富んだ言語世界を形作っており、世界には少なくとも119の異なる手話言語が分布しているとされる(Ethnologue)。
  これらろう者の手話が知識資源であることを明らかに示す事例として、私は西・中部アフリカにおけるろう者コミュニティの形成史を紹介したい。この地域でろう者たちが手話で営んでいた世界最大級のろう教育事業において、手話は増殖し、共有され、複雑化をとげ、多くの人材を生み出す、文字通りの資源として流通した。
  手話言語の一部は今や科学技術の分野にも進出し、音声に媒介されない知識の伝達回路を形成している。今もなお、耳が聞こえない子どもが手話を獲得、使用することに対して否定的な意見が見られることがあるが、それはこれら知識資源の有効活用をさまたげることにほかならない。
  耳が聞こえない身体が手話と出会い、手話言語集団の一員となって知識資源と結びついた時、それに関わるさまざまな機能と自由をおびた身体となる。このことを人類学は正しく評価し、その知見を実践諸領域に還元する必要があるだろう。おしゃべりをやめることができない人類の幸福追求は、やはり自由闊達な言語使用を通して達せられるにちがいないのである。

Title: Sign Languages as Knowledge Resources
KAMEI Nobutaka (COE Associate Professor, Kwansei Gakuin University)
Keywords: sign language; knowledge resources; the Deaf; West and Central Africa; capabilities


小生産物(小川)班2006年度第1回研究会(06/05/13)
土器をつくってやりとりすること:
エチオピア西南部アリ女性職人の生計活動と社会関係
金子守恵
(京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科)

 エチオピア西南部に暮らすアリの人びとは、職人による土器のつくり方のちがいを強く意識している。一般的には丈夫で長持ちする土器を肯定的に評価して手に入れようとするが、誰にとっても共通に「よい土器」はないという。その評価の内容は、職人のつくり方と利用者のつかい方の組み合わせに応じて様々に異なる。つまり、つくり手とつかい手の一対一の関係に応じて土器は資源化されるといえる。発表では、土器が職人と利用者の間で直接やりとりされる定期市の場面と、それ以外の事例を検討し、その特徴をあきらかにすることをめざした。
  アリの人びとが暮らす地域(約3,000平方キロメートル)では、30以上の村において、週に2回定期市が開催されている。1950年頃以前は、農民が土器職人の家まで出むいて食糧と土器を交換していたが、1950年頃以後には、食料、工業製品、換金作物などと同様に土器が定期市で売買されるようになったという。この定期市には土器の仲買人はおらず、職人と客が直接交渉して、現金や食材を介して土器のやりとりをおこなっている。
  土器の値段にはかたちや大きさに応じた相場があるが、じっさいの売買の場面では丈夫で長持ちする土器をつくると客から評判になった職人のものが高値でやりとりされることがよくある。客と特定の職人とのあいだには土器のやりとりに関して、アリ語でジャアラと呼ばれる盟友関係的な関わりが結ばれることがある。この関係がいったんむすばれると、土器と食糧や現金の交換は即時的にはおこなわれなくなる。さらにこの関係は、土器のやりとりだけにとどまらず、職人や農民といった社会集団の垣根をこえて擬制親族的なむすびつきをもったり、頼母子講などの経済的な活動をともにおこなったりするようになる。
  職人と客との土器を介したやりとりは、定期市でのその場限りの関係にとどまらず、長期的な時間のながれのなかで、土器、現金・食料、そして、つくり手とつかい手の継続的な関係をもやりとりの要素のなかに組み入れながら展開している。

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総括班主催『資源と人間』ワークショップ3(06/03/06-07)
交差する資源
―オーストラリア観光都市における先住民と非先住民の資源の交差
飯嶋 秀治(熊本学園大学)

西欧出自の翻訳語としての「資源」は、1970年代後半から地球人口の「扶養力」を下回り、「資本」が稼動する上でいかに「資源」を取り扱うのかが、資源問題構築の文脈である。人類学はローカルなフィールドからこうしたグローバル問題に正面切って何が言えるか。発表者のフィールドは、オーストラリア中央砂漠地帯唯一の都市、英名アリス・スプリングス、アランタ名アプマラ・ムバントゥアであり、先住民の比率が約15%の観光都市である。この都市の二重の名前に表象されるように、ここでは二重の歴史が都市を形成してきた。非先住民が、土地の命名や諸装置の配置、都市計画等で砂漠環境を飼い慣らすほど、先住民はその都市環境をこそ飼い慣らす、機関形成や居住空間の調整で、自らの生活世界を開いてきた。そこには両者に開かれた物理環境が資源になるのみならず、相互の誤解や理解が資源になる交差状況があり、この報告から「資本」の現状を照らし出そうと思う。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ3(06/03/06-07)
環境問題の政治資源化
―「生態移民」現象にみる中国の国民統合
シンジルト(日本学術振興会)

本報告は、[1]中国における「生態移民shengtai yimin(ecological migration)」現象を概観、[2]当現象と国民統合理念との関わりを整理、[3]環境問題が政治資源と化されていく有り様を確認するものである。
[1]中国の環境問題は長い歴史をもつ。中国史は、中原から周囲への移民排出/流出の歴史と言える。農耕に適しない西部乾燥地域では、中原移民やその生業の悪影響が、砂漠化の進行という形をとり、顕著にみられる。今中国は西部の生態環境を救うために人間活動を規制するという環境保全対策に乗り出した。規制される人間活動は、主に先住民の生業活動である。彼らはこれまでの生業形態を放棄し、都市への移住を余儀なくされた。その存在が「生態移民」と呼ばれ、数は凡そ1千万人に達する。
[2]西部地域は、諸先住民族の根拠地であり、天然資源の宝庫とされる。政治安定と経済発展を求める現代中国にとり、西部は国民統合の重要な対象となる。中国はこれまで理論・政治・文化といった資源を動員し国民統合を図ったが、いずれの試みも成功したとは言い難い。経済改革以降は東西格差の拡大、西部の生態環境の悪化が際立った。そこで現れたのは「西部大開発」戦略であり、環境問題の解決策とされる生態移民事業がその柱のひとつとなった。
[3]生態移民の有効性をめぐる研究者の議論もある。肯定的な立場をとる論者は、西部の遅れた生業形態(牧畜)を廃し、定住化や都市化の促進こそ進歩であり環境保全の為になるのだと力説する。懐疑的な論者は、中原移民による人口圧や農地の拡大が環境破壊の主因であると認め、生態移民事業の科学的根拠を疑問視する。他方、移住を促される先住民の人々は、自分たちの生活様式がいかに自然に無害であるかを表現し、環境破壊の原因が自分たちと異なる考え方を持ち込んだ中原移民にあることを仄めかす。こうした指摘の信憑性は、質的・計量的な研究データによって傍証された。
以上から確認できるのは、環境保全との整合性の有無とは別に、生態移民事業が展開している事実である。この事実は、生態移民現象を「環境問題の解決」として額面通りに理解することの不十分さを思い知らせる。現在、国の内外を問わず生態や環境を保護せよとの主張は、普遍的正義となった。他方、国家は同時に自国民を統合するという切実な課題も抱える。中国にとってこれまでの統合の試みが挫折の連続だったとしたら、今度環境問題への注目こそ統合達成のための貴重な「資源」となる。「資源化」は主体が対象に価値を見出す過程だとすれば、政治主体である国家が国民統合のため、特定(環境)問題を解決する行為に、それが本来もつ価値以上の価値を見出していく過程を「政治資源化」と視ることができる。この視点で、中国の生態移民現象を理解することができよう。

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総括班主催『資源と人間』ワークショップ3(06/03/06-07)
知識資源としての手話言語
亀井伸孝(関西学院大学)

 世界各地のろう者の集まりが、手話という視覚的な諸言語を話している。ろう者たちの間で生まれ、その世代をこえて伝承と伝播をくり返してきた手話言語は、いまや科学技術の分野にも進出し、「もうひとつの言語文明」とも言うべき知識の諸体系をなしている。その歴史と現状を知ることは、人類の知識資源としての言語のイメージに新たなページを加えることになるだろう。「ろう者の手話は知識資源である」ことを示す事例として、私は西・中部アフリカにおけるろう者コミュニティの形成史を紹介したい。この地域でろう者たちが手話で営んでいた世界最大級のろう教育事業において、手話は増殖し、共有され、かつ複雑化をとげていく、文字通りの資源として機能した。今日、いまだにろう者が手話を獲得、使用することに否定的な意見も見られるが、それは経済的な観点で見ても、これら知識資源の有効活用をさまたげることにほかならない。おしゃべりをやめられない人類の幸福追求は、やはり自由闊達な言語使用を通して達せられるにちがいないのである。

キーワード:手話言語、知識資源、ろう者、西・中部アフリカ、潜在能力

Sign Languages as Knowledge Resources
KAMEI Nobutaka (KwanseiGakuinUniversity)
Keywords: sign languages; knowledge resources; the Deaf; West and Central Africa; capabilities

総括班主催『資源と人間』ワークショップ3(06/03/06-07)
流動する資源ネットワークとしての土地・女性・親族集団
―ガーナ南部のココア生産地域を事例として
石井美保(京都大学人文科学研究所/日本学術振興会)

本発表は、換金作物生産にかかわる土地と女性、親族集団のそれぞれを相互に連関する資源ネットワークとして考察する試みである。アフリカ社会の労働生産様式と親族システムの変容をテーマとした先行研究では、市場経済化や換金作物生産の開始をはじめとする近代的変化にともない、親族集団による土地の共同保有に基づく伝統的な土地利用・相続システムから、父権中心的な核家族を基盤とする新たな土地利用と相続システムへの移行が生じるとされてきた。なかでも母系制をとる社会では、父権中心的な土地利用と相続システムの台頭にともない、女性の地位は低下する傾向にあると論じられている。
しかし、本発表が対象とするガーナ南部のココア生産地域では、母系制あるいは父系制をとる社会集団のいずれにおいても、ココア生産の発展とともに親族集団の権利と紐帯が強化されていくという現象がみられる。また、いずれの社会集団においても女性は土地相続と利益分配をめぐる親族内部の競合や折衝に参画するだけでなく、出自集団の土地相続を円滑にすすめる上で不可欠の構成員として重要な位置を占めている。さらにそれぞれの社会集団の土地相続実践において、土地は共同体や個人が「所有」すべき財としての価値をもつのみならず、相続を通して親族ネットワークの内部を流通し、それによって「親族」の枠組みや成員間の権利関係を実体化するという役割を担っていると考えられる。ここにおいて重要となるのは、固定化された(fixed)一片の土地に対する共同体や個人の所有権や用益権ではなく、むしろ親族ネットワークにおける土地の流れ(flow)とその経路を決定する個々人のポジションである。本発表では、父系制をとる社会集団と母系制をとる社会集団それぞれの土地相続システムを具体的な事例から検討し、諸個人が親族集団の内部で占める位置と相続実践の可変的な関係を明らかにする。また、親族ネットワーク内部の土地の流通に対して選択的に介入し、成員間の権利関係と抗争点を照射する呪術行為について考察する。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ3(06/03/06-07)
資源としての夢
―インドの移動民ヴァギリの夢語りの諸相―
岩谷彩子(京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科)

 インドの移動民ヴァギリは日常的に夢を語る。夢のなかで彼らは、覚醒時に出会ったさまざまな他者の姿を模倣的に再現する。目覚めたとき、夢の多くは他のヴァギリに語られることで「神の夢」となり、リネージ神の儀礼を導く。カースト社会の最下に位置し、きわめて変動性の高い環境下で生活してきたヴァギリ。彼らが夢で追体験するのは、社会を脅かす他者との接触とそれによって生じる葛藤だ。しかし自己を分裂させる不安定な夢は、解釈され儀礼化される過程で父系リネージの秩序を支える資源となる。資源としての夢は、万人が個人的にアクセスできるが、想起時には身体的な限定づけを受けており、その加工と活用のあり方は社会に依存している。本発表では、夢を資源としていかにヴァギリ個人と社会が持続し、変容しているのか、具体的な事例から検討する。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ3(06/03/06-07)
ケニア中央高地ニャンベネ地方における嗜好品ミラーの資源人類学的考察
―麻薬化・社会問題化の語りと地場産業の未来―
石田慎一郎(国立民族学博物館・日本学術振興会特別研究員)

本報告では、ニャンベネ山稜一帯(ケニア中央高地、メル・ノース県)における嗜好品ミラーを扱う。ミラーとは、イエメンをはじめアラビア語圏ではカート、エチオピアではチャットと呼ばれるニシキギ科の常緑低木(から収穫する瑞枝、新芽、葉)のことであるが、じつに様々な価値づけがなされる。たとえば、1)地元の伝統的な噛む嗜好品、2)ニャンベネ山稜の在来種、3)コーヒーに匹敵する外国向けの商品作物、4)習慣性薬物、5)夜行運転時に便利な眠気覚まし、6)公的支援を受けられない非公認作物、7)ある国際組織の資金源、8)婚姻の申込を飾る品、9)性欲減退の副作用など。本報告では、多様な利用手法をできるだけ詳しく報告し、かつ地元社会の内外にみられる麻薬化・社会問題化の言説と対照する。そのうえで、地場産業を擁護する立場から、グローバル化する「資源の生成循環の場」における嗜好品ミラーの現在と未来を考える。


小生産物(小川)班2005年度第4回研究会(06/02/05)
埋立と漁業者の意思決定
戦後の川崎市のノリ養殖業を事例に
除本理史(東京経済大学経済学部)

 日本の沿岸域では,高度経済成長期に工業用地や都市再開発用地の造成を目的とした埋立が盛んに実施され,工業化・都市化の進んだ地域を中心に海岸は大きく変化した。海面の埋立にともなう沿岸域の変化は,当該地域で生活してきた人々に多大な影響を与えた。漁業者にとってみれば,埋立は,漁場喪失という形で従来の生活のあり方に変更を迫るものであった。なかには,埋立によって漁業の継続が困難となり,漁業自体が消滅するような事態も生じた。本報告が対象とする神奈川県川崎市の事例もその1つである。
  本報告は,漁場埋立ならびに漁業権全面放棄を受け入れた漁業者側の経済事情の解明を目的としたものである。そのため,神奈川県川崎市のノリ養殖業経営を事例に,1940年代末から漁業権を全面的に放棄した1971年までの変化を検討する。その際,ノリ養殖業経営から得られると想定される所得を一般勤労世帯の所得と比較することで,漁業者および漁業世帯にとってのノリ養殖業の経済的な意味を明らかにする。分析に用いた資料は,各種の公的文書と統計が主であり,当時の漁業者からの聞き取りも補足的に利用した。
  本報告の構成は次の通りである。まず1節では,ノリの生産技術と消費について概観する。2節では,川崎市沿岸で実施された埋立について簡潔に整理する。3節では,漁場埋立ならびに漁業権全面放棄を受け入れた漁業者側の経済事情について検討する。4節では,以上の内容を踏まえて,小商品・小生産概念について,若干の検討を行う。なお,3節の内容は,報告者(除本)が山内昌和(国立社会保障・人口問題研究所)・香川雄一(明治学院大学・非)とともに行った研究成果の一部である。

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小生産物(小川)班2005年度第4回研究会(06/02/05)
マダガスカル北西部農村における<生活>(velon-teña)から見た
資源人類学の可能性
深澤秀夫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

 マダガスカル語には、次ぎのような<農民>と翻訳可能な単語が存在する。
  mpamboly:mambolyすなわち「耕作する」・「栽培する」が語根で、<耕作者>や<栽培者>の意。
  tantsaha:sahaすなわち「谷」・「畑」・「田舎」が語根で、<田舎人>の意。
  mpamokatra:mamokatraすなわち「生産する」が語根で、<生産者>の意。
  そうであるにもかかわらず、これらの単語が北西部の人びとの方言とは異なるマダガスカル中央部に居住するメリナ(Merina)と総称される人びとの方言を基礎に作られた公用マダガスカル語起源であり、またtantsahaとmpamokatraがmpambolyに代わる官製用語の臭いが強いことなどを考慮したとしても、この20年間調査を行ってきたマダガスカル北西部の農村地帯において人びと自身が、このような単語によって自分たちを積極的に指示した場面に、私自身ほとんど遭遇した経験がない。
  第一に、マダガスカル、とりわけ調査地である北西部地方では職業に基づいた身分制度および分業制度が発達しなかったこと、また自分たちの周囲には漁民や採取狩猟民などの異なる生活形態をとる人たちが住んでいなかったことなどから、自分たちをことさら<農民>と捉える身分上および職業上の対自的な意識が形成されなかったことが原因であろう。
  第二に、19世紀イメリナ王国支配下の北西部地方では、vary zehyと呼ばれる租税の貢納が稲の収穫に対して課された一方、1986年から1960年までのフランス植民地時代およびその政策を基本的に継承した1960年から1972年までのマダガスカルの第一次共和制の間、農村に住む人たちにも課せられまた実際にも支払った税金は、人頭税と牛頭税であったことに原因が求められるであろう。北西部地方に限らずマダガスカル人が、貨幣経済に広範囲に巻き込まれることになったきっかけは、フランス植民地期からのこれら人頭税と牛頭税などの支払いであったと指摘されている。けれどもこれらの租税は、生産物や生産過程や生産手段に対する課税ではなく、それゆえ<農民>と言う生業身分ないし職業を規定し名指しするものではなかったからである。
  しかしながらこれらの理由以上に、<農民>とは「農業に従事する人」であり、<農業>とは「土地を利用して米・野菜・果樹などを栽培したり、鶏・蚕・牛などを飼ったりして生産をあげる職業」の事であると言ったような意識や概念そのものが、マダガスカル北西部に居住するツィミヘティ(Tsimihety)と自称しまた他称される人びとの間において形成されていないことにその大きな要因を求め、その上で彼らの資源の獲得方法の機略とその特質について考える必要がある。
  <農民>と言う言葉が自発的に用いられない一方、velon-teña と言う言葉を、マダガスカル北西部地方の人びととの日常会話の中でよく耳にする。 velon-teñaとは、velona「生きている」・「生活している」とteña「身」・「自分」との複合語であり、「自分が生きること」・「人が生活すること」・「身を立てること」が直訳の意味であり、会話の脈絡からは<生活>や<暮らし>や<生計>あるいは<やりくり>と翻訳することが可能である。velonaもteñaも、単語一つ一つは公用マダガスカル語ないし、公用マダガスカル語の基礎となっている中央高地のメリナ族の言葉にも存在するが、両者を複合した velon-teñaは、北西部地方ないしツィミヘティ族の人びとに特有の単語および概念と見なすことができる。velon-teñaの具体的な会話の脈絡における用法を、次ぎに例示する。
  Mahaisarotra ny velon-teña.「暮らしがたいへんになってゆく」・「生活は困難になってゆく」
 Tsi'sy velon-teñanazy.「あいつにゃ生計(の手段)がない」
 Tsy hitako ny velon-teña.「生活手段が見つからない」・「暮らしができない」
 Inona velon-teñanazy?「あいつの生計手段はなんだ?」・「彼(彼女)は、どうやって暮らしているんだ?」
 Atao karakôry ny velon-teña?「この生活(のやりくり)をどうしよう?」・「どうやって暮らしてゆこう?」
  すなわち調査地の人びとは、自分たちは日々 velon-teñaとかかわりvelon-teñaを遂行すると共に、それが人間である限り不可避かつ根元的なものと考えているが、この単語は、ある特定の生業や職業や仕事を一義的に指しているわけではない。velon-teñaの中には、様々な生業や職業や仕事が入ってくることが当然であり、そしてそこには特定の目標や目的があるわけでもない。しかしこの可塑性こそが、調査地における<農業>であり<農民>であることの特徴なのではないだろうか。
  調査地の人びとの主たる食料源および主たる現金収入の双方が、米および稲作である。村人たちも、「自分たちは稲を作っている」、「稲作が自分たちのvelon-teñaである」と語っている。しかしながら、彼ら自身が自らを<農民>と呼ぶことがないことに集約されるように、彼らを<稲作農民>と規定することもまた適切ではない。なぜなら、稲作とは、彼らが生活する土地において多数存在する資源利用の一つの形態であるに過ぎず、稲作以外の条件が揃うならば何時でも他の資源利用方法に移行する可能性を、彼らのvelon-teñaは常に孕みながら成立しているからである。調査地における村の人口数で村に飼育されている牛の頭数を割った値は1985年当時1であり、水田稲作を基盤に据えている生活としてはかなり高い数値を示していたが、同じTsimihety族の人びとの間でも、北西部地方の丘陵地帯で調査した民族学者によれば、その地方ではさらに高い数値を記録していた。なぜなら、北西部地方では、水田稲作には不向きなものの、牛を放牧させるには適した草原状の丘陵地が広がっているからである。すなわち、私が調査を行っている地方のTsimihety族の人びともその北西部地方のTsimihety族の人びとも、おそらく異なったvelon-teñaを行っているとは意識しておらず、それぞれの自然環境の違いに応じたvelon-teñaを遂行することの結果として、水田稲作に偏重した生活/牧畜に偏重した生活の違いを生みだしているにすぎないのである。調査地の人びとが<稲作農民>であるのは、現在時点における生態環境の利用の結果がそうであるにすぎず、彼らが抱いているvelon-teñaは、異なる生態環境や通時的な生態環境の変化の脈絡においては、<牧畜民>にもあるいは極端には<漁民>や<狩猟民>にもなりうる可能性を秘めている。
  さらに調査地の村においては、自分たちが権利を持っていた水田を全て売却してしまった村人が3人いるが、このことに対して村人たちは、「水田無しで、これからどうやって<生活>(velon-teña)していくつもりなのだろう。子供たちはどう暮らしてゆくのだろう。バカだねえ」と当座の現金の入手を優先し将来のことを考えないように思われる当事者たちの思慮の浅さを責めはしても、父祖伝来の土地を売ってしまってと言う価値評価的な非難の声は聞こえてこなかった。すなわち稲作と水田は、祖先から伝えられた<習慣>(fomban-drazana)ではあっても、子々孫々伝え残されるべき家業でもなければ家産でもないのである。
  けれどもこれらのこととは逆に、1980年から今日までの20年間に生じた稲作、とりわけ品種選択における三度の変化、IRIの高収穫品種と移植法と湛水田造営の受容、早生品種の普及、在来品種の回帰、それらに示された村人の素早い対応について説明を与えてくれる。反収の結果だけを取りあげれば、20年経っても2t/haに達しない稚拙な稲作が緩慢に続けられてきたようにも見える。しかしながら、velon-teñaにかかわる多数ある選択肢の一つとして稲作を行い、まさに稲作に<巻き込まれて>いるわけではないがゆえに、国からの指導や公的な援助も無い中で、これらの新品種や新技術を時に素早く採り入れ、あるいはそれまで栽培していた品種や耕作方法を容易に捨てさることを、この地方の村人たち個々人に可能にしてきたと考えることができよう。

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総括班主催理論研究会(06/01/28)
誘惑する資源-脱道具的世界観の試み-
田中雅一(京都大学人文科学研究所)

資源(自然、人、その他の人工物など)はなによりも人が利用するために存在する。しかし、こうした資源とわたしたちとの関係こそ問われるべきではないのか。本報告では、資源を利用するという視点に認められる主体(わたしたち)と客体(資源)との固定的な関係、またその関係を「利用」としえとらえることについて考察してみたいと思う。ここで提案したいのは、利用の代わりに「誘惑」という視点である。資源を主として考える見方はそれほど独創的なものではない。アフォーダンスという概念は「アフォード」に由来するが、これは環境が提供するafford、という視点である。また自然の恵みといった概念も自然を主として考える見方といえよう。ここで提案する「誘惑」は、そのような主客の転倒を意味するのではない。そうではなく、誘惑とは、誘惑する主体が誘惑される客体を能動的な存在に変容させる、という主と客との関係を転換させる働きかけを意味するからだ。そして、両者の関係がきわめて密接な相互関係に変貌するとき、わたしはこれをエロスとよびたい。エロスは主観的には性的な相互作用を通じて自己と他者の変容や融合を引き起こす。身体を越え、あるいは身体そのものが他者の身体を受け入れ物理的境界を越えて拡大していく、自己だけでなく他者もまたともに世界を共有し拡大していく、そうした世界構築の感覚をエロスが生み出す。このエロス的世界は、性的な関係に限られているわけではない。さて、エロスの対立的な状況が「痛み」を伴う関係であろう。たとえば、資源が大規模に「開発」されるとき、それはしばしば資源の痛みとして理解される。このような他者(自然、人、モノ)の痛みは、エロスの関係を拠点としてはじめて理解されるのである。


小生産物(小川)班2005年度第3回研究会(05/11/26)
真珠の資源人類学・序説
-アコヤと南洋真珠の養殖を中心に-
床呂郁哉(東京外国語大学AA研)

今回の発表では「真珠の資源人類学・序説-アコヤと南洋真珠の養殖を中心に」と題して、いまや日常的な宝飾品のひとつとして流通している養殖真珠を対象に報告を実施した。真珠はその母貝の種類に即して複数のものに分類されうる。今回の報告ではそのうち、とくに日本で一般的なアコヤ貝と、南洋真珠の母貝として有名な黒蝶貝及び白蝶貝を母貝とする養殖真珠について現地調査での知見等に基づいて報告を行った。報告では最初に予備知識として生物学的に「真珠」とはそもそも何であり、その物理的・化学的組成などの物質的な構造について説明し、とくに宝飾品としての真珠の価値を決定する上での真珠層の重要性などを指摘した。次に真珠と人類の関わり、とりわけ真珠を人々が養殖によって生産するようになった歴史の概略を示した。
次に本報告は実際にアコヤ養殖真珠の現状を報告者の現地調査に基づいて紹介し、稚貝の入手から浜揚げに至るまでのアコヤ真珠養殖の工程を説明した。報告者の三重、愛媛。長崎三県での現地調査によれば、こうした工程は基本的な概要は全国的にほぼ同一ないし類似の技法による工程の枠組みを確認できるものの、他方では各地の生態学的条件の微細な差異に応じて、養殖現場ごとに技法・道具のバリエーションが存在することも無視できない。さらには挿核作業など中核的な技法においては養殖技術者個人ごとの技法にも微細な差異や偏差が認められることを指摘した。つまり真珠養殖技能における「ローカルな知」の存在、さらには他の伝統工芸品などのモノ作りにおける身体化された熟練の知との相同性、類似性が認められるのである。次にこうした実践知、身体知としての養殖技能という側面はアコヤ真珠のみならず南洋真珠養殖でも認められることなどをフィリピンにおける白蝶貝真珠養殖の現場での調査の知見をもとに説明した。
しかしながら、本報告の後半では、こうした身体化された熟練としての真珠養殖技能は、真珠が生態(生物)資源として極めて高い環境依存性を持つことによって、ある種の限界にも直面していることをアコヤ貝真珠養殖などの実際の現場での事例を元に紹介した。特にアコヤ貝真珠養殖においては近年の自然環境の劣化による母貝の斃死率の上昇や、それに伴う養殖技法の変化などを背景に、いわば「熟練の逆説」とでも呼びうる事態が一部で存在しうる点に注意を喚起した。最後に本報告では「資源人類学」という視点から真珠を捉える場合に生じてくる、その他の検討課題等(真珠養殖における脱資源化と再資源化(「マイナスの資源」の問題)、養殖における知識の公開と観光資源化の事例等)の存在を紹介して締めくくった。

小生産物(小川)班2005年度第3回研究会(05/11/26)
ニッチをたゆたう人々
南インドの移動民ヴァギリの<商>取引
岩谷彩子(京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科)

南インドで生活するヴァギリは、社会に存在する政治・経済・宗教的な情報と物資のニッチ(潜在需要)を資源とする商業移動民(Commercial Nomads)である。本発表では、彼らが利用する資源の特徴を彼らが扱う商品と取引の実例から検討した。彼らが扱う商品(例:狩猟採集の副産物、装飾品、宗教用具、民間薬、呪物)は、カースト間の定期的な交換関係のニッチに見出される。そこでは、集団に付されたさまざまなイメージと期待を手近な物資と組み合わせて加工し、商品化することが目指される。このような商品においては、カースト出自や商品の真贋はあえて問われない。商品の飽和状況や取引相手と彼らの間にある情報の非対称性が、商品を生み出す資源となるのだ。社会にニッチを見出し、それを資源として商品を生み出すヴァギリは、結果的にニッチの変容と創出にたずさわっている。もうひとつ、彼らが取引において依存している資源がある。ヴァギリ間で共有される市場と商品の情報、個人が切り結ぶネットワークである。このような資源は、移動という生活形態のもとでヴァギリ同士が結ぶゆるやかな連帯関係と、非ヴァギリとの当座的な信用形成が前提であるため、常に不安定である。こうした資源のあり方が、彼らに複合的な生業と、短期的な利潤回収と資本投下を選択させている。

小生産物(小川)班2005年度第3回研究会(05/11/26)
焼き物にみるものづくり共同体
-3つの共同窯の比較を通じて-
 五島朋子(鳥取大学地域学部附属芸術文化センター講師)

 自然素材を加工する日本の伝統的な手仕事は、生産過程の近代化、効率化、また私たちの生活そのものの近代化により、その多くが機械化による大量生産による工業製品に置き換えられ、あるいはもの自体が消滅してきた。そのなかで、私たちが生活に用いる焼き物の器には、人工的な科学材料を用い、工場での機械による大量生産から、材料を厳しく吟味し、個人作家による茶陶のような一品限りの芸術作品まで、最先端技術から原始的な技法まで実に幅広い生産過程と運営方式が、今日の日本には同時に存在する。
  陶器生産の発展過程の中で、薪焼成によるぼり窯は、燃料や生産過程の近代化以前において、最も熱効率よく大量にやきものを作ることを可能にした。現在でも、あえてこうしたのぼり窯を用いて、芸術作品的な茶陶ではなく、普段づかいの器を生産している焼き物産地が存在する。本発表では、そうした産地の中でも、とくに「共同窯」と呼ばれるのぼり窯を持つ次の3つの産地をとりあげ、それぞれの成立過程、生産過程、窯元運営における共同作業及び共同性に注目し、「ものづくり共同体」の現代的意義を検討した。1.江戸中期以来の伝統的な生産過程を非常によく継承しているとされる大分県日田市にある小鹿田焼、2.沖縄における壺屋焼きの伝統を継承しようと1992年に開窯した読谷村北窯、3.イギリスのウィリアム・モリスの思想に影響を受け、柳宗悦ら民芸運動のリーダー達に直接教えを請うた島根県斐川町出西窯。以上の3つを取り上げた。焼成に大きな労働量を必要とする薪によるのぼり窯は、やきものづくり共同体のシンボル的存在であると言える。しかし、3事例における、「共同窯」の成立の背景、また現在の窯の運営はそれぞれに異なっており、それぞれの特徴から、小鹿田焼を「歴史と伝統が創出するものづくり共同体」、北窯を「理想の「もの」を目指したものづくり共同体」、出西窯を「思想から始まるもの作り共同体」としてまとめた。


総括班主催理論研究会(05/11/19)
経済学における貧困分析と資産・資源の扱い
—パキスタンの事例より—
黒崎 卓(一橋大学経済研究所)

 経済学における貧困(poverty)の分析において、資産(asset)がどのように扱われているかを検討するための事例として、報告者がこれまで行なってきたパキスタン北西辺境州(North-West Frontier Province: NWFP)でのフィールド調査に基づく実証分析結果を報告した。近年の経済学における貧困分析においては、精緻な家計データと厳密な統計理論を用いた定量的な実証分析によって、貧困の多面的側面(低所得・低消費だけでなく、失業、栄養不良、病気・障害、教育の欠如、リスクへの脆弱性、社会参加からの隔絶、ジェンダー格差、など)や、貧困の動学的側面(一時的貧困者、リスクへの脆弱性、貧困からの脱却・貧困への落ち込みの過程、など)の分析が多数行われている。報告者によるNWFPの事例研究もそのような試みである。NWFPの事例研究から、資産、とりわけ土地と教育が、所得や消費・健康水準などを決める要因として決定的に重要であること、将来の資産水準を決定する投資行動に関して現在の所得や消費・健康水準などがプラスの影響を及ぼすこと、したがって両者の間にはプラスのフィードバック関係が存在し、このフィードバックが貧困の罠を作り出すこと、などが定量的に明らかになった。

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貨幣資源班・生態資源班共同研究会(05/11/12)
交易と国家の起源――西アフリカ考古学の視点から
竹沢尚一郎(国立民族学博物館)

 8-16世紀の西アフリカの歴史を記述するのに基本になってきたのは、アラビア語で書かれた地理書・歴史書であった。それによれば、西アフリカ最古の王国は、現在のマリとモーリタニアに位置するガオ王国とガーナ王国であり、それへの言及は9世紀にはじまっている。しかし、これらの書物に書かれているのは、西アフリカを訪れた交易者や旅行家の言説に基づく第二次、第三次の記述であり、正確なものではない。また、それは外部の人間の手になるもので、西アフリカの人間が書いたものではない。私たちが7年前から考古学発掘に従事するようになったのは、ファーストハンドの資料を入手することと、外側からではなく、内側から見た歴史発展を跡づけるためである。
私たちの発掘を含めた近年の西アフリカ考古学の成果によれば、銅製品やガラス製ビーズ、紡錘車など、長距離交易を物語る商品が大量に出土するのは西暦紀元7-8世紀以降である。またこの時期には、私たちの発掘が示しているように、総石造りで、縦横ともに50メートルを超える建造物の出現と(これは西アフリカで最古の大規模建築である)、北アフリカ製と思われるガラスの器などの貴重品の出土に示されるように、国家と呼べるほどの社会的成層化が実現されていたと推測される。
こうした国家ないし高度に成層化した社会が見られるのは、サハラ砂漠に接するサヘルあるいは乾燥サバンナと呼ばれる地域にかぎられており、その南側のサバンナ地帯では、西暦8世紀には都市の成立、分業、鉄の加工、かなりの農業の発展が確認されているにもかかわらず、社会的成層化の痕跡は今のところ見つかっていない。こうしたことを考慮すると、西アフリカにおける最初の国家は、西暦7-8世紀頃に、サハラ交易と密接に結びつくサハラ南縁地帯で実現されたと考えることができる。
西アフリカの乾燥地帯で興味深いのは、西暦紀元前3世紀から紀元3世紀までは、全般的な乾燥化のために人間の居住の痕跡がないことであり、それゆえ西暦4世紀から7世紀までのあいだに、急速に人口の集中と成層化が実現されたのであろう。私たちの発掘は、長距離交易の発展と社会的成層化の出現が並行しておこなわれたことを推測させているが、長距離交易という外部的な要因が、なぜ社会の内的構成原理を変革できたかの説明はまだなされていない。おそらく長距離交易がもたらしたのは、商品だけでなく、様々な情報や社会原理についての観念であり、既存の権力はその影響の拡張を制限しようとしたであろう。かくして、ひとつの社会の内部に、旧来の基盤に依拠する権力と、長距離交易によってもたらされる富や情報に依拠する新興権力との対立が生まれたに違いないのであり、両者の対立が国家という抑圧装置を必要としたのではないだろうか。

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貨幣資源班・生態資源班共同研究会(05/11/12)
古代アンデス社会における交易と社会の成層化
関 雄二(国立民族学博物館)

交換と職業分化、そして階層化については、アメリカ考古学でいくつかのモデルが提出されてきた。まとめれば、(1)Commercial development Model、(2)Adaptationalist Modelそして(3)Political Modelとなろう。Commercial development Modelとは、専業化や交換を経済成長と同時に起こる過程としてとらえ、経済的効率性や個人の利潤追求にもとづき、自律的に発展すると考えるもので、エリートの経済への介入はとくに想定しない見方である。Adaptationalist Modelでは、エリートの介入を想定するが、エリート以上に庶民全体の利潤に注目する立場である。これに対して、Political Modelとは、エリートの経済への政治的介入を積極的に想定する立場である。そこではエリートは、地域の庶民の資源を拡大することよりも、政治組織の財をまかない、政治的権力を拡大することを目的とするととらえ、最大の利益享受者は、エリートと考える。この立場に立てば、庶民からエリートへの物資の流通の確保と統御が焦点となり、新たに成立する専業的な組織(官僚)、工芸
品工人、長距離交易の擁護・後援などに研究者の関心が集まる。
  発表者もPolitical Modelの見方に賛同する。なかでも、古代社会の権力に様相に着目し、これを支える経済、軍事、イデオロギーという3つの基盤的要素を使って説明する方法に関心を寄せている。リーダーが権力を握るためには、これら3つの権力資源を利用し、巧みにその組み合わせを操作していったと考え、その様相を復元しようという立場である。
本発表のテーマとの関連で言えば、権力資源の中でも、とくに経済に注目したい。経済は、生態環境を基盤にできあがっている。たとえば人間の手で加工されて生まれる生産物や技術、あるいは交換へといった対象へのアクセスを排他的、限定的にすることは、権力の基盤となる。農業生産物や織物などの主要生産物財政と長距離交易などによる奢侈品、稀少価値の高い品、材料のコントロール(富の財政)などが想定される。
  こうした権力論の枠組みをもとに、発表者が長年調査を行ってきたペルー北高地カハマルカ地方に位置する形成期時代(前)2500~紀元前後)の遺跡(ワカロマ、ライソン、クントゥル・ワシなど)から得られたデータを分析してみる。その結果、同じ形成期でも、考古学的に社会階層化が進んでいると認められるクントゥル・ワシの社会の方が、他の遺跡に比べて長距離交易を通じた富の財政、イデオロギーの操作が盛んであることが指摘できた。その意味で、アンデスの国家形成前夜の社会で、交易が中央集権化への大きな要因であったことがある程度指摘できよう。

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貨幣資源班・生態資源班共同研究会(05/11/12)
必要に応じた調達”と移動性
─アフリカ中南部ベンバの疎開林利用と「資源観」に関連して─
杉山祐子(弘前大学人文学部) 

 ベンバは、ザンビアの北部州に広がる乾燥疎開林帯に住み、独特の在来農法によって知られる焼畑農耕民である。強大な軍事力を背景として、19世紀末までに周辺諸民族集団を支配下する伝統的王国を作り上げ、アラブ・ポルトガル交易の利権を握っていたことでも知られている。ベンバ王国の政治組織はイギリスによる植民地化行政に組み込まれ、独立後もザンビア政府の末端機構として機能してきた。植民地化以降、ベンバの居住域は、労働力供給地と位置づけられる周縁の地となった。 
ベンバ王国の政治組織だけについてみると中央集権的で、社会成層化が進んだように見えるが、村落は小規模で移動性が高く、世帯間の経済的な格差や強大な権力をふるう者のない生活が営まれており、経済的な側面では、王国の組織との間に大きな不整合が見いだせる。村落の生計活動では、世帯構成のちがいや農作物のできに関わらず、食料や現金を「必要に応じて調達し、使い切る」姿勢が顕著である。それは、食物が世帯を超えたひろがりで消費されることを確保する「分かち合い」の原則、食物のある所に移動できる柔軟な離合集散、酒を媒介とする現金の循環システムなどを基盤として、村人の自給レベルを確保するしくみを作り出している。その基盤にあるのは、高い移動性である。村人は短期的には食物のある所に、長期的には質の良いミオンボ林のあるところに移動することによって、「必要に応じた調達」に基づいた生計を破綻させずに継続してきた。
実際に移動する範囲は、数百メートルから2?300キロメートルであるが、村人が移動可能な範囲として描くのは、行ったこともないほど遠く離れた地域を含む広いエリアである。現在では、ベンバのチーフへの労働提供などの慣行がなくなり、チーフによる農耕祭祀儀礼や呪術にまつわる儀礼も衰退しているので、それぞれの村落とベンバ王国との直接的な関係はほとんどないといってよい。しかし、すべてのベンバの村人は、母系で継承される歴代ベンバ王に由来する祖霊の名を「へその名」としてもち、それが個々人の霊的な力の強弱と関わるという。ベンバ王国の領域内であればその祖霊名を手がかりにすることによって、親族がまったくいない土地でも、擬似的な親族関係が結べるから、移住できる担保がある。ベンバ王国の領域外でも、ベンバの女性がかつて移住した経緯をもつ土地ならば、その女性を経由した祖霊の名の持ち主がいるはずだから、移動にまったくなんの問題もないと村人は語り、かれらが想定する移動可能な範囲のリアリティを担保する。また、植民地時代以降さかんに行われた出稼ぎによる労働移動の軌跡も、移動先の選定と移動できる範囲のひろがりを想定するリアリティ形成に関わっている。
このような点で、ベンバ王国の領域拡大や植民地政策による労働移動にかかわる社会的成層化の歴史は、村人の資源観に影響を及ぼしてきたといえる。

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貨幣資源班・生態資源班共同研究会(05/11/12)
農産物自由化と地方社会―エーヤーワディー流域の19世紀―
 伊東 利勝(愛知大学)

エーヤーワディー流域中央部は半乾燥地帯と称され、年間降雨量は500~1,000㎜である。これが6月から10月に集中するが、年によって月によって大きく変動し、天水のみに依存した農業は、安定しない。特に稲作を安定的かつ広範に行うことは不可能で、権力の中心を中央平原地帯に置いていた王朝は、比較的安定的に稲作を展開できたデルタ地域から、米を海外に輸出することを禁じていた。しかし、1826年に始まるイギリスの植民地化政策のもと、農産物の取引はすべて自由化に向かう。
エーヤーワディー流域中南部に位置するタウンドゥインヂー地方の最大輸(移)出品は、1880年代、森林産物の阿仙(catechu)を除けば、ワタで、トウモロコシ、油、ゴマがこれに次いでいた。この地方で、主として自給用として栽培された米は、天水田や、小河川を利用した灌漑地で栽培されていた。20世紀前半になると、ゴマ(早生)やラッカセイなど畑作生産が増加し、これによって農地は増加・拡大してゆく。この時、米作地の拡大に向かわなかったのは、当時の技術水準に照らして、灌漑地や稲作適地の開発が完了していたからに他ならない。
王朝時代に徴収されたタウンドゥインヂー地方調書(Sit-tan)によって、灌漑地の多くは、1872年からほぼ30年間に開発されたと見なすことができる。また植民地資料によっても、19世紀末、この地方の農業水利は成熟の域に達していたことがわかる。灌漑田は、イン川、サドン川、ヤベー川に、砂、丸太、小枝、土などを使って堰をかけ、これから引水して形成された。いっけん非効率と見える堰の掛け方や水路の引き方は、慢性的な水不足と繰り返し押し寄せる洪水と闘いながらも経験と勘と在地の技術を活かしたことによる。

[タウンドゥインヂー地方の砂堰 (2003年2月撮影)]

システムそれぞれに、受益農民によって維持管理組織が形成され、植民地期以降は管理を外部委託によって行う組織も出現していた。これは畑作農業の展開とその高度化により、より多くの労働力をそれに振り向けようとした結果であると考えられる。いわゆる共同体規制に制約されない維持管理体制の展開を可能にしたのは、商品関係を基本とする農民組織が王朝時代から存在しており、資源配分はこれに規定されていたからであると考えることができる。


総括班主催理論研究会(05/10/29)
熱帯生態資源の動向とエコツーリズム
山田 勇(京大・東南アジア研究所)

はじめに
西暦2005年の現在、世界の熱帯地域は静かである。人々の関心は、中東を中心にした地域にうつり、アフリカの問題も貧困化に対処する方策中心にことが動いている。今から15年前、熱帯地域は、地球世界の中でもっともホットな関心地域であった。そして、さらに50年前には、熱帯地域への静かな関心が高まりはじめていた。ここでは、ここ100年あまりの熱帯域の小史の中で、森林を中心にした世界がどのように動いてきたかを論じた。
第Ⅰ部 熱帯雨林の生態資源とエコツーリズム
世界の熱帯林は、ここ半世紀の間に大きく変容した。東南アジアの熱帯林は世界最大の資源をもつ地域であるが、そこでどのような動きがあり、いかに変容してきたかを生態資源という概念を中心に論じた。生態資源は、地球上の資源を、生態条件の中でとらえる概念であり、とりわけ、人と自然との関係に重点がおかれる。その上で、ここ20年くらいの間に世界各地でひろがってきたエコツーリズムの現場の説明をおこない、さまざまな局面を説明した。
第Ⅱ部 泥炭湿地林
東南アジアの泥炭湿地林は、世界の中でももっともユニーク、かつきわめてドラスティックな変化をとげてきた生態系である。スマトラとボルネオにひろがるこの生態系における変化をたどり、今後の方策の一端を示した。
第Ⅲ部 特殊資源
アジアには、きわめて高価でめずらしい特殊な資源が長く人々の生活をうるおしてきた。その中で、沈香をとらえ、生育場所から採集、販売、植林までのプロセスを紹介した。他に人参、ナマコ、生薬類についてのべた。
第Ⅳ部 生態資源の過去、現在、そして未来
さいごにこれまでの熱帯域における人間の活動と生態系の改変の歴史を図化し、今後のあり方のヒントを考えた。ひとつは、とく林家とよばれるすぐれた技術と知識をもつ人々が世界各地に点在している。かれらを軸に地域のもつ技術や文化を伝承し、創造していくことが、もっとも根本的な軸になること。それに付随して、周辺とのインテグレーションの重要性を論じた。
以上、生態資源とエコツーリズムを軸に、熱帯域を中心にした資源問題について、時間軸と空間軸の中でここ1世紀の動きをあとづけることによって、今後の方策への足がかりを模索した。

総括班主催理論研究会(05/10/29)
植民地支配と環境保護主義
-イギリス帝国における乾燥化理論の展開-
水野祥子(大阪大・文)

 報告の前半では、19世紀後半から第一次世界大戦までの英領インドにおける森林保護政策の展開を通して、植民地の環境保護主義の成立過程を論じた。また、後半では、大戦間期に植民地林学が帝国林学として再編される過程を検証することによって、植民地の環境保護主義がグローバルな環境保護主義の成立に与えた影響を考察した。 本報告では、林学専門誌や林学会議の議事録等を史料として用い、植民地の森林管理官の言説や活動を分析することにより、かれらの提唱した環境保護主義のありようを明らかにしようと試みた。特に、大戦間期に帝国林学が形成される過程で、植民地の地域的な問題であると理解されていた乾燥化が、帝国全体の問題として受け止められるようになった点を重視した。各植民地の問題から帝国全体の問題となったからこそ、乾燥化の被害を直接受けなかった本国も乾燥化の進行を深刻に捉えるようになったのである。 同時期、ヨーロッパ諸国の主導の下、世界の森林保護を目的とする国際協力体制が築かれはじめたが、インドをはじめ植民地の森林管理官は、イギリス帝国の一員として国際会議に出席し、発言権を得た。かれらは、非ヨーロッパ世界の被害状況を世界に示し、森林枯渇が引き起こす自然災害の増加は世界各地で深刻な問題になりうると警告して、災害の有効な防止策を確立するための国際協力を訴え、会議のアジェンダに反映させた。ヨーロッパ主導の国際森林保護体制は、植民地の森林管理官を通して、非ヨーロッパ世界を含めたグローバルな環境保護主義を認識しはじめたといえよう。アメリカの林学専門家も乾燥化理論の解明に寄与したが、乾燥化の防止を世界の共通利害とする言説を広めるのに、より積極的な役割を果たしたのは、植民地の森林管理官であった。 さらに、植民地の森林管理官が、なぜグローバルな環境保護を視野に入れるようになったのかを説明するために、かれらの環境認識の変化に注目した。森林枯渇の脅威を単に植民地社会の問題ではなく世界にとって普遍的な問題と捉え、人類の存亡に関わる問題として国際社会に訴えていく過程を通して、グローバルな環境保護主義の成立におけるかれらの重要性を論じた。


小生産物(小川)班2005年度第2研究会(05/10/22)
山梨県の伝統工芸製品
小笠原 輝
山梨県環境科学研究所

その地域の伝統工芸製品は、その地域にて原料が産出、もしくは栽培されるなどして発展を遂げてきた。また、用途などからもその生産能力は高くなく、「小生産物」のひとつといえる。今回の研究会が山梨県富士吉田市の山梨県環境科学研究所で行われたこともあり、山梨県の伝統工芸製品について、その内容を紹介する。
  山梨県には国指定伝統工芸品が3品目、県指定伝統工芸品12品目(3品目は重複指定)がある。
国指定の伝統的工芸品には、 ●甲州貴石細工(昭和51年6月指定)、 ●甲州印伝(昭和62年4月指定)、 ●甲州手彫印章(平成12年7月指定) が指定を受けている。

 県指定の伝統工芸品は「山梨県郷土伝統工芸品認定要綱」に基づき
1 主として日常生活の用に供するものであること。 2 製造過程の主要部分が手工業的であること。 3 伝統的な技術・技法により製造されたものであること。(50年以上の歴史) 4 伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されているものであること。(50年以上継続的に使用)を条件に、次のものが指定されている。

●甲州貴石細工●甲州印伝●甲州雨畑硯●甲州大石紬織物●甲州手彫印章●甲州武者のぼり・鯉のぼり●西島手漉和紙(以上、平成6年10月指定) ●親子だるま、甲州鬼瓦(以上、平成7年1月指定)●市川大門手漉和紙(平成7年11月指定)●山梨貴宝石(平成8年9月指定)富士勝山スズ竹工芸品(平成10年8月指定)

これらの伝統工芸品は高度経済成長期に一度衰退したものも多い。例えば。「甲州鬼瓦」のように1980年代に一度衰退した後、有志により復活を遂げたものある。活力のある伝統工芸品生産物は生産品を現在の生活に合うよう工夫するほか、原料の確保や加工の協同化、通信販売など流通網の確保、観光との結びつきを強めるなどしている。山梨県の伝統工芸製品の将来は全てが明るいとは言い難いが、後継者の育成など努力もみられ、行政の支援などを加え、発展、もしくは現状を維持していくものと思われる。

▲見学場所
富士勝山スズ竹工芸品センター(富士河口湖町勝山)
大石紬伝統工芸館(富士河口湖町大石)

小生産物(小川)班2005年度第2研究会(05/10/22)
小生産物・小商品と資源をめぐる理論的省察
湖中 真哉
静岡県立大学

 本発表では、資源人類学の観点から、小生産物、小商品概念について検討し、それをめぐる理論的な省察を展開した。
  第一に、小生産物、小商品関連の諸概念を整理し、両概念が近代経済学、マルクス主義経済学、ポランニー派経済史のいずれからも残余カテゴリーとして扱われてきたことを検証した。
  第二に、小商品へのアプローチ方法として、(1)商品学的アプローチ、(2)世界システム論的アプローチ、(3)モノの社会生活論的アプローチの三つを概観し、狭義の小生産物概念を「非商品的生産物」に限定することを提案した。
  第三に、アフォーダンス理論の特徴を「価値実在論」として位置付け、それを構造人類学、マルクス主義の使用価値論、イムラーの自然価値論、今村の本源論などとの関係において比較検討した。その成果に基づき、資源のモードとして、「本源」、「生存資源」、「商品資源」の三つを定式化し、その三者の関係を資源の「並列的接合モデル」として提示した。
 第四に、アフォーダンス理論におけるリードの議論を批判的に検討しながら、その理論における「社会性」の所在を探索し、ギブソンの「公共的認識(public knowledge)」概念に、文化を越えた「アフォーダンスの公共性」論への突破口を見出した。そして、第五に、この議論にレイブ・ウェンガーの実践共同体論やファースの組織化論を組み合わせることにより、「資源共同体」の理論を構築した。また、この観点から、文化の境界を越えて移動するモノについての理論的検討を行い、アパドゥライの「価値のレジーム(regimes of value)」論が文化相対主義の自家撞着に陥っていることを批判した。
最後に、本発表で提示した資源共同体理論モデルが、周辺社会における小規模な「マイナー・グローバリゼーション」の理論として有効である可能性を示唆した。


総括班主催理論研究会(05/07/30)
資源の過去負荷性
杉島敬志(京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)

現在を理解するには、現在を成り立たせている過去の歴史的経緯を知ることが不可欠である。本発表では、東インドネシアのフローレス島中部における土地への関係行為に焦点をあて、その過去負荷性――さまざまな時間的深度をもつ過去の歴史的経緯が現在に作用している状況――を明らかにした。具体的には、①因果的支配(オーストロネシア語族に広く見られる土地、女性、食物等を提供する「原因者=根本」が提供された者を支配する体制)、②19世紀前半に最盛期をむかえる国際的な奴隷交易、③その過程で生じた奴隷や土地等の資源をめぐる闘争、④交易と戦争を効率的に組み合わせることで営まれていた首長による企業行為、⑤それにともなう因果的支配のゆらぎ・革新、⑥企業家を(オランダ慣習法学者たちがえがきだすような)慣習法共同体の長へと変貌させたオランダの植民地支配、⑦スハルト政権期に開発政策の一環として実施された土地(の私有化)政策と多年生商品作物の導入、⑧それにともなう新たな土地権の発生についてのべた。そのうえで、結論として、現在の重層的な土地への関係行為が内的に統合されているわけではなく、整合しない複数の規則・信念が並存する状況が見られることを指摘した。

総括班主催理論研究会(05/07/30)
19世紀ジャワ農民の生活資源
―ジャワ農民の家計日誌から―
大木昌(明治学院大学)

1 趣旨
 従来の農民の生活に関する歴史研究は抽象的で具体性に欠け、実態像をイメージできなかった。生活資源という観点から見ると、従来の研究は土地にだけ注目し、しかもそれは、全耕地面積を戸数や人口で割った平均値にすぎない。さらに、土地の運用についての実態(二期作、二毛作、土地の賃貸借など)、生産物のうち自家消費の割合、土地以外の生活資源(副業)の種類とその経済的意味、労働時間などについての具体的な姿もほとんど分らない。このため、これまで、農民がどんな生活資源をもち、それによってどんな生活をしていたのかについての具体的かつ実際の姿は分らなかった。
そこでこの発表は、1890年代の中部ジャワ・バグレン州・クトアルジョ県・クミリ郡に住む3家族分の家計日誌に、現金と現物の収支、自家消費、労働の実態などについて日々の活動を丸1年間(365日分)にわたって調査された記録をもとに、農民の生活師現に注目しつつ、具体的な農民(農家家計)の実態を描くことを目的としている。

2 農民の生活資源と生活の実態
  資料に現れる3つの農家は、貨幣に換算した収入水準で見ると、当時のジャワの平均的な農家であった。ただし、これらの農家は①平地村、②平地と山地の中間の村、③山地村という3つの異なる地理的なタイプの村に住んでおり、これは、彼らの生活資源の種類にも家計の収支にも影響を与えていた。
  ①の家族は、水田、畑、屋敷地園地の合計0・5ヘクタールの耕地をもっていたが、これらの土地からの米の収穫では消費分を確保できず、不足分を借りていた。副業にこの戸主が飲み物を引き売りしていたが、それでも、現金収支はマイナスだった。
②の家族は計0.5ヘクタールの耕地を耕していた。自分の田からは年間消費量の3分の1の収穫しかなかったので不足分を購入していた。現金収支はほとんどゼロで均衡していた。この家族は米以外に鶏と牛(一部を売却)を飼い、果樹園でココナツ、パパイヤ、ザボン、マンゴー、バナナ、食用の豆をつける樹木(タマリンド?)、木材として利用する樹木、竹などを生産し、自家消費するとともに一部を売却した。
山地の③の家族は、水田はごくわずかで、自分の田んぼからの収穫は年間消費の4分の1しかまかなえなかったので、残りは購入した。その他の収入元として果樹園からはジャックフルーツ、 パンの木、カポックを、畑からカッサバ、バナナを、屋敷地園地からはココナツ、竹、キュウリ、イモなどを、コーヒー園ではコーヒーを栽培していた。さらに共有林からは木材と家畜飼料用の草を収穫し売却した。このほか羊と鶏を飼い売却していた。なお、戸主の妻は職布の副業をしており、現金収入を得ていた。こうして現金収支は均衡していた。借金もなく均衡していた。
  以上の結果、山地の農家は、もっとも多様な生活手段を組み合わせて、米の借り入れも無く、現金収支の余剰はないが借金もない均衡のとれた生活をしていたことが分る。なお3家族とも、総収入のうち現金を現物はほぼ半々であった。


小生産物(小川)班2005年度第1研究会(05/07/23)
ザンビア都市近郊農村における小生産物の生産と資源利用
―変化する政治経済環境への対応―
児玉谷史朗(一橋大学)

 ザンビアの首都ルサカの近郊農村を事例に、変化する政治経済環境への対応という観点から小生産物の生産と資源利用を考察してみたい。ここでいう小生産物とは、トウモロコシや野菜といった農産物である。調査地の村では、2種類の土地資源がある。通常の畑用の土地(upland、チニカ)ではトウモロコシ等の食糧作物(トウモロコシは換金作物でもある)が栽培される。ダンボと呼ばれる低湿地は、従来は放牧地であったが、1980年代の終わり頃から販売用の野菜(トマト、スイカ、菜っ葉など)が生産される土地として広く利用されるようになった。野菜生産は農民の現金収入源として重要な位置を占めるようになった。
 土地資源、労働資源、市場の点で、トウモロコシ生産と野菜生産は補完的であり、この組み合わせは、農民にとって利点の多いものであった。乾季の野菜生産からの現金収入を利用して雨季のトウモロコシ生産に必要な化学肥料や種子を購入することができ、投入と産出の連関ができていた。政府の補助金によってuplandでのトウモロコシ生産も有利であった1980年代においては、uplandのトウモロコシ生産とダンボでの野菜生産という組み合わせはすぐれた組み合わせであったと言える。しかし90年代以降のトウモロコシと化学肥料の流通自由化によってトウモロコシ生産の利点がかなり失われることになった。
 この変化に対応して農民は、森林保護区への入植、政治的つながりを利用しての化学肥料融資の利用、新興の農業金融の利用(短命に終わる)、小店舗の開店等商業活動、養鶏、炭焼き、など様々な対応をとっている。さらに2001年頃からNGOによって足踏み式ポンプと貯蓄グループが導入された。
  このような新しい経済活動は試行錯誤的性格が強く、農民が新しい政治経済環境の中で、様々な資源を組み合わせながら、90年代以降の環境の激変に対応していることがうかがわれる。


知識資源(ダニエルス)班2005年度第1回研究会(05/07/18)
秘匿されない知識:
エチオピア西南部アリ女性職人による知識資源としての土器づくり
金子守恵(京都大学)

 エチオピア西南部定住的な農耕活動をおこなうアリの人びとのなかに、土器づくりを生業とする女性職人がいる。彼女らは基本的に一人で土器をつくっており、そのなかで唯一娘が母と一緒に土器づくりをおこなう。他方、近所の職人らも作業の合間に頻繁にほかの職人のところを訪れており、彼女らは互いのつくり方をあえて隠そうとはしていないように見受けられる。この発表では、アリ女性職人による土器づくりを事例として秘匿されない知識の特質についてあきらかにすることを目的とする。発表では、土器づくりについてのやりとりが頻繁におこなわれている習得場面に注目し、12組の母と娘を対象にして彼女らの手指の動かし方などの身体動作に注目しながら、土器づくりの習得過程について検討する。次に、希少性や競争に関わるものとしての土器づくりの評価の仕方と職人の対応の仕方について検討する。
  上記の点を検討した結果、次のことがあきらかになった。(1)習得中の娘は、6-7歳ころから本格的に土器をつくりはじめるが、母親はそれ以降彼女の土器を積極的に手直ししようとしない。(2)土器づくりを評価するときにもちいられるアーニ(直訳すると、身体の一部としての手)という表現は、個々の職人のつくり方の独自性を肯定的に評価する。(3)職人は、ほかの職人のつくり方を参考にしようとするが、最終的には試行錯誤しながら自らのつくり方を確立している。(4)職人は、客による評価を考慮しながらそれぞれの職人の独自性を尊重する。
  職人らは、土器づくりにかかわる諸関係に応じて日々土器をつくりだしている。この点においてアリの土器づくりは技術的な要素の集合ではなく、土器づくりに関わる素材や人との関係性のうえに必要な情報が加わってはじめて可能になる行為と考えられる。以上みてくるとアリの土器づくりは、秘匿されない知識ではなく、あえて秘匿する必要のない知識ととらえることができる。


貨幣資源(春日)班2005年度第2回研究会(05/06/27)
希望の方法としてのアービトラージ
―贈与と金融における反復・複製―
宮崎 広和(コーネル大学人類学科助教授)

 人類学的希望というものがあるとすれば、それは贈与論とその延長可能性にある。マリノフスキーとモース以来、贈与論は貨幣経済・資本主義批判の根幹を成してきたし、最近では、新生殖技術、臓器移植など新しい社会現象の考察にも延長されてきた。この講演では、金融市場の人類学的分析における贈与論の意義を検討する。アパドライやリーとリプーマらが試みたように贈与論を延長して金融市場を分析するのではなく、贈与論の延長可能性に託された希望と金融経済学の延長可能性に託された希望とを比較検討する。具体的には、1980年代末から日本において金融派生商品(デリバティブ)業務に関わってきたトレーダーたちが、どのような希望を金融経済学に託してきたか検討する。金融自由化の流れの中でトレーダーたちは金融経済学の中心概念であるアービトラージ(裁定取引)を彼ら自身を含めた新しい投資対象へと延長してきた。しかし、アービトラージとそれに付随する反復・複製の作業がもたしたものは、深い失望であった。今トレーダーたちの多くはこの失望と静かに向き合いながら、ひたすら反復・複製の作業を繰り返している。希望なき反復・複製とは何か。アービトラージとその反復・複製の作業を人類学の地平へと延長し、希望なき人類学の未来を考えてみたい。


総括班主催理論研究会(05/06/25)
アフォーダンス理論における「資源」概念
-アフォーダンス理論の新しさと好ましさ-
北村光二(岡山大学文学部)

 本発表では、ジェームス・ギブソンという知覚心理学者が提唱した「アフォーダンス理論」の概要を紹介しながら、とくに、この理論における「資源」概念の新しさと好ましさを探りたい。ここではテキストとして、ギブソンの考えを継承しつつ、それをダーウィンの仕事と重ね合わせることによって生態学的色彩をより強めたリードの本(リード著『アフォーダンスの心理学‐生態心理学への道』新曜社)を用いた。
  この理論の特徴は、人間を理解することを、自然世界のヒトの生態的ニッチとそこでの独特の生き方を理解することだとしたうえで、「行動のフィジカルな事実と生きることの経験的な側面の双方に均等にウェイトをかけつつ、心と身体を一つに結び合わせ」ようとしている点にある。そこに見出される「人間の生きる道」は、環境にある資源を利用しつつそれに依存した行為の調整によって望ましい状態を作り出すことにあり、それは同時に、直面する環境とどのように関係を結ぶかを探索するという方向付けのもとでそれを意識し、体験することでもある、とされる。
  この考え方で「資源」とは、第1に、環境のある部分と特定の関係を結ぼうとして行動が識別して利用しようとする環境の特性(=アフォーダンス)のことになるが、第2に、環境にあるさまざまなアフォーダンスを特定する情報も、それ以外の資源を利用しやすくする資源という意味で、資源になる。そして、そのような環境との関係づけにおいて、同一の対象や刺激に「機械特定的に」同一の反応をするのではなく、「機能特定的に」行動を調整・選択し、柔軟で変異性に富んだ反応を示しているのだという考え方や、行為のプランがその実行を監視するというのではなく、行為がそれを実行しつつプランを選択するという、意識の多重性を前提としてはじめて理解可能になる考え方が、この理論の好ましさであり、今後の豊かな展開の可能性を感じさせる点である。


貨幣資源(春日)班2005年度第1回研究会(05/06/11)
「フィリピン農村の協同組合に見る資源と所有」
三浦 敦(埼玉大学)

 協同組合は、人々の社会的絆を強化して経済的生存を保障していく、社会的経済と呼ばれる経済システムの一つである。そのため、従来から世界各地で協同組合開発がなされてきた。しかし、特に第三世界では協同組合開発は成功してきたとは言い難い。本報告では、フィリピンの信用協同組合の事例を通して、なぜ協同組合開発がうまく行かないのかを、資源を媒介として社会関係を分析することで、その要因を検討した。そして、このような協同組合開発の失敗の要因の背景には、フィリピン独自の社会関係が協同組合のシステムと整合的に作用していない点があることを指摘した。そしてこの社会関係がマレー世界に広く見られる社会関係であることを指摘しつつ、George Appellが示した資源所有モデルをもとに、人々の日常的社会関係と協同組合が生み出す社会関係の分析を試みた。

貨幣資源(春日)班2005年度第1回研究会(05/06/11)
「家畜と貨幣の類似性をめぐって−東アフリカ牧畜社会の事例よりー」
太田至(京大)

 アフリカの牧畜社会における従来の研究では、家畜は消費物であるだけではなく、資本であり貨幣であるという主張がされてきた。しかし、その説明の妥当性については賛否両論がある。また、アフリカの牧畜社会は現在、政治や経済のグローバル化、世界資本主義の浸透といった外部からの影響のもとで大きく変容しようとしているおり、従来の経済体制と新しい体制とがどのように接合されるのかは、重要な研究課題となっている。
  本報告では、東アフリカのケニア共和国の北西部に位置するトゥルカナ社会を事例として、家畜やモノの交換と売買、そして家畜同士の交換を指示する動詞を検討し、家畜のオスとメスは根本的に異なった存在として把握されていることを示し、貨幣との異同を考える。
  トゥルカナ社会では、家畜やモノの売買、モノとモノの交換、そして家畜とモノの交換はすべて、「aki-giel」という動詞で指示され、この動詞には「あちらへ」あるいは「こちらへ」という方向をあらわす接尾辞(「-ar」と「-un」)をつけることによって、行為主体がどんなモノ・家畜・貨幣を譲渡/取得したのかが表現される。すなわち、この3種類の交換に臨む当事者の行為は双方とも同じ動詞で指示され、対称的である。
  しかしながら、家畜同士が交換される場合には事情が異なる。何らかの理由(売却する、儀礼で屠殺するなど)で去勢オスが必要になった人が、それを他者から手に入れて後日にそれとの交換に未経産メスを返却するとき、その人の行為は「aki-siec」という動詞で指示され、この動詞は上記の「方向をあらわす接尾辞」をともなって、オスを取得する/メスを譲渡するというふたつの行為を表現する。それに対して、その交換のパートナーとなる人の行為をあらわす特定の動詞はない。この家畜交換に臨む当事者の行為は根源的に非対称的である。また、この交換は「人びとはいつでも未経産メスを受けとる」こと、すなわち未経産メスがもつ直接的な交換可能性に依拠しており、その意味で未経産メスは貨幣に類似した性格をもつことになる。
  しかしながら、自分の去勢オスを譲渡することを申し出て、貨幣に類似する性格をもつ未経産メスを主体的に取得する道はトゥルカナ社会には存在しない。人びとは自分がいま、去勢オスを売却/屠殺する具体的な必要性がないかぎり、それを受けとらないし、未経産メスを手放さないからである。


総括班主催『資源と人間』ワークショップII(05/03/07-08)
資源維持システムは形骸化したか?
セネガル中西部における社会変容と生態資源のかかわり
平井將公(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

セネガル中西部に居住する農牧民セレールは、生業との関係のうえでマメ科高木のアカシア・アルビダからなる植生(以下、アルビダ植生)を耕地のなかに形成し、数世紀にわたって利用してきた。本発表ではアルビダ植生の管理システムを明らかにし、その持続性について1970年代以降に起きた生業変容を踏まえながら検討する。
1970年代以前、セレールはウシ牧畜と雑穀栽培を同所的に複合させた集約的生業を営んでいた。こうした生業形態の重要な成因としてアカシア・アルビダ(以下、アルビダ)があげられる。乾季に着葉・結実し、雨季に落葉するという特異な季節性をもったこの木は、雑穀へ肥培作用をもたらし、ウシへ長い乾季の貴重な飼料を供給しうる。人びとはアルビダを積極的に耕地に配置することで、生産性の安定化を図ってきたといえる。
耕地にあるすべてのアルビダは、人の手によって生存と生長が稚樹段階から継続的に助長されていた。この行為は「しつけ」とよばれるが、それが成立するためには手作業による耕作や休閑システム、安定した土地相続制、アルビダの儀礼的重要性など多様な要因が重要な役割を果たしていた。ところが1970年代以降、出稼ぎが一般化するとともに農牧業への依存度が低下し、「しつけ」の成立に寄与したこれらの要因も変貌してしまう。
「しつけ」の実践が困難となった現在、アルビダの個体数は徐々に減少しつつある。従来の管理システムは機能しなくなったといえるだろう。しかしながら出稼ぎに生計の大部分を依存する世帯が増える一方で、出稼ぎで得た現金を元手に耕地の拡大やウシ頭数の増大を図ろうとする世帯も現れ始めた。こうした世帯は従来と同様あるいはそれ以上にアルビダを利用している。今後、彼らがアルビダ植生の維持につながる新たな取り組みを始めるかどうかに注視する必要がある。

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総括班主催『資源と人間』ワークショップII(05/03/07-08)
バリにおけるゲンシーの諸相
社会資源としての「バリ文化」をめぐって
中野麻衣子(一橋大学大学院)

 観光で豊かになった現在のバリでは、外部に向けた民族的象徴としての「バリ文化」の諸要素(ヒンドゥー儀礼、芸能・芸術、衣装、建築など)は、外来観光客の視線の及ばないバリ人社会の内部で急速に活性化、肥大化している。そこで本発表では、「バリ文化」の社会資源――諸個人が社会内部で身を処していく際に動員する資源――としての側面に注目しつつ、現在の文化的状況を考察した。
近年の急速な観光産業の発展により、社会が総体的に富裕化するとともに、内部の経済的な階層格差の広がる今日のバリ社会を特徴づけているのは、ゲンシーという言葉で代表される、豊かさを顕示する競争的な消費行動である。この中で、バリ人の日常生活を取り囲むありとあらゆるものは金銭的な尺度によって差異化・階層化され、供物や芸能、人生儀礼などの「バリ文化」の諸要素は、車や携帯電話などの外来の様々な消費財と同列に語られ、消費を舞台に展開する社会的競争の中で、肥大化、華麗化しているのである。
本発表では、競争的な消費の様相を、寺院の周年祭(オダラン)、及び集落や寺院などの社会集団が開催する資金集めのためのカフェ(バール)、というコンテクストの異なる二つの場面を中心に取り上げて具体的に分析し、ゲンシーという現象が、バリ人のemicな「近代」概念に基づく近代志向であり、それはインドネシア全体を方向づける近代志向と一連の、もしくはそれを主導する動態であることを示した。これにより、外部から一見して「伝統文化」の肥大化に見える現象は、インドネシア枠内での普遍性を志向するバリ人の内発的な近代主義によるものであることが理解される。

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総括班主催『資源と人間』ワークショップII(05/03/07-08)
資源とネットワーク
─ハワイにおけるオキナワン・コミュニティの展開過程に関する予備的考察─
原 知章(静岡大学人文学部)

 資源人類学の主要な課題は「資源の生成循環を作動させる人と人との関係」を追究することにあるといえる。この課題に取り組むひとつのアプローチとして、「ネットワーク」を単に比喩的概念としてではなく、分析概念として導入することが有用であると考えられる。ここでネットワークという場合、発表者がさしあたり念頭においているのは、個人や集団の関係のパターンの網目としての社会的ネットワークである。社会的ネットワークは、資源へのアクセスや資源のフローを構造化すると同時に、それ自体をいわば「社会関係的資源」として捉えることができる。本発表では、以上のことを念頭において、「ハワイにおけるオキナワン・コミュニティ」(以下、「オキナワン・コミュニティ」)の事例を取り上げた。具体的には、オキナワン・コミュニティにおける諸活動を人的資源と社会関係的資源の動員という観点から捉え、先行研究の検討と、フィールドワークで得られた若干の知見にもとづいて、オキナワン・コミュニティの内部構造と展開過程に関する予備的考察を行なった。論点は以下のとおりである。
  先行研究では、オキナワン・コミュニティの展開過程が、その社会歴史的背景との関連で論じられることが多く、オキナワン・コミュニティの内部構造に焦点を当てた研究は少なかった。また、オキナワン・コミュニティの内部構造に焦点を当てた研究においては、ハワイ沖縄連合会や同郷団体のような沖縄系の団体、ないしこれらの団体を媒介とした社会的関係が調査の対象とされることが多く、オキナワン・コミュニティの活動を担うメンバーの個人間のインフォーマルなネットワーク、すなわちパーソナル・ネットワークについてはほとんど取り上げられてこなかった。
 しかし、オキナワン・コミュニティのメンバーや諸活動について改めて検討すると、メンバーのパーソナル・ネットワークが、オキナワン・コミュニティにとって重要な社会関係的資源になってきたと推察可能である。したがって、オキナワン・コミュニティの内部構造を明らかにするためには、団体を媒介とした社会的関係だけではなく、メンバーのパーソナル・ネットワークに焦点を当てた調査を行なう必要があると発表者は考える。メンバーのパーソナル・ネットワークを明らかにすることは、「多民族・多文化社会」といわれるハワイにおける人びとの人間関係の一端を知ることにもつながる。
  以上の議論を敷衍すれば、個人間のネットワーク、個人=団体間のネットワーク、団体間のネットワークという重層的なネットワークとしてオキナワン・コミュニティを捉えなおすことができる。このような観点からオキナワン・コミュニティの展開過程を見直すならば、クロード・フィッシャーが下位文化理論において提起しているように、アクター間のアクセスに影響を及ぼす環境条件にも改めて目を向ける必要があるだろう。
  また、従来のオキナワン・コミュニティの歴史叙述を補完するという点においても、現代におけるメンバーのパーソナル・ネットワークを明らかにすることには意義を見出すことができる。すでにオキナワン・コミュニティの内部では、従来の歴史叙述を見直し、オキナワン・コミュニティを再定義しようとするリフレクシヴな動きが胎動している。

総括班主催『資源と人間』ワークショップII(05/03/07-08)
象徴資源としての身体、その不確実性について
ニューギニア高地、オクサプミンにおけるキリスト教受容を事例に
行木 敬(京都文教大学 文化人類学科)

 あるモノが、何か特別な意味づけを持った象徴として社会成員に用いられている時、これをモノの「象徴資源」としての利用と呼ぶとするなら、そこには象徴資源として非常に不確実な面をもつモノ――利用される度に新たな意味を生み出してしまうようなモノがあることが指摘できる。「自分の身体」である。
  ニューギニア高地中央部、オクサプミンのR村の人々は、聖書や聖水にはマナのような呪力「カスプ」が宿っていると考え、それが自分の身体(特に皮膚)にどれだけ吸収されているかで、キリスト教徒としてのアイデンティティを説明する。また、日曜の礼拝における信仰告白は、日常生活で経験した不思議な出来事を、自分の身体に宿ったカスプに結びつける語りを作成する機会となっている。病苦や不運の原因はカスプの不足に遡及され、聖書を患部にこすりつけるなどの治療がおこなわれる。人より特に多くのカスプを身体に持つ人物は、それを根拠にカスプの意図的な操作、つまり呪術が使えるとされており、彼らはその力でトランスや予言、治療をおこなう。
  R村におけるキリスト教が、かつて宣教師の与えたキリスト教概念を大きく超え、このような変容と多様化に至ったのは、個々人の身体に感染するものとしてのカスプが想定されたためだと考えられる。カスプに感染した「私の身体」が、キリスト教の実践において象徴として用いられ、操作される時、個人的事情は、説明の対象ではなく、説明の論理にすべりこんでいく。すなわち、個々人の日常から分離することができない=「聖なるもの」になりきれない「身体」を、それでも象徴として操作するという矛盾が、その意味の派生の契機を――象徴資源としての不確実性を作り出しているのである。
  身体という象徴が持つこの不確実性は、文化の再生産理論の枠内で構造の変化を説明するというアポリアを考える上で、ひとつのアプローチとなるだろう。

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総括班主催『資源と人間』ワークショップII(05/03/07-08)
キリバスにおける些細な知識・技術の秘匿
風間計博(筑波大学)

 本発表は、中部太平洋キリバスの一村落において、秘匿すべきとされる知識・技術(rabakau)をめぐり、人々がいかなる交渉を行っているかを概観し、それが人々によっていかに継承され、変更されていくかを考察する。調査村では、「知識・技術をもつ」と見なされる人が多くおり、それは多様な領域に及ぶ。具体的には、手芸品製作やイモ栽培といったモノを生み出す方法や、カヌー操船、マッサージ治療、踊り等の身体技法に関わる事柄が主である。知識・技術は、生産されたモノや身体所作といった可視的な形で、人々の現前に具体化して現れる。それが人々に評価され、評判を生み噂され、「誰々は××の知識・技術をもつ」という型にはまった語りが繰り返される。
  知識・技術は秘密にすべきと言われるが、必ずしも閉じられてはいない。知識・技術の保持者は、友好関係や周囲の状況に応じて伝授したり秘匿する。保持者は常に、手芸品や衣服等の製作を要請され、また知識・技術自体の伝授を懇請される。知識・技術を村人のために使うことを拒否したり、懇請されても言い逃れをして秘匿すると周囲の妬みを喚起させる。秘匿に徹することにより、保持者は否定的な評価を受ける。逆に秘匿は、知識・技術自体の評価を高めることにもつながる。伝授した場合、一時的に鷹揚さを発揮できるが、広まれば希少性を低下させることになる。保持者は常に羨望(mataai)と妬み(bakangtang)の間におかれ、潜在的に正反対の評価を受ける可能性がある。このように、人々の間の具体的な相互交渉において、知識・技術はあたかも実体をもつかのように捉えられていく。
 知識・技術の遂行にはあたかも固定的な方法があり、伝授されれば容易に自らのものにできるかのごとく人々により語られる。ただし、知識・技術の内実や習得過程は必ずしも詳らかではない。モノの製作や身体技法等、ある程度の型はあっても、単純な体系的方法に還元できる類いのものではない。むしろ、個々人の獲得的あるいは生得的な才によって技能に差異が生まれる場合が多いと考えられる。したがって、伝授されて一通りの基本形を学ぶことはできても、技能が人々の間で評判になるとは限らない。換言すれば、伝授は不完全にしか行われ得ない。そこにこそ、経験的な勘による微細な変更や、その場の状況に応じた創意、各人の新たな工夫が柔軟に試される余地が生まれるのである。

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総括班主催『資源と人間』ワークショップII(05/03/07-08)
サヘルにおける農耕民ハウサの砂漠化に関する認識と対処技術
大山修一(首都大学東京・都市環境学部・地理学教室)

 本発表では、ニジェール中南部に居住する農耕民ハウサの土壌や土地荒廃に対する環境認識を明らかにしたうえで、荒廃地の修復に関する民族知を調査し、荒廃地における植物生産力の再生について圃場レベルのモニタリングを試みたい。ハウサの人びとは、耐乾性のもっとも強い作物であるトウジンビエとササゲを混作している。トウジンビエ畑は連作されるため、時間の経過とともに土壌の肥沃度が低下する傾向にある。肥沃度が低下した土地だと認識した場合には、村びとは屋敷から出る家庭ゴミや厩肥をトウジンビエ畑に投入したり、あるいはフラニやトゥアレグの牧畜民に放牧キャンプの設営を依頼し、家畜の糞によって畑の生産性を維持している。
  村びとは地域による土壌の差異だけではなく、同一地点の土壌状態が時間の経過とともに変化していくことを認識している。 人びとは肥やし (taki) を投入せず、砂質土壌 (kasa) を耕作しつづけると、 3 年後には leso の状態になるという。 Leso とは、シルトや粘土の含有率が低く、砂が多い地表面の状態を意味する。 Leso の状態では収量が低いものの、トウジンビエを栽培しつづけることができる。肥やしを投入せず、さらに 3 年間 leso を耕起しつづけると、地表面が固結した土壌層 (foko) が露出する。 Foko は硫酸塩に由来して強酸性を呈しているため、作物栽培はきわめて困難である。この固結化した土壌が露出することが、現地住民の認識する土地荒廃 ( 砂漠化 ) の問題であり、近年、 foko の面積が拡大しているという。
  人びとは、固結土壌 (foko) に taki を投入することによって、トウジンビエ栽培に必要な作土層を構成する砂質土壌 (kasa) を作り出すことができることを知っている。 taki は脱穀や調理ででてくる作物の非食部分やわら、食べ残しだけではなく、家畜の糞、そして着古された衣類や布、買い物に使ったビニール袋、使い古されたゴム製のサンダル、鉄製の皿や鍋、使用済みの乾電池といった自然に分解しそうにない家庭ゴミも含まれている。村びとは習慣として、生活のなかで排出される肥やしを屋敷内にため、自らの所有畑へ運んでいた。 発表者が実施した圃場実験によると、有機物を投入した 3 日後にはシロアリが集まり、唾液と砂をまぜながら巣をつくっていた。 50 日後には、投入した有機物のほとんどは分解され、シロアリの巣の構成物である赤い砂が堆積した。この砂は「シロアリの砂 (kasa gara) 」と呼ばれ、肥沃度の高い土壌とされている。
 農耕民のハウサは耕作地の植物生産力を維持、改善するために、家畜の糞や家庭のゴミといった肥やしを耕作地に投入してきた。肥やしの積み上げは、地形面に微妙な高まりを作り、風食や侵食による固結土壌の露出を防ぐとともに、風で飛ばされてくる砂画分を受け止めるトラップ効果、シロアリの活動によって固結化した土壌を孔隙の多い状態にし、透水性を高める効果、そして土壌の化学性を改善する効果があることが明らかとなった。 つまり、農耕民は家畜の糞や家庭ゴミなどの有機物をトウジンビエ畑に投入し、シロアリの生物的な機能を利用することによって、固結化した土壌に作物の生育環境を創出しているのである。
 サヘルにおける砂漠化対策は植林が中心であり、その成果が芳しいとは言えない現状のなかで、肥やし (taki) の投入とシロアリの生物活動によって土壌の物理性・化学性の改善を図るというハウサの知識と実践は今後、サヘルにおいて実現可能な砂漠化対処技術を考えるうえで重要な鍵のひとつになるだろう。

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総括班主催『資源と人間』ワークショップII(05/03/07-08)
遊牧民の定住化にともなう資源利用の変化
-北ケニアのレンディーレ社会の事例から-

東アフリカ乾燥地域では1970年代から開発援助や国家の政策によって遊牧民の定住化が進んでいる。本発表では、ケニア北部に住む遊牧民レンディーレ社会の事例から、定住にともなう資源利用の変化に注目して、遊牧を継続していく可能性を考察した。
レンディーレは主にラクダとヤギ・ヒツジを飼養し、季節的な離合集散をくりかえす集落と放牧キャンプのセットからなる居住形態をもっている。しかし1980年代初頭に開発援助の影響で牧野に町が誕生し、現在では集落の大半が町の近くに定着した。しかしながら、降水量が少なく旱魃がひんぱんに発生するこの地域において家畜を飼養するには、牧草と水といった自然資源の状態に応じて移動することは不可欠である。この矛盾を解決するために、人々は従来の牧草地の共同利用を固持するとともに、放牧キャンプに家畜を集中させて高い移動性を維持した。その背景には、レンディーレ社会における性と年齢体系にもとづく分散居住と分業が機能していることは重要である。つまり、既婚者と幼児が集落に住み、未婚者を中心にキャンプで放牧活動に従事し、とくに社会的・文化的価値が高いラクダの放牧管理を青年戦士に担当させることによって、遊牧に必要な労働力を確保し、自然資源の利用知識を伝達することができたのである。
一方、町周辺の定住化は集落における現金経済の拡大を促している。これを対処するために、人びとは市場価値の高いウシを増やすようになり、さらに半砂漠でウシを飼うために欠かせない井戸を積極的につくるようになった。これら井戸を接点として集落と放牧キャンプ間の交流が即され、集落にいても畜産物へのアクセスが可能になった。また、個人がつくった井戸であっても集落や同一クランといった共同体の成員にも利用されている。このように牧草地だけではなく、井戸のような新しい資源も共同で利用されることは、遊牧を継続していく上で重要である。

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総括班主催『資源と人間』ワークショップII(05/03/07-08)
ボサビの人々は誰とバナナを奪い合うのか
-生態学における資源概念の検討-
小谷真吾(千葉大学文学部)

 ボサビは、パプアニューギニア高地辺縁部に居住する人口3000人程度の言語集団である。彼らの生業は、Slash and Mulchによる農耕、サゴデンプン精製、狩猟採集に大別されるが、エネルギー摂取量を分析してみると、Slash and Mulch農耕の産物であるバナナが、総摂取量の32%を占め最も多く消費されていることがわかる。バナナは37の品種に分類されており、植え付け数の多寡はあるものの、1品種に偏ることなく多様な品種が栽培されている。多く栽培されている品種は、硬く、調理を必要とし、1年程度で結実するという特徴を持っており、生産性が高く食害のリスクが少ない品種であることが示唆される。一方、そのような品種に偏らず多様な品種を栽培する理由として、結実期の異なる品種を栽培することで保存が困難であるバナナを年間通して生産することが可能であること、また病虫害のリスクを分散させることが出来ることが挙げられる。
  さて、バナナという資源を利用するこのような戦略は、エコシステム概念を用いた生態学の枠内で解釈することが可能であるが、彼らがバナナを換金作物として栽培していない以上、世界システム概念を用いるような社会科学の枠内で解釈することは困難である。資源という術語を巡って伝統知の重要性が論じられているが、知が果たしている機能をどのようなシステム内で解釈しているかを考慮しなくては、生態学と社会科学の資源を巡る対話も空虚なものになるだろう。


生態資源(印東)班国際シンポジウム(05/03/05)
ロシア極東地域における森林資源利用の課題
山根正伸(神奈川県自然環境保全センター)

 ロシア極東地域では粗放な商業的森林伐採と頻発する大規模森林火災によって森林資源劣化が急速に進んでいる。その背景にはソ連崩壊後の経済的・社会的混乱そして森林管理機構の弱体化が指摘されている。一方、丸太輸出に偏った同地域の森林資源利用は活況を呈しているが、地元社会への恩恵還元や森林保全への再投資は進んでいない。また、多発する違法伐採は資源劣化の加速要因として国際的な関心を集めている。本報告では、木材輸出国として急浮上した中国との関係に焦点をあてながら、同地域における森林開発、木材利用、木材輸出の現状を紹介し、持続的な森林資源利用に向けた課題を検討する。

生態資源(印東)班国際シンポジウム(05/03/05)
ロシアにおける森林政策と管理の現状:ハバロフスク地方を中心に
柿澤宏昭(北海道大学大学院農学研究科)

 ソ連崩壊後のロシアの森林政策は大きく揺れ動いており、特に2000年のプーチン政権誕生以降、森林・環境行政組織の抜本的な改革もあって混迷を極めている。こうしたなかで、もともと粗放であった森林管理はさらに弱体化しており、違法伐採や森林火災の多発が国際的な注目を集めている。本報告においてはハバロフスク地方を中心としながら、ソ連崩壊以降の森林政策の動向をその背景を含めて分析を行い、さらにプーチン政権下で進められている組織再編と森林法改正作業の現状を検討し、これら法制度・政策・組織が森林管理に与えた影響について考察を行う。

生態資源(印東)班国際シンポジウム(05/03/05)
ホル川ウデヘの生活と世界観における森林:
2002年のフィールドワークに基づいて
セルゲイ・ベレズニツキー
(ロシア科学アカデミー極東支部歴史学・考古学・民族学研究所)

 21世紀の今日、ホル川流域のグワシュギ村にすむウデヘの森の問題は、2つの民族狩猟採集共同体の活動が研究対象となるだろう。両者とも様々な商業ベースの活動を行なっているが、その中には、森林伐採、薪や野草の採取、狩猟と漁撈、商業用木材の生産と販売などが含まれる。本報告では2002年に行なった調査をもとに、その実態を明らかにする。

生態資源(印東)班国際シンポジウム(05/03/05)
ハバロフスク地方ナーナイ地区の北方少数民族が直面する森林問題
アンドレイ・サマール
(ロシア科学アカデミー極東支部歴史学・考古学・民族学研究所)

 ナーナイ地区における森林問題は、北方少数民族がすむアニュイ川流域における「アニュイ国立公園」の開設に見て取ることができる。公演開設は、雇用の問題を解決できるという側面も持っている。しかし、同時に、先住民と役人との間で、広大なナーナイ地区の森林の中にガス運搬用の道路を建設するという大きな問題も引き起こしている。

生態資源(印東)班国際シンポジウム(05/03/06)
ロシア極東、沿海地方の先住民族ウデヘの森林資源利用史
佐々木史郎(国立民族学博物館)

 ロシア極東沿海地方の先住民族ウデヘは森の民である。ウスリー川の支流や日本海に注ぐ河川での漁撈で食料を得つつも、周囲の森から得られる動植物資源は彼らの生活と文化の基礎であった。しかも、彼らにとって森林資源は自給のための生活財だけでなく、交易活動や商業活動を支える特産物にも転換された。その代表的なものが毛皮と薬草である。しかし、近世においては商業活動といえども、封建的な国家統制下にあり、ウデヘの商業活動もその中で発展し、ある時には繁栄を見せていた。したがって、彼らの商業的森林資源利用方法は、近世東アジアの封建的経済体制の中で形成されてきたものであり、そのための技術、例えば毛皮獣猟の罠類や技術、あるいは植物に関する知識なども、その影響を大きく受けたものであるということができるだろう。本報告では、それが近代の到来とともにどのように変化したのかを検証する。

生態資源(印東)班国際シンポジウム(05/03/06)
近代における野生動物資源の開発とそのインパクト:
東北日本のマタギ集落の事例を中心に
田口洋美(東京大学大学院新領域創成科学研究科)

 日本国内に於ける森林資源、特に野生動物資源の開発は近世末期から近代を通して隆盛を見た。近世末においてはクマの胆を有するニホンツキノワグマが、近代以降、昭和40年代までは毛皮獣が、野生動物の資源利用を象徴するものとなった。これは日本が近代世界システム(世界市場)の毛皮交易圏に組み込まれていったことに起因するが、軍部による兵員用防寒毛皮の需要の増大に伴ってより顕在化してゆく。本報告では、日本国内における近代の市場経済化の動きが山間集落の生活構造に与えたインパクトを検証することで、現今の森林問題と野生動物の保護管理問題への歴史社会的視点の重要性を確認する。


小生産物(小川)班2004年度第3回研究会(05/02/19)
「東アフリカ先史時代の石材利用について」
衣笠聡史(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

 本発表では、GIS(地理情報システム)を用いた研究手法を紹介するとともに、石器の分布から見た過去の東アフリカ遊動社会における資源の調達・生産・消費・交易について報告した。タンザニア北部のセレンゲティ国立公園のグラスランドを対象として、地表面に散在する石器の分布を調べた結果、①石英、珪岩、チャートなどの比較的近い場所で入手可能な石材で製作された石器は、それぞれの石材の産地に近い場所に多く分布し、②黒曜石、湖底堆積物起源のチャートといった対象地域周辺には産地が無く、交易など何らかの方法で外部から過去の人類が持ち込んだ石材で製作された石器は、水場が少なく風雨や日差しを防ぐシェルターも限られている「生活しにくい」地域に多く分布していた。これらの結果から、対象地域では東アフリカの同時代の遺跡と同じく在地の石材を利用する傾向が強いが、「生活しにくい」地域を利用する移動性の高いグループと交易を可能とする社会的ネットワークが存在していたことを示した。

小生産物(小川)班2004年度第3回研究会(05/02/19)
「国家の商品、人々の商品?-ケニアの資源開発をめぐる動態的考察」
石井洋子(日本学術振興会特別研究員)

 本発表では、ケニア共和国・ケニア山南麓で生産される一商品作物と地域社会の関係に焦点をあて、ローカルな脈絡におけるグローバリゼーションの一側面を検討した。具体的には、政府との契約下でコメを生産する、ケレニャガ県ムエア郡に暮らすギクユ人社会に注目し、ハード・ランディングにもたらされた農産物自由化という動きのなかで、人々がいかなる生計戦略を打ち立てたのかを詳細に追った。本発表の大目標としては、資源人類学の枠組みにおいて「資源開発」という問題群を通時的に捉え、地域社会・国家・超国家的領域の連関を体系的に検討すると同時に、人々が資源(コメ作りの技術、具体的に利用されるモノ)を「再発見」していく可能性を論じることであった。
  現在ケニアの地域社会は、20世紀後半からの脱冷戦の時代のなかで、大きく揺れ動いている。それは、「小さな政府」と複数政党制の復活といった新自由主義、「民主化」という一連の動きと連動し、人々の生活を支える農業を中心に自由化がもたらされたことによる。人々は、こうしたポリティカル・エコノミーの変化に翻弄されながらも生計維持をおこなうが、その社会的実践を明らかにする試みは未だ少ない。本発表では、農産物自由化の過程で従来のコメ作りの様式が崩壊していくなかで、「見よう見まねのコメ作り」を開始した若者たちの実践を紹介した。
  ケニア山南麓のコメは、イギリス植民地時代末期に端を発する。近代的な灌漑設備を有する同地の水田地帯は、日本を含めた多くのODA資金を取り込み、東アフリカ最大の規模を有するに至った。しかし、自由化を求める人々の要求とともに、これまでの最新技術に基づいたコメ作りは行き詰まりを見せたのである。そうした中、若者達はトラクターや高額な肥料の使用を控え、マーケティング・ボードの存在を否定し、自らのコメ作りに挑んだ。それは、かつての資源をめぐる非対称的な人間社会の関わり方(資源を有用なモノにする作業を担う地域住民━それを利用する国家)が破綻する中で見出された実践である。こうした「資源の『再発見』」は、内発的な開発・発展のあり方の一例を提示すると共に、今後のアフリカ社会の可能性を捉える重要な視点となる。

小生産物(小川)班2004年度第3回研究会(05/02/19)
「アメリカ北西海岸先住民社会へのサケ漁業の導入」
立川陽仁(三重大学、講師)

 北米・太平洋沿岸部における約100年間のサケ漁業の歴史は、いくつかの技術的転換を経験した。本発表は、こうした技術的転換の1つであるまき網漁船へのドラム搭載(1970年頃)をとりあげ、それが先住民社会にもたらした社会・経済的意義を検証することを目的とする。
  ドラムの搭載は、費用こそかかるが搭載しさえすれば操業効率を上昇させてくれる。それは漁獲の増大、ひいては収入の増大をもたらす。先住民漁師もこの恩恵に預かっている。1970年代、アラート・ベイという先住民の村に関して流れた「世界でもっとも人口あたりのタクシー台数が多いところ(それだけ人々はタクシーを頻繁に利用できる)」という噂は、あながち嘘でもない。そのほか、ドラム搭載は現在でも先住民まき網漁師に特徴的な、徒弟的な集団編成を顕在化させるきっかけにもなった。ドラムの搭載は、クルーの作業から“力仕事”的な要素を奪い、ワザに大きく依拠する少人数による作業を要求する。まき網操業はそれぞれ1人の“専門家”が担う5つの役職からなる分担作業となり、さらに作業上のこうした変化は、それぞれの役職とそれを担うクルーが、必要とされるワザの難易度にしたがって序列化される状況をもたらした。これに対し、先住民は徒弟的なクルー集団に16歳になった男子をなかば強制的に送り込むことによって、労働力を維持させるだけでなく、長期的なワザの訓練も可能にしてきたのである。
  このように、先住民はドラム搭載という技術的転換に対し、みずからの労働態度を修正することで、それにうまく対応してきた。こうした分析は、ドラムの搭載がこの地域におけるサケ漁業と先住民との関わりを弱体化させたという従来の歴史学的な見解に意義を唱えるものである。


文化資源班/貨幣資源班合同研究会(04/12/18)
「資源としての沖縄戦―観光ガイドのエイジェンシーをめぐって」
田中雅一(京都大学)

本報告では、沖縄戦(1945年)を題材に、それが観光との関係でどのように位置づけられてきたのかを、平和学習ツアー、慰霊祭、米兵による二つのツアーの4つを紹介して、考察した。本土復帰後、沖縄を訪れる人の多くは青い海、灼熱の太陽、そして白い砂浜の三つを求めるリゾート客か異国情緒あふれる伝統に接する観光客である。こうした観光からずれるものとして、日本で唯一の地上戦が行われたとされる沖縄の戦跡や米軍基地を訪ねる平和学習ツアーがある。沖縄には日本に存在する米軍基地の75パーセントが集中し、本島の20パーセントを占める。過去の戦争と現在の基地を題材に、平和を考えるというのが平和学習の意図である。これに対し、各県の遺族団が、県の戦没者の慰霊塔の前で行う慰霊祭も毎年行われている。これは、沖縄や南方で戦った日本兵を慰霊するツアーである。そこでは当然ながら日本兵による沖縄人民への弾圧が語られることはない。
  最後に米軍基地で組織される二つの沖縄戦に関わるツアーを紹介し、ガイドがはたす役割について考察した。すなわち、ひとつは日本人女性が、もうひとつは退役米兵がガイドをする。前者では日本兵の悪行が批判されるが、最後にハンセン氏病の施設に行くことで、沖縄人民もまた差別者であり、抑圧者であることを指摘する。他方、後者の場合ガマ(洞穴)で沖縄戦の遺留品を発掘することが目的となっている。沖縄戦という歴史的な出来事へのさまざまなアプローチを紹介することで、観光資源としての戦争の意味を考察した。

文化資源班/貨幣資源班合同研究会(04/12/18)
「フランス植民地主義における〈文化〉の資源化」
森山 工(東京大学)

 本発表では、フランス植民地主義の二大潮流である〈同化〉(assimilation)と〈協同〉(association)に着目し、とりわけ第一次世界大戦後の植民地行政において、〈協同〉が公式教義と化してゆく過程をあとづけながら、〈文化〉がそこでどのように〈資源化〉されてゆくのかを、植民地マダガスカルに焦点を当てながら明らかにするとともに、〈文化〉と〈資源〉との関係について理論的に考察することを試みた。
  マダガスカルは1896年にフランス植民地に組み込まれたが、第一次世界大戦後の1920年代になってナショナリズムが本格的な勃興をみた。当初そこにおいて要求されたのは、フランスへの〈同化〉、すなわち、フランス本国との法的・制度的格差をなくし、マダガスカルの〈現地民〉を集合的に〈フランス市民〉として認定することであった。だが、1930年代も半ばになると、このような運動とは一線を画し、明確にフランスからの〈独立〉を志向する急進的ナショナリズムが台頭した。
  このような動向を受けて、フランス植民地省ならびにマダガスカル植民地行政府は、〈独立〉派を牽制するべく、〈現地民〉の〈同化〉条件を緩和する一方で、〈同化〉要求それ自体に対抗するために、〈協同〉を公式教義として植民地の内外で盛んに宣伝した。また、そこにおいては、〈政治〉の領域に世論が焦点化することを回避すべく、〈現地の慣習の尊重〉を強調することで、〈文化〉の領域での〈協同〉という姿勢を明確化した。
  以上のような施策は、フランスによる植民地化の後に廃絶されたメリナ王朝の最後の君主、ラナヴァルナ3世の遺骸を、配流地であり埋葬地でもあるアルジェリアからマダガスカルへと移葬する儀礼(1938年10月)に、集約されたかたちで見ることができる。本発表ではこの儀礼を分析するとともに、それを導きとして、〈文化〉と〈資源〉との関係を、〈資源化〉の主体・客体・目的、〈資源化〉の階梯、〈文化〉の〈資源化〉と〈文化〉のための〈資源化〉、フレームとしての〈文化〉とフォーカスとしての〈文化要素〉などをキーワードにしつつ、理論的に考察した。


貨幣資源(春日)班2004年度第3回研究会(04/12/06)
コーリン・ダンカン(Colin A.M. Duncan)
カナダ・マギル大学 (McGill University)
「生きている自然と地域経済の関係に関するアダムスミスの言説」
"Adam Smith Said Living Nature Favours Local Economy "(英語講演)

Given the remarkably volatile behaviour of global capitals in the last half century it is increasingly ironic that Adam Smith, the long-time 'patron saint' of capitalism, thought that if people apply capital sensibly it is the local level of economy that will benefit the most. It was his belief in the large and direct role of living nature in agricultural activities that underlay this point. It has been the post-Smithian belief in the inevitability of industrial capital's dominance that has prevented us from remembering, let alone further exploring the implications of his emphasis on living nature. Ricardo and Marx focused on labour-saving and thought that agricultural production had to be increased extensively and industrially. They and later policy makers world-wide consequently expected rural depopulation. In striking contrast Smith's implicitly ecological views reveal that he had great faith in the sheer biological potential of soils carefully managed by people deeply embedded in local economic circuits, only epiphenomenally bound up in long-distance trade.

貨幣資源(春日)班2004年度第3回研究会(04/12/06)
ルース・サンドウエル(Ruth W. Sandwell)
トロント大学オンタリオ教育研究所 (University of Toronto)
「微視的歴史、資源利用、そして地域経済」
"Micro-History, Resource Use, and Local Economy"(英語講演)

Historians have measured modern change in North America as a linear, uniform transition from "pioneer" subsistence towards urban industrial capitalism. Micro-historical community studies reveal instead that ordinary people focused on the imperatives of the household, and, even in North America, forms of capital had to adapt to this ancient economic form. In most of Canada until the last half century the penetration of capital was consequently very uneven. This paper explores the ways in which, notwithstanding their intermittent participation in global capitalist resource extraction, the members of one 'pioneer' community in coastal Canada used the rich local environment, existing indigenous knowledge, and the state's generous land-granting policies to create a society in which direct household access to resources frustrated capitalist growth.


小生産物(小川)班2004年度第3回研究会(04/11/27)
マダガスカルにおける稲作の20年
-マジュンガ州の一村落における高収穫品種の受容とその影響-
深澤秀夫(東外大AA研)

 構造調整計画の受け入れとそれに伴う米の公定価格制度の撤廃→米価の上昇→物価の上昇→水田の細分化→収量の増大願望によって、1980年代から急速に見よう見まねで受容され普及したマジュンガ州北部の一村落における高収穫品種と移植稲作法の導入は、田植え作業を協同労働から各世帯内での労働力に委ねることになった結果、その労働力の不足を賃雇いや地上耕作権の貸し出しによって解決する方向へと必然的に向かった。これにより現金を多く持つ世帯では、自己の水田だけではなく地上耕作権を積極的に借り受けその水田に必要とされる労働力をお金によって充当し、入手する収穫量を増大させると言う、村内における水田経営規模拡大の現象を生みだしつつある。米価が上昇し、それが確実に売却される限り、土地そのものを獲得しなくても、地上耕作権の取得による作付け面積の拡大は、現金収入増大の確実な戦略である。すなわち、現在のツィミヘティ族農民の間では、大規模「小作人」こそが富裕者なのである。さらに、見よう見まねにより無施肥のまま高収穫品種を密植した弊害が、単位収量の低下や病虫害の蔓延として現れ始めており、このこともまた農薬や化学肥料を買うことのできる富裕農民にのみ事態を打開する糸口が与えられると言う結果を招いている。その一方、所有権や用益権を持つ水田面積の狭い世帯や現金を持たない世帯では、現金の必要のない刈分け小作水田を得ることによって少しでも世帯に入る米の収量を増大しようと図ると同時に、田植えの賃雇いに積極的に出ることによって現金を獲得しようと図っている。
  移植法をともなった高収穫品種の導入によって、「地主」そのものが生成していないにもかかわらず富者と貧者とに村内が経済的に分化しつつある現在進行形の現象に、注視してゆく必要がある。なぜならツィミヘティ族の場合、<富裕者>とは、単に物質や財貨を多く所有する者のことではなく、神や祖先の祝福によって、稲の豊作や牛の増殖や子孫や長寿に恵まれた者のことであり、それゆえ限られた共同の財産の道徳的に許されないあるいは非合法な手段による簒奪者などではなかったからである。しかし、現実的な富や財産の分配の二極化を前に、このように<富裕者>を位置づけ称揚する共同の視点を今後とも保ち続けると共に、同じ村の成員であるとの共属意識を維持することができるのかどうかが、今鋭く問われ始めている。果たして<富裕者>もまたその聖性を剥ぎ取られ、<土地の主>が土地そのものを所有する<地主>へと転化てゆくのであろうか?その答えはおそらく、霊的存在としての<土地の主>を失った土地が、それでもなお<祖先の土地>であることにおいて売却処分権を伴わない用益権の継承と分有だけに限定されている現状が、売却をも含めた所有権へと転化するか否かと軌を一にしていると言えよう。そして<土地の主>が<地主>へと転化した時、自作農民による自律的な決定権のもとに耕作と栽培が進められてきた小商品としての米は、単なる市場において取り引きされる商品の一つとなり、農民自身もまた「小農」から逸脱してゆくに違いない。

小生産物(小川)班2004年度第3回研究会(04/11/27)
「コートジボワールの地場食品流通とジュラ商人」
原口武彦(新潟国際情報大学)

1.ジュラ商人とは
 もとは西アフリカのマンディンゴ語系の語で、植民地化前、長距離交易に従事する巡回商人を意味する普通名詞であった。彼らはサバンナ地帯と熱帯雨林地帯の1000キロ以上に及ぶ南北交易ルートに点々と通商拠点を築き、サバンナの側からは岩塩や織物など、熱帯雨林地帯からはコーラの実や金などを交易商品として活動していた.彼らの用いる言語は次第にもともとの母語であるマリンケ語(マンディング語系の一言語)から自立し、ジュラ語と呼ばれるようになり、「ジュラ」という語はやがて飛び地的通商拠点の周辺で族的な意味内容を帯びてジュラ人という呼び方をされるようになってきた。今日ではこの国の公用語であるフランス語ではなくジュラ語を商取引の言語として使用している商人層を一般にジュラと呼んでいる。
2.コートジボワールの流通機構の棲み分け
 レバノン・シリア人……輸出入商品(コーヒー、ココア、輸入工業製品など)
 ジュラ商人    ……地場食糧作物の卸売業(ヤム芋、キャッサバ、米、プランテン・バナナなど)
3. 政府の流通機構近代化政策
 AGRIPAC創設政策の失敗
4.コートジボワールのジュラ語
5.プランテン・バナナの流通過程(スライド)
  (付)アチェケ(キャッサバの調理法のひとつ)の作り方

小生産物(小川)班2004年度第3回研究会(04/11/27)
レユニオン島の製糖関連産業
小田淳一(東外大AA研)

 本報告は,インド洋南西部に位置するフランスの海外県レユニオンにおける製糖関連産業の歴史と現状を概観し,人の移動とモノカルチャーが生み出した多文化社会との関わりについて述べたものである。現在のレユニオン経済は,平均失業率が約34%で歳入の多くを失業保険や生活保護費などの移転所得に頼るという状況であるが,その中で総輸出額の約半分を砂糖が占めている。製糖業の経済的重要性はそれだけではなく,二次生産物であるラム酒,サトウキビ搾り滓の燃料や飼料等への転用,その他の製糖関連産業(輸送,管理など)が生み出す雇用,工場見学ツアーの実施など観光業とのタイアップ,更には巨額の減価償却費と補助金等々といった側面を考慮すれば,レユニオンの経済構造は典型的なモノカルチャーである。この300年にも亘るモノカルチャー(18世紀初めから約一世紀続いたコーヒー栽培の時期を含む)によって周辺地域(マダガスカル,アフリカ,インド,中国)から様々な民族が労働力として奴隷及び契約労働者という形で小さな島であるレユニオンに大量に移住して来た。19世紀後半にはそれらの移民に加えて商業を営むために広東省からの中国人,インド人ムスリム,更に海外県化以降はフランス本土からの公務員や他のヨーロッパ系移民も島に入り,このような多民族の絶え間ない流入を通して,レユニオンのサトウキビ・モノカルチャーは他の旧植民地にも況して,特徴的なクレオル文化の形成に決定的な影響を与えたと言える。モノカルチャーが混成文化を生じさせること自体はその地域特性上他にも例があるが,本土からの観光客誘致のための惹句にも用いられるレユニオンの様々な意味における「多様性」は,単一作物であるサトウキビの言わば廃物利用であるラム酒に,それぞれの民族が持ち込んで来た素材を漬け込んで作るレユニオン独特の混成酒(ラム・アランジェ)が体現するローカルな自己完結性と興味深い対照を成しているのである。


貨幣資源(春日)班2004年度第2回研究会(04/10/16)
儀礼交換と近代―ファイン・マットをめぐる政策と経済
山本真鳥(法政大学)

 サモア社会には、女財(=女性の生産するもの、ファイン・マット)と男財(=男性の生産するもの、ブタ・タロイモ等、現在は現金、工業生産の食料など)とがあり、姻族間の儀礼交換で両者は交換されている。サモアの儀礼交換は、人生儀礼等の一環として行われるが、その特徴として、贈与には返礼が伴い、贈り合いが他の姻族間の交換を引き出してイモヅル式に拡大していくのである。とりわけ戦後一時下火だった儀礼交換は、移民の海外流出に伴い、海外コミュニティでも行われるようになってきており、流入する現金に対する財としてファイン・マットが恒常的に海外へと流出してきた。これに拍車をかけたのは、ファイン・マットの粗悪化であり、従来数ヶ月から1年で1枚生産していたのが、3日~1週間程度と短縮していた。現在海外での儀礼交換においては、本国の10倍以上の規模の交換が行われている。
そのような状況の中、90年代始めに女性省の設置、女性のための所得創出プログラムやNGOの活動の開始などがあり、粗悪なファイン・マットを廃して上質のファイン・マット生産を奨励する運動がNGOや政府のイニシアチヴで始まっている。文化財としてのファイン・マット保護も政府の視野のうちにある。新しい動きは、儀礼の場を離れてのファイン・マットの現金取引から後ろめたさを消した。また、編み手の労働を正当な賃金に転換する新しい平面を切り開いたと言える。そのような形で、なかなか賃金に換算できない女性労働をジェンダー化しつつ現金収入に変換することをやってのけた。
しかし一方で、これまで野放し状態だった儀礼交換制度にある種の枠をはめて粗悪品を廃するという政府の指導に民間人がどれだけ従うか、ファイン・マットの生産において買い手と編み手の間をとりもってコミッションをとるNGOの活動が今後どう評価されるか、これまで出回っている大量の粗悪品のファイン・マットが影を潜めるのか、とりわけ海外に流出した粗悪品のマットが海外でいかに扱われるようになるのか、などについて今後の動きを見守っていきたい。


貨幣資源(春日)班2004年度第2回研究会(04/10/16)
転倒の資源論
―バヌアツのポリネシアアウトライヤー・フツナ島民の交換儀礼と食物禁忌
竹川大介

 バヌアツ共和国フツナ島はポリネシア文化の影響が強く、多くの禁忌が存在する。こうした禁忌を、食物採集・資源利用における機能的な面から説明するのは無理がある。彼らの膨大な自然に関する知識の中から規制という形で表面に現れるのは実際にはほんのわずかなのである。一方で規制やタブーの中に彼らの世界観が反映されているという考えは魅力的だ。しかしそれも現実的には疑わしい。すなわち機能に注目したエティックな説明も、象徴性に注目したエティックな説明も禁忌の問題を扱う上で十分なものとはいえないのである。
 では、そもそも彼らはなぜ複雑な交換システムや禁忌を構築するのか。いっけん荒唐無稽なイーミックな説明のなかにそのヒントがある。こうした禁忌はそれ自体なにかによって説明されるのではなく、もっぱらその社会で起きたことを後付け的に説明するために利用されている。すなわち説明が規則をつくるのではなく、規則が説明をうみだしているのである。この立場が転倒の資源論である。


知識資源(ダニエルス)班2004年度第2回研究会(04/09/18)
記憶・連想・抜書
―前近代における知の蓄積と認識のありようについて―
前田雅之(東京家政学院大学)

 従来、記憶に関しては、文字資料(=文献)を補うものとか、あやふやなものとか、といったあまり積極的な評価がされてこなかったと思われる。しかし、前近代の古典を享受した時代にとっては、記憶は一等重視された知の蓄積手段であり、記憶と結び付いた連想・アナロジーは認識の形(=古典的思考)であった。
  近代人は、100の情報を3に要約・縮減でき、それによって物事の主題に迫ることが可能となったが、前近代の人間は、要約はできなかった。というよりもできなかったのである。その代わりに記憶し、抜書した。要約をしないところから生まれる認識形態こそ、記憶・連想・アナロジーである。これを駆使することによって、前近代の人間は、物を見、歌を詠み、対象を叙述し、知的資産を蓄積していたのである。
 今回は、記憶のあり方を日本古典の享受・創造に絞って論じてみたい。


知識資源(ダニエルス)班2004年度第1回研究会(04/07/17)
「資源としての知識」という問題設定をめぐる私論
大塚和夫

 「資源としての知識」、なんと収まりの悪い言い回しだろう。おそらくそれは、「資源」という用語が、特定の人間集団にとって有用な物資という意味合いをもつからではないか。そこからいくつもの疑問が生まれてくる。知識は物資であるのか、モノとみなしえない知識があるのではないか。有用な知識とはどのようなものか。また無用さらに有害な知識との関係は。そもそも誰が特定の知識を有用、無用、有害と判断するのか、その判断基準は人類にとってどこまで普遍的なのか、エトセトラ・・・。
  知識の伝達の場面に限って考えよう。今日、特定の職場では、作業手順が言語(文字)化されたマニュアルが用いられている。それは職場では広く公開され、全従業員が共有すべき知識となっている。それは資源なのかでは、コツや技は親方から教わるのではなく盗め、といわれていた昔の工房ではどうなのか。コツなどはマニュアル化どころか言語化すらされず、弟子は親方の身体動作を密かに観察しながら真似るもの。そもそもこのような「技」は、知識といえるのだろうか。
  知識伝達の媒体は、身体動作のような非言語と言語とでどう違うのか。言語を用いた場合でも、話し言葉と文字の相違は。文字記録は保存されるのか否か。保存されるとしても誰が何のために、どのように保存し、どのようにして活用、すなわち「資源化」するのか。そのような知識の保存や伝達を保証する権力装置や社会機構はどのようなものか。そして「知識人」の役割は・・・、問いはどこまでも続きそうだ。
  さしあたり、専門としているイスラームにおける「知識」の位置、そしてさまざまな種類の「知識人」の役割とその歴史的変容の分析から着手していこう。人類学という「知識」ははたして資源となりうるのか、という自省的な問いも抱きつつ。


B01認知・加工(松井)班、A03小生産物(小川)班合同研究会(04/07/04)
「マヤの織物の民族誌」
熊谷高秋(大阪大学大学院)

 本発表では、メキシコ南部、チアパス州における織物の製作と受容のプロセスについて考察した。これらの織物は村落共同体において、インディヘナ(先住民)の女性たちの手で織られる。本発表では、1970年代以降、これらの織物が外部との関係性のもとで、その様態を変化させてゆくプロセスの考察に力点をおいた。とくに興味深いのは、天然染めや縫取織りといった「伝統」的な技術を復興させる一方、その結果完成した織物を「アート」として展示・販売する織物組合「スナホロビル」のプロジェクトである。スナホロビルのプロジェクトは商業的にも成功し、かつ伝統文化の復興に寄与したとして、メキシコ国内外で高い評価を得ている。また1986年にはメキシコシティのルフィーノ・タマヨ美術館で開催された「メキシコの織物」点は、マヤを含むメキシコ先住民の織物を民族誌資料としてではなく、アートとして展示する、初の試みであった。 
 ルフィーノ・タマヨ美術館の展示において興味深いのは、そこにモダニズム芸術と人類学の視線が交差している点である。人類学はこれまで、非西欧の造形を「アート」として語ろうとするモダニズム芸術の言説を、西欧中心主義的であるとして批判してきた。しかしながら一方で、人類学者がこれまでしてきたような、非西欧の造形を特定の「文化」や「民族集団」の内部に位置づける方法には、西欧とそれ以外の非西欧という二分法と、それに伴う視野の偏向性が内在している。必要なのは、モダニズム芸術、人類学ともに、近代西欧の内部から出発せざるを得ないということ、そして、そこから逃れることの不可能性を自覚したうえで、どちらのアプローチが有用なのかを考えることである。つまり、モダニズム芸術は、いかに西欧中心主義の傾向があるとはいえ、非西欧地域の造形を自らとの連続性のもとで語ろうとしているのだ。


小生産物(小川)班、貨幣資源(春日)班合同研究会(04/06/26)
地域通貨は何故使われないのか?
富沢寿勇・湖中真哉(静岡県立大学)

序論・要旨 (富沢寿勇)
 地域通貨は特に1980年代初頭から欧米中心に広まり、日本各地でも90年代以降、激増している。その目的としては、貨幣代替として導入されるもの、特定地域内での経済循環を構築し、モノ・サービスの地産地消を推進し、地域にある能力や資源を可能な限り内部で保持し、循環させるためのもの、さらにはボランティアやアンペイドワークといった、貨幣評価が難しいが、コミュニティ内では必要とされるインフォーマルな経済領域で導入されるもの等がある。
 グローバリゼーションの猛威から地域経済社会を防御するために、地域内の自律的な経済循環の構築・再構築を目的として導入されるタイプの地域通貨は、資源概念を通じて換言すれば、当該地域の自然資源、社会資源(人的資源、サービス、等)から成る地域資源の地域内循環、総じて、地域の物質的、非物質的循環を(再)構築するための仕掛けであり、いわば象徴系に属する社会・文化装置と言える。
 ここでは2001、2002年に行った静岡県内旧清水市(現静岡市)の清水駅前銀座商店街の地域通貨「エッグ」の調査結果を報告する。詳しくは湖中報告に譲るが、ひとつの結論として指摘しておきたいのは次の通りである。まず、地域通貨といっても、「地域」に介在する「超地域的」アクター(国家、地方行政府、国際的な地域通貨運動家やNGO、NPO団体、等々)が多層の次元で重要な作用を及ぼしていること、また「貨幣」といっても、一方では擬似貨幣としての面白さ、遊び感覚の面白さがその流通を促進させる所もある反面、しかし他方では逆に、それが真性の「貨幣」の形式を備えているが故に、地域社会の互酬原理と抵触する市場交換(市場原理)を彷彿させるモノとして、その流通と受容にしばしば抵抗感を導くゆえんとなっていることである。

小生産物(小川)班、貨幣資源(春日)班合同研究会(04/06/26)
地域通貨はなぜ使われないか:静岡県の事例
湖中 真哉(静岡県立大学)

 本発表は、静岡県静岡市清水の清水駅前銀座商店街において導入が試みられている地域通貨EGGを対象として、民族誌的な報告を行い、「地域通貨はなぜ使われないか」という問題をめぐる考察を展開した。地域通貨EGGは、コミュニティの活性化を目的として、商店街の店主達に対象を限定して、2001年から運用が開始された。しかし、参加者は、組合員の29%であり、活発に運用されているとは言い難い状況にある。地域通貨に積極的でない人々は、(1)商業的利益に繋がらない、(2)他人行儀に感じられる、(3)遠慮意識を免れない、などの理由を挙げた。
 戦後の闇市を出発点とするこの商店街においては、様々な活性化活動が展開しており、アーケードや延命地蔵等の象徴物が、共同性の醸成に役割を果たしてきた。なかでも、商店街青年部が1971年から1982年にかけて発行していたミニコミ誌『かわら版』は、対内性を重視し、店主同士のコミュニケーション円滑化のためのメディアとして機能してきた。商業的利益よりも共同性、対外性より対内性を志向する地域通貨EGGは、こうした『かわら版』の現代的な再版形態として理解できる。また、地域通貨の導入に7ヶ月先立って、この商店街では商業的利益をねらって「EGGスタンプ」を導入しているが、地域通貨が、このスタンプと対置され、非商業的なものとして店主達に認識された可能性がある。
 ただし、「地域通貨はなぜ使われないか」という問題機制そのものを再考する必要もある。地域通貨が目指す社会的幸福の度合いは、一定の基準の下に計測することが困難であり、地域通貨の不活発な使用を批判したり、地域通貨の優劣を論じたりすること自体が、市場経済原理による判断であることには、留意する必要がある。むしろ、「使われない地域通貨」を奇異なものとして排除するのではなく、異文化理解の対象として理解を試みることこそが、地域通貨の経済人類学が向かうべき方向であろう。

【↑】

小生産物(小川)班、貨幣資源(春日)班合同研究会(04/06/26)
「資本に転化しない地域通貨」
丸山真人(東京大学)

 貨幣には、資本に転化するものとしないものとがある。前者はマルクスのいわゆる「貨幣としての貨幣」すなわち金を出発点として、商品交換関係の中で独自の進化を遂げたものである。今日の管理通貨もその延長上にある。これに対して、資本に転化しない貨幣は、共同体内部に使用が限定された支払い手段や交換手段であり、金や国家の信用を本位とせず、地域社会における労働能力、コモンズ、信頼関係など、地域限定的な「資産」を拠り所としている。もちろん、一村一品運動のように、本来地域の資産であったものが全国ブランド化して資本に転化する貨幣で売買されることもありうる。しかしながら、今、さまざまな方面で注目を集めている「地域通貨」は、資本に転化しないことを共通の合意として、従来の貨幣とは異なった進化の方向を模索中である。
  本発表では、こうした地域通貨を、発行の拠り所となる地域資産の種類によって、いくつかのタイプに分類し、どこで資本への転化の道が絶たれているのかを明らかにした。まず、労働能力本位の地域通貨は、労働能力を有する個人が発行するものであり、その人物の労働能力を必要としない人やグループはそれを受け取るインセンティブを持たない。また、地域内部で循環するような資源を本位とする地域通貨も、そのような資源を必要としない部外者にとっては無価値に等しい。地域の信頼を本位とする地域通貨となれば、まさにその信頼の外部にいる人にとって無意味以外の何物でもない。
  もちろん、地域の内部でそうした地域通貨のいくつかが「地域資本」化する可能性は否定できないが、それが地域外部に流出する可能性はきわめて低く、従来の貨幣とは互換性がないものと見るべきである。むしろ、従来の貨幣では十分に媒介することのできない相互扶助や地域内物質循環など、福祉やエコロジーの分野で地域通貨の独自の役割が期待されているのである。その意味で、地域通貨は従来の貨幣に対して補完通貨と呼ばれることがある。

小生産物(小川)班、貨幣資源(春日)班合同研究会(04/06/26)
与謝野有紀
地域通貨の成功条件の検討
-ブール代数アプローチの適用可能性について-

 地域通貨は、「人と人のつながりの再生」、「地域経済の活性化」などの期待を担って日本の各地で運営されており、多くの地域へのさらなる展開が見込まれている。地域通貨は、新聞等、マスコミにおいても取り上げられることが多く、そこでも、地域の問題を解決する切り札といった色調の議論がいまだ見受けられる。しかしながら、日本の地域通貨の現状を考えるとき、地域通貨を「夢の通貨」のように受け止めることには慎重さが必要だろう。日本の地域通貨はいまだ試みの段階にあり、地域通貨が期待されるように機能しつづけるかどうか、また、どのような条件で期待された機能を十全に発揮するのかについては、理論的にも、経験的にもいまだ手探りの状態にある。
 本報告は、このような現状を前提とし、地域通貨の「成功」条件を整理しようとする方法的試みである。地域通貨にどのような機能を期待するのかは地域通貨ごとに異なっているから、「成功」を一義的にとらえることはできない。しかしながら、地域通貨が導入時において期待された機能を十分に発揮し続けるとき、地域通貨が「成功」したとして位置づけることは許されよう。ここでは、地域通貨の「成功」をまずは「流通量」「使用量」によって第一次近似し、今後の検討のための経験的アプローチの方向を探る。具体的には、C.C.Raginにより提唱された「ブール代数アプローチ」の有効性を示し、この手法の今後の適用可能性を具体的な分析例を示しながら手短に検討していく。
 分析に用いたデータは、全国20の地域通貨の運営担当者に対する電子メール、電話、および直接の聞き取り調査の結果である。分析の結果、「商店での利用が可能であること」を前提に、地域によってことなる二つの「成功条件」が導かれた。これらはあくまで「最初の試み」であり、データ上も方法上も、いまだ解決すべきいくつかの問題があるから、この結果をもって一般的知見とすることはできない。しかしながら、地域通貨をめぐるこのような問題を考えるとき、横断的比較と事例志向性の利点を生かす分析として、ブール代数アプローチがもつ今後の可能性の大きさの一端は示しえたと考えている。

【↑】

小生産物(小川)班、貨幣資源(春日)班合同研究会(04/06/26)
高瀬武典
地域通貨の成功条件の検討
-ブール代数アプローチの適用可能性について-

円兌換方式地域通貨の試み
 一般に、地域通貨の導入は地域社会の活性化を目的とする。ここで期待される「地域社会の活性化」の具体的な形態の主なものの一つとして商店街のタウン・マネジメントが考えられる。なぜならば現代日本では地域社会の衰退が自営業の重要性の低下と平行して進行しているために、自営業小売店の集合である商店街が「地域社会」の衰退を「シャッター通り」などのかたちで視覚化させているからである。そして、地域通貨のなかには、商店街の活性化という目的を経済面で純化させて、国家通貨(円)の流通を商店街内において促進させることを第一に目的とする形態が出現しており、これからも多く企画されるものと思われる。
  今回の報告では、今年の5月に開始したばかりの滋賀県守山市の地域通貨「もーりー」の仕組みと現状について紹介した。従来の地域通貨がボランティア活動などと結びついて円との兌換を封じたり、支払いの補助的な役割にとどめて国家通貨との間に独立性を保とうとしてきたのに対し、この事例では一定の条件のもとで円との交換を可能にしているという点で大きな特色がある。ただし半年の期間内に4回の流通を経ないと円との交換に際して手数料を要するようにしており、これによって地域内の地域通貨の回転を活発にして地域内消費を増やすことをねらっている。また、1万円分の「もーりー」を購入する際には1%のプレミアをつけて消費者への浸透をねらった。ただし、開始後1ヶ月あまりを経た時点では、大型店で使えないという不便さが敬遠されており、取扱店からも円との交換手数料の負担が不満を呼び、実施主体である守山市商工会議所の側でも円との交換手数料の廃止を決定するなど、制度の変更を行わざるをえなくなっている。今後、この種の地域通貨を進化させていくためには、消費者と取扱店の利害を一体化させる枠組みの創出が必須となるだろう。


生態資源(印東)班2004年度第1回研究会(04/06/26)
野林厚志(国立民族学博物館)
「台湾におけるイノシシとブタ:象徴化の対照」

イノシシ(Sus scrofa)とブ(Sus scrofa domesticus)は原種と家畜という関係にある。ヒツジやヤギ、ウシ、ウマといった他の一般的な家畜動物と大きくちがう点としてあげられるのが、原種が野生種として一般に存在するという点である。このことは家畜化という問題を考えるうえで、非常に重要と思われる。すなわち、イノシシと人間との距離関係は家畜化の過程がどのように進行していくかということについて、大きな手がかりを与えてくれると同時に、それが現在の人間とイノシシとの関係という現象として観察可能だからである。
イノシシからブタへの家畜化の過程を考古学的にとらえたときに興味深いのは、他地域的な家畜化現象が見られるということである。すなわち、東アジアでは1万年~8000年ごろの新石器時代、西アジアでは8500年前までの先土器新石器時代にトルコ南東部で、ヨーロッパでは約4500年前に家畜化をしめす証拠が見つかっている。これらの過程はいずれも長期間にわたり緩やかに進行していったと考えられている。これは、他の家畜化が中心的な地域をもち、そこから家畜動物が広がっていったという現象とは対照的なものである。すなわち、イノシシという同一種内の様々な亜種や地域集団が、独立的あるいは「家畜化」のアイデアやその手法の伝播によって、複数の人類集団によって別々に家畜化されていった可能性が強いということである。このようにイノシシの家畜化が他地域的に進行した理由は、もちろんイノシシの分布が東アジアからヨーロッパにいたるユーラシア全体に広がっていたということをあげることができる。同時にイノシシのもつ生態学的性質も独立した家畜化に寄与していたと考えてよい。すなわち、雑食性であり、数頭程度というほどほどの群居性をもち、生殖効率がよく、個別飼育に適したサイズといったことをあげることができるだろう。これらはそれぞれの地域に応じた飼育システムを確立していく上で、非常に有利なものであった。穀物生産に適さず人口の少ない森林地域を中心としたヨーロッパにおける粗放的飼育は、森林で生産される木の実を食料にあてる自由放牧を可能とし、根栽類をベースにした開放性のある囲いの中での飼育は、東南アジアからオセアニアのイモ栽培複合飼育へと発展することが可能であった。
このようにしてみると、イノシシとブタとの距離は人間にとって非常に近いものであると考えられなくもない。しかしながら、野生性と家畜性との間には人間の認識に大きな違いが生じる場合も少なからず見られる。台湾の原住民族の人々におけるイノシシとブタとの認識の違いはその一例である。すなわち、イノシシは山の動物であり、ブタは「中国人」の生きものであるという彼らの基本的な考え方は、現代的な脈絡においては原住民アイデンティティを漢族に対して表明する手段になっているが、イノシシ捕獲時の儀礼慣行に対し、ブタ屠畜時の儀礼欠如といったことを考えた場合、でイノシシとブタの差異化が社会の中でもともと行なわれていた可能性を示すものでもある。ブタが容易に再野生化することからも、イノシシとブタとの間には野生状態と家畜状態の間の移行が極めて容易であると言える。にもかかわらず、野生であることと家畜であることの間には社会的な位置付けにおける差異が生じることも少なくない。こうした問題は例えば、ブタの家畜飼育を前提とする社会において野生動物であるイノシシをどのようにとらえているかといったことが比較の対象となることが期待される。
同一種という条件は生態資源としての価値に大きな差異を生じさせない一方で、社会の中での位置づけに差異が生じることは資源が文化的、社会的な要因で象徴化されていると考えることができるであろう。イノシシとブタは動物資源における象徴化の対照を考えるうえで興味深い動物といえる。

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生態資源(印東)班2004年度第1回研究会(04/06/26)
高橋春成(奈良大学)
「今日の地域社会におけるイノシシとのかかわり」

 イノシシほど、古くから、良くも悪くも、人間と共に生きてきた動物はいないであろう。イノシシの肉は獣のなかで最も美味であり、古くから各地で食肉用に狩猟されてきたし、その肉を得るために家畜化され、イノシシからブタが生み出されてきた。そして、その一方でイノシシは、農作物に多大の被害を与える動物として、天下にその名を轟かしてきた。
 わが国では、高度経済成長期以降、都市部への人口集中が顕著になり、都市あるいはその周辺の人口が極めて多くなった。それと連動して、山間部や中山間部からは人口が流出し、いわゆる過疎化が進行した。このような中で、都市部の多くの人の生活はイノシシなどの野生動物と直接にかかわりのないものになり、彼らの存在は人びとの生活から遊離したものになった。一方、山間部や中山間部ではイノシシなどによる被害が多発している。
 都市部の人びとのイノシシに対するイメージは、このような状況の中で、「ぼたん鍋」、「丹波篠山」、「猪突猛進」、「ウリ坊」、「かわいい」、「干支」、「花札」といった、イノシシとの直接的な対峙の無いものとなっている。一方、山間部や中山間部の被害地住民のそれは、「田畑を荒らす」が突出している。ここでは過疎化や高齢化で地域社会の足腰が弱まり、イノシシ被害に抗しきれないことが、イノシシに対するこのような害獣視を顕在化させている。
発表者は、中山間地である滋賀県の比良山麓の栗原地区にて、「地域住民と大学の連携」を標榜するイノシシ調査を行っている。その目的は、イノシシの生態を把握し、被害の背景をさぐり、被害地住民と共にイノシシ被害対策を練ること、ひいてはイノシシとの共存を考えることにある。
調査は、イノシシに電波発信機を装着して、イノシシの行動パターンを検討し、農業被害との関連を検討する方法をとり、イノシシの捕獲作業、発信機の装着、定期的なテレメトリー調査、得られたデータ解析などを、住民との共同で行っている。
このような共同作業を通して、地域住民のイノシシ理解、被害の構造理解が進んだ。常時共同作業に参加した住民は、区長、農業組合の理事、村のハンターなど数人であったが、彼らの口コミなどで住民全体への関心が高まっていった。我々は、得られたデータを、さらに地区の会議所で説明会を開くことで、地区住民全員に還元していった。
具体的には、たとえばイノシシの潜伏地、餌場、通路などとなっている耕作放棄地などの荒地の問題が指摘され、効果的な対策をするためには何が必要かが課題となって浮かび上がった。ここでは、耕作放棄地は、高度経済成長期以降の過疎化、高齢化、兼業化、米の生産調整などの社会・経済的要因によって生み出されてきたものであることに注目してもらった。
このような共同調査により、地域住民のイノシシに対する姿勢は、害獣視一辺倒から、そこに生きるイノシシの存在を認め、被害防除を含め、彼らとの共存をいかにはかるべきかといった方向に変化しつつある。

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生態資源(印東)班2004年度第1回研究会(04/06/26)
関 雄二(国立民族学博物館)
「ペルー北高地の形成期社会:考古学調査概要」

 南米ペルー共和国を中心とする一帯は、インカに代表されるよう古代文明が栄えた場所として知られている。発表者は、このうちアンデス考古学で形成期と呼ばれる時期(前.2500年-紀元前後)の祭祀遺跡を中心に発掘調査を実施し、文明初期の社会の様相を探ってきた。形成期では農耕定住生活が確立し、祭祀建造物が建設され、また土器も製作され始める。1979年以来、北高地カハマルカ県一帯を調査している。  カハマルカ盆地は、海抜2700~2800mに広がる。盆地底部に位置するワカロマは調査の中心となった遺跡であり、ここの発掘により形成期を4つに細分することが可能になった。古い順に前期ワカロマ期(前1500-前1000年)、後期ワカロマ期(前1000-前550年)、EL期(前550-前250年)、ライソン期(前250-前50年)と名付けた。
前期ワカロマ期は、薄い器壁を持ったアンデス地帯最古の粗製土器が製作された。大型の公共建造物は建設されず、泥壁でできた多数の小型の部屋が確認されている。
 後期ワカロマ期では、大規模な祭祀建造物が登場する。ワカロマでは、119m×109mの石積みの基壇が建設された。この上には、2段の小基壇が築かれ、最上段には多彩色の部屋もあった。壁画や土器には幾何学文様、蛇、猛禽類、猫科動物の図像が描かれた。
 EL期ではワカロマの基壇の大半は破壊され、一部の基壇上で小規模の祭祀活動が認められるにすぎない。土器は後期ワカロマ期の特徴を受け継ぐものの、多様性に欠け、彩色装飾も減る。動物表象は失われ、代わって浅い刻線が施された半球椀が出現する。
 ライソン期になると、ワカロマ遺跡の公共的な性格は全く失われ、居住空間へと変貌を遂げる。白地の土器に赤色で幾何学文様が描かれ、具象的な表現は失われる。
 一方で、最近調査を行っているクントゥル・ワシ遺跡では、別の編年が確立されている。海抜2200m、アンデス山脈の西斜面に位置する形成期の祭祀遺跡である。イドロ期(前1000~前800年)、クントゥル・ワシ期(前800~前500年)、コパ期(前500~前250年)、ソテーラ期(前250~前50年)と呼ばれる。
カハマルカ盆地との編年上の関係では、イドロ期は、後期ワカロマ期と文化的に相同であり、祭祀建造物の痕跡も部分的に確認されている。次のクントゥル・ワシ期は、カハマルカ盆地ではその痕跡が認められない。この時期、クントゥル・ワシ遺跡では壮大な神殿が建設された。自然の地形を利用したテラスが数段設けられ、最上段のテラスには、147m×170m、高さ8.4mの大基壇が築かれた。テラスや大基壇には階段が備え付けられ、大基壇の上には、小基壇、方形や円形の半地下式広場が建てられた。黄金製品を含む墓も発見されている。また土器の特徴から、海岸地帯の集団が活動の担い手であったことが伺われる。コパ期は、クントゥル・ワシ期の建築プランを再利用しながらも、活発な祭祀活動を展開した。コパ期は、カハマルカ盆地のEL期と類似性は高いが、互いに影響を及ぼしたものの、別々の文化複合であった可能性が高い。最後のソテーラ期はカハマルカ盆地のライソン期と相同であるとされ、クントゥル・ワシ遺跡でも、居住空間へと変貌する。

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生態資源(印東)班2004年度第1回研究会(04/06/26)
鵜澤和宏(東亜大学総合人間・文化学部)
「アンデス形成期社会における動物資源利用の時空変化」

南米アンデス山脈では、当地において家畜化されたリャマ、アルパカなどのラクダ科動物を用いた独自の牧畜形態が発達した。ラクダ科家畜の起源は、紀元前4000年頃、ペルー中部の高原地帯と推定されるが、アンデス各地に広まるのは紀元前2500年前以降、古代アンデス文明の形成期においてである。人類学的には、多様な生態環境を包含するアンデスの各地に、いつごろ、どのようにラクダ科飼育が定着したのか、さらには、初期のラクダ科飼育形態がいかなるものであったのか等が問題となる。
筆者らは2001年より、ペルー北部の山岳地帯に位置するクントゥル・ワシ遺跡から出土した動物骨資料の分析を開始した。現在までに、精度の高い編年体系のもとで採取された約1万点の動物骨資料の分析を実施している。その結果、形成期中期には、大型動物としてはシカ科のみが利用されていたものが、形成期後期以降、徐々にラクダ科の利用が進む様相が明らかになってきた(図)。
クントゥル・ワシ遺跡と同時期に形成された、ワカロマ遺跡でも同様の分析が実施されており、ラクダ科導入時期を直接比較することができる(Shimada 1985)。ワカロマ遺跡では、クントゥル・ワシ遺跡よりも早く、形跡中期にラクダ科の利用が始まり、形成期後期を境にシカ科とラクダ科の組成が逆転し、形成期末期にはラクダ科が主要な動物資源となっている。クントゥル・ワシ遺跡とワカロマ遺跡は同じ文化編年が適用できる遺跡であり、両遺跡は直線距離にすれば数十kmほどしか隔たっていない。ラクダ科導入の時間差は、おそらく両遺跡の立地環境の違いによるものの可能性が高い。ラクダ科動物は、本来、高地適応した生物であり、高所に位置する遺跡において、より飼育が容易であったと推定されるからである。ワカロマ遺跡が立地するカハマルカ盆地は3000mを越える山々に囲まれているのに対し、クントゥル・ワシ遺跡は海岸へと降りるアンデス山脈西斜面の中腹2300mに立地する。クントゥル・ワシ遺跡におけるラクダ科導入の遅れは、遺跡の高度がひとつの制限要因になった可能性が考えられる。

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生態資源(印東)班2004年度第1回研究会(04/06/26)
印東道子(国立民族学博物館)
「サンゴ小島における長期家畜利用:資源の象徴的価値を考える」

 ミクロネシアのファイスは、面積約2.7km2の小さなサンゴ島である。土壌が貧弱なため、ココヤシの他、栽培できる植物性資源は非常にかぎられており、周辺のサンゴ島で栽培されているCyrtosperma種のタロイモやヤムイモなどは栽培できない。現在は、近年導入されたサツマイモが主要植物資源となっているが、伝統的にはパンノキやAlocasiaという近隣の島では救荒時にしか利用されないタロイモが主食となっていた。
 発掘調査の結果、ファイスはAD200~400ごろから人間居住が開始され、ほぼ同時期から継続してイヌ、ブタ、ニワトリが飼養されてきたことがわかった。これら3種類の家畜は、オセアニアへ拡散したオーストロネシア語集団が携えてきたセットであり、ミクロネシアの島で三種類揃って飼育され続けてきた例はこれまで見つかっていない。特に、ヨーロッパ人との接触以前にブタが飼育されてきた例はほとんどない。そのため、ファイスの家畜がどこから持ち込まれたのかという疑問と共に、資源に乏しいサンゴ島で、これほど長期にわたる家畜の継続飼養をおこなってきたのには、食糧資源として以上になにか価値があったのではないか、という疑問が生じる。ここでは、後者の問題について考える。
 ファイスほど小さなサンゴ島では、野生化したブタの存在は考えにくく、家畜化した飼養が主体であったと考えられる。しかし、サツマイモが導入される以前は人間の食糧さえも確保するのは大変であったことを考慮すると、家畜、特にブタ飼育に投入されたエネルギーの大きさは、単なる食糧資源以上の付加価値が存在したことをも示すものである。さらに、島嶼環境でにおいては、根絶してしまったときの再導入コストは高い。そのため、継続飼養に要したエネルギーも特に高かったことが考えられる。もちろん、家畜動物が日常食として用いられた可能性は非常に低い。つまり、家畜動物に付加される非日常食としての象徴的価値の大きさ故に、これほど長期にわたって飼養されてきたと解釈できる(遺伝的問題を考慮すると、外部からの新規導入が行われた可能性も考えられるが、その場合はミクロネシア外からの導入ということになる)。
 では、どのような付加価値を持っていたかについて考えると、まず考えられるのは、伝統的な交易相手であるヤップ島との交易品としてである。しかし、ヤップにはイヌもブタも存在していなかったことを考えると、交易品として利用されたことは考えられない。
 おそらく象徴的価値の付加により、ある種の威信財として利用されたことが考えられる。たとえば誕生、結婚、葬送、など、社会的地位の移動にともなった機会および新築、カヌー進水など新しい物の誕生を祝う際の贈与物としての利用である。近隣の島では、島レベルから家族レベルにいたるまで、男性と女性とがそれぞれの生産物および獲得物を交換することによって社会生活を維持している。ファイスのブタがこのような交換体系に組み込まれていたことは充分考えられる。
 以上のように、ファイスの家畜、とくにイヌとブタは、一般的な象徴資源としての定義はあてはまらないが、社会的威信財であった可能性が高く、そのために1800年近くもこのように資源の限られたサンゴ島で継続的に飼育する努力が行われてきたといえよう。


文化資源(山下)班第11回研究会(04/06/11)
The Future in a Fossil: The Function of Archaeology in Japanese Rural Revitalization
John Ertl (University of California, Berkeley)

Modernity in Japan has undergone three distinct phases (the Meiji era, the post-war era, and the post-bubble era) each involving the major reorganization of government and social services, and each with a distinct ideology to garner popular support. The current post-bubble era is characterized by increased decentralization of government, and an ideological shift from purporting homogeneity to recognizing cultural/ethnic diversity. My research is set in the municipal town of Rokusei (Ishikawa Prefecture), which created a new identity as the “hometown of the onigiri” following the discovery of “Japan’s oldest onigiri fossil” in 1989. The thesis of this paper is that archaeology (and history) is not a neutral science that finds a singular truth about the past but is interpreted differently by people with different interests. That in mind, this paper proposes a triad of narratives about the town (by town officials, residents, and academics) that reflects how these people believe the town should be perceived and how it should change in the future. This use of archaeology in Rokusei shows: 1) the increased spread of modernity (Western expert systems) into rural Japan; and 2) the diffusion of authority to define what it means to be Japanese.

文化資源(山下)班第11回研究会(04/06/11)
‘The characteristics of “nature” in the context of ecotourism in Japan’
Megumi Doshita
(PhD candidate, University of Tokyo)

The environmental movement mainly formed in West Europe and North America since the 1960s is considered as a main catalyst for the emergence of environmentally sensitive tourism. Owing to the influence of the movement, not only diverse understandings of the term ‘ecotourism’ are stated, but the unspoilt environment has also been preferred as a new type of tour destinations by the majority of tourists overall from ‘Western’ societies. In Japan, however, aesthetically tamed nature is more appreciated in the context of environmentally sensitive tourism, and some statistics show that most Japanese people prefer ecotour-sounding natural beauty sightseeing rather than strict ecotours. In fact, environmentally sensitive tourism does not seem to start in line with any clear ideology in Japan, for example, both ecotourism and the Japanese-style green tourism have hidden but realistic purposes when governmental bodies introduced them. As a result, diverse complicated relationships among stakeholders are emerged. In fact, a case study about Ashu Hiking programmes in Miyama town, Kyoto prefecture, clearly reveals the difficulty of meeting various stakeholders’ demand, as they have their own interest and motivation to involve in this programme.

文化資源(山下)班第11回研究会(04/06/11)
   "CULTURAL AS RESOURCE OR TREASURE: SAVING INUIT CULTURE"
Nelson GRABURN
(University of California, Berkeley)

The concept of culture, like heritage and tradition, is the product of modernity. The original anthropological use of the term culture, a complex of beliefs and practices that were handed down from generation to generation in each society, hardly fits today’s context of rapid changes and cultural interconnections. Yamashita (n.d.) has proposed that we examine culture as a dynamic, consciously constructed and intentionally wielded process. This paper examines the changing means of transmission of Canadian Inuit (Eskimo) culture in the past fifty years and the increasingly self-conscious nature of Inuit life. This paper challenges Bourdieu’s formulation of culture and its transmission by showing that under contexts of cultural pluralism and rapid change, the normally tacit becomes overt, and even habitus can be consciously (re-)constructed. It also shows that the traditional concept of culture is quite hazardous for the social health of Inuit society.


文化資源(山下)班第10回研究会(04/06/04,06)
日本における資源概念の形成とその社会的背景
佐藤 仁
(東京大学大学院新領域創成科学研究科)

今日では一般的に用いられている「資源」という言葉が日本で広く使われるようになったのは昭和初期を過ぎてからである。鉱山や山林など、今日われわれが「天然資源」と呼んでいるものは、かつては「富源」もしくは「利源」と呼ばれていた。人間にとって有用な天然物を指す言葉として、富源や利源から「資源」に移り変わる過程には、どのような社会的背景があったのだろうか。「原料」と呼ぶのでは、なぜ不十分だったのか。あるいは水、木材、鉄という具合にそれぞれ別個に呼べば済んでいたものを「資源」としてくくることの意義は何だったのか。
 本報告は、辞書、新聞、陸軍の出版物などを主要な素材として調査するところから始め、資源概念が盛んに用いられる3つの時期に注目して、その社会的背景をさぐる。第一の時期は、資源概念が普及した昭和2年前後、第二の時期は終戦直後、最後の時期は、オイルショック前後である。特に、1970年代に一部の研究者が構想した資源学(あるいは国際資源学)が不発に終わった理由を掘り下げ、資源の社会科学を再生する意義と見通しを論じる。

文化資源(山下)班第10回研究会(04/06/04,06)
資源としての文化─開発と利用
山下晋司
(東京大学大学院総合文化研究科)

今日の文化研究においては、文化を不変の本質としてではなく、歴史の中で創られ、創り直される動態的なプロセスとして捉えることが重要である。そうした中で文化は「資源」として捉え直され、社会的、経済的、政治的な目的において利用され、場合によっては利潤をもたらす「資本」ともなりうる。
 文化の資源化を規定している二つの一般的な要因がある。一つは国家であり、もう一つは市場である。国家との関わりで、歴史が編纂され、資源化されることは古くから行われていた。古代日本においては、『古事記』や『日本書紀』というかたちで神話が編纂され、国家を正統化する歴史資源として使われた。近代国家においては、言語、文学、芸術などが、国語、国民文化として、とりわけ教育の場をと通して資源化され、国民という人材を創り出すのに使われてきた。
 他方で、今日、資本主義的なシステムが地球の隅々まで浸透していく中で、文化は商品として市場で売買されるようになっている。端的な例は、音楽や食品や情報である。民族音楽は「ワールドミュージック」として販売される。SUSHIに加工されるためにマグロは空を飛ぶ。そしてインターネットを通して世界中のさまざまな情報を得ることができる。こうした中で、私たちの生活のあらゆるところで文化の商品化がみられる。
 このように、今日、文化は基本的に国民国家とグローバルな文化市場という二つの要因に規定されながら、資源として開発され、利用されるものとしてある。この分科会では、森山工が文化資源研究に関する理論的展望を述べた後、ネルソン・グレーバーンが観光研究の立場から、葛野浩昭が北欧サーミの民族運動から、岩本通弥が日本の文化政策から、田中大介が日本の葬儀産業から文化資源の開発と利用に関する事例を報告する。そうしながら、文化をめぐる資源人類学の新領域を開拓し、現代における新たな文化理論の構築をめざす。

文化資源(山下)班第10回研究会(04/06/04,06)
文化資源研究─理論的展望
森山 工
(東京大学大学院総合文化研究科)

 本発表では、人類学的研究にとっての〈資源〉は、一義的な定義づけの上で使用されるべき術語であるというよりも、ヒューリスティックな概念であるという観点から、この概念をめぐるいくつかの対立軸、たとえば、

①有形性/無形性:〈資源〉が物体としての形態を備えている場合と、〈伝統芸能〉や〈技〉のように、〈資源〉が物質的形態を伴わない場合、
②有限性/非有限性:各種の天然資源のように、〈資源〉が多少とも有限のものとして存在している場合と、空気、太陽エネルギー、潮力などのように、〈資源〉が非有限のものとして存在している場合、
③偏在性/遍在性:〈資源〉が局所的にしか存在せず、それゆえそれに対する独占的・寡占的な所有権が政治的に問題化しうる場合と、〈資源〉が遍在しており、原則的に万人にアクセス可能であるような場合、
④既存性/被形成性:既存のものが〈資源〉として利用され、あるいは発見され、開発される場合と、何らかの目的に沿って、〈資源〉となるべきものそれ自体が作り出される場合、
⑤即自性/対自性:それを〈資源〉として利用することが、常態として、無反省的に生活化している場合と、それに対してある距離を取り、反省的に対象化することによって、それが改めて〈資源〉として立ち現れる場合、

などを議論の手がかりとしながら、〈資源〉概念の可能性について検討する。その上で、〈文化資源〉という概念に考察を進め、それがどのように把握されうるのか、そしてまた、それに依拠することで、どのようなヒューリスティックな効果がもたらされるのかを考察する。

文化資源(山下)班第10回研究会(04/06/04,06)
Culture as a Resource: Tourism and Threatened Minority Peoples
GRABURN, Nelson
(University of California, Berkeley)

The notion of culture as a resource implies that it is a source of strength or wealth which can be drawn upon, much as has been said of tradition and heritage. Yet the concept of resources, like assets or capital suggests an economic model of perhaps extraction or investment. When minority peoples are drawn into the contemporary world system, they have few exploitable assets except their culture and their labor. While their labor may be exploited for its special skills (e.g. hunting, trapping guiding) it is often of little value and severe un(der)employment is widespread. Yet this zone of cultural contact, often accompanied by cultural erosion, may coincide with the arrival of the modern tourist industry, bringing with it the desire to admire and gaze on exotic peoples. As Carpenter has shown, people forced into this exploitative zone, that is the “world stage”, may emphasize those cultural traits most desired and rewarded, distorting the integrity of their culture without realizing the irreversibility of the decisions. The next generation grows up knowing only a “partial culture” selected for visibility and superficial alterity. This paper will explore the consequences of such processes with special reference to the Canadian Inuit and other Fourth World Peoples. It will also focus on reintegrative processes as minority leaders become aware of their predicament and acquire the tools by which they may control the processes of cultural subversion and reanimate key symbols with new non-commoditized meanings.

文化資源(山下)班第10回研究会(04/06/04,06)
個人は民族文化の資源化・本質化に耐えられるか?
サーミ人の事例から
葛野浩昭
(聖心女子大学文学部)

 北欧の先住民族サーミ人の民族文化復興運動には、サーミ文化なるものの客体化や資源化が認められる。たとえば、ヴァルケアパーのヨイク・写真・絵画集『太陽、私の父親』(1991)、パルットの小説『アー、僕のトナカイ』(1986)、ガウプの映画『導く者』(1987)は、いずれもシャーマニズムに焦点を当てた作品で、これらは1986年にチェルノブイリ原発事故を受けて発表された「サーミ環境計画」でも強調された「自然と共生するサーミ伝統文化」というメッセージに具体的な形のついたものと言える。
 ところが、今日、絵画の分野で最も注目を集めているランティラは、自らの作品には「昼」と「夜」とがあり、サーミ文化を材料とした作品は「昼」であり、これらは彼女の芸術活動を経済的に支えるための手段だと語る。そして、画集『メルヤ・アレッタ・ランティラ』(1999)に収められた自画像等が「夜」であり、こちらはサーミを描いているのではなく、ランティラ自身の心の中や、女性や人類の被抑圧性を描いているのだと言う。
 さらに最近では、サーミ文化を背負っているとは必ずしも言えないようなサーミ人に、サーミ内外から関心が集まった事例もある。2003年、フィン人の母を持ち、サーミ語を話せず、トナカイを所有しながらも飼育作業に手慣れていないサーミ人老人ヘランデルの一生を描いたテレビ番組が制作・放映され、大きな反響を巻き起こした。
 ランティラの「夜」の作品製作や、ヘランデルを描いたドキュメンタリー番組への大きな反響を、私はそのまま民族文化復興運動とは全く別の文脈での現象として捉えられると考えているわけではない。しかし、民族と文化とを等式で繋ぎ、これを資源として客体化することに対して、個々のサーミ人が、個々の事情から様々な違和感を持っていること、民族文化なるものの受け止め方に静かな混乱が生じていることを示唆しているかに見える。

文化資源(山下)班第10回研究会(04/06/04,06)
文化の資料化と資源化―日本の文化政策から―
岩本通弥
(東京大学大学院総合文化研究科)

 本発表では、日本の文化政策、主として文化財保護法を、資源という視点を持ち込むことで何が見えてくるか、またその際、類似する文化財・文化遺産・文化資源の概念的な交通整理を行うことで、近年流通しはじめた文化資源の意味を考える。1950年に制定された文化財保護法は、戦前の個別的な保護策に、新たに民俗資料を加え、一元的に体系化される。文化財とは桑木厳翼らが大正期ドイツの文化概念を導入する際の造語・翻訳語で、ほぼ文化要素という意であったが、日中戦争時に南京の文物・故物接収に転用された以降、「財宝」的意味を持ちはじめ、戦後の保護法では第4条で「国民的財産」として「国民への公開」原則が徹底される。「現代生活を暗々に規制」するものとされ、封建遺制を含めた価値中立的概念であった文化遺産も、1975年の保護法大幅改定の前後に、考古学・建築学からの遺跡等の保存運動のなかで、工業化・都市化・観光開発などによる破壊に対して、「開発」に制限を加える「保存」を旨とした概念に転化する(→負の遺産)。民俗資料も民俗文化財に変更され、その改定は学術的な資料化から資源化への一つの契機となったが、未だその保有・所有はあくまで「私」領域内に担保されていた。1990年代から現在進行形で文化財保護法は大きく改変されつつあるが、現状保存から「新たな観点からの活用」が目指され、保存よりも活用に重点が移される。活用は「公開」から観光化による地域経済の活性化に拡大されるが、それは「開発」と密接に結びついた文化資源とパラレルな関係にあろう。本来二律背反的な保存と活用は、保存を重視すれば「御物」のように非公開(秘匿)が適している。しかし信者や住民の祈りの対象であった例えば仏像や祭りに、異なる文脈で、モノ(コトのモノ化)としての価値(美的価値等)が見出されると、保存の対象として公的価値に移行させる「私」領域から離脱させる力(公有化)が働く。90年代以降の文化資源化は、さらに従来「私」領域にあった保有・所有やこれを表象する権利をも「私」領域から収奪させる力を発揮する一方、忠実なる過去の継続性(保存)は問わない文化資源とは、「現在化」の論理とも相俟って、ヒトのモノ化も含め、専ら経済原理による活用=「開発」を志向した、外部によって操作可能にするため多用される概念かと思われる。

文化資源(山下)班第10回研究会(04/06/04,06)
「望ましい死」への資源戦略:
葬儀産業からみる死のスタイルの構築
田中 大介
(東京大学大学院総合文化研究科大学院)

この発表では、死の局面における欲求を具現化する実践において、どのような社会的傾向があるかという問題を、資源という概念を踏まえて述べていくことを眼目とする。またここで注目されるのは、そうした死の社会性を論じるにおいて未だ有効な射程を有している葬儀実践と、そこで大きな役割を果たしている葬儀産業の役割である。
ところで昨今の死にまつわる研究では、医療、臨床、心理、そして「死に逝く過程」といった要件に着目するとともに、死に対処すべき実践知の知見を得ようとする応用主義的な傾向が太宗を占めている。人類学においてもこの点において例外ではなく、そのような潮流は主として医療人類学の枠組みの中で現在に至るまで継続されていると言えよう。この流れは、不当なものではない。それは「どこかで起きている誰かの死」の情報提供であるというよりも、不断に存在している「死の不安」に積極的に応えようとする倫理観を背景に有しているからである。
むしろ問題は、死ぬことそのものが終末期や医療空間といった「死の局面に近い時空」のみで構成されているのか、という点である。こうした問題意識を受けて、昨今では死に付帯する最も大きな文化事象としての葬儀を再度振り返るとともに、「死んだら死者儀礼をする」という経験則を安易に担保としない「死の社会性」の研究が耳目を集めている。この古くて新しい題材の中で有効な射程を持つ一つとして考えられているのが、葬儀社(葬儀屋さん)や火葬場、あるいは検死官といった職業の実践に着目した「死の仕事deathwork研究」であり、発表者が現在携わっている葬儀産業研究もまたその一つとして位置づけられよう。
特に産業化が比較的進んだ地域においては、葬儀は共同体の儀礼というイメージから変容を遂げて、カネを払って受け取る商品として存立している。そしてそこには、利潤獲得という産業実践の最大の目標と、それに死を絡ませることへの反発が常に存在しているのである。この状況下で観察できるのは、死という出来事そのものが、獲得され、利用され、価値付与されていくという資源的性向を有していること、「望ましい死」への欲求を具現化するための資源探索の営為が能動的になりつつあること、そして「はやりすたり」という言葉で表現できるような、普及して枯渇していく一連の「死のスタイル」が存在していることである。
このように現在の葬儀は、儀礼実践の最大の特質とも言える「そのようになっているので、そうする」という規範的もしくは循環的性質をある程度保持しつつも、そこには「そのようになっているけれども、そうはしない」あるいは「そのようになっているけれども、そこに“わたしらしさ”を顕現させたい」といった動向が色濃く存在し、さらにそれは集団的な死への態度を反映している。以上の内容に即して、この発表では、従来の解釈学的儀礼分析から一歩外に踏み出して、「人間の意識的行動の基礎に帰る」ための手法として資源という概念を援用するとともに、そこから死への態度が集団的性向として形づくられていく仕組みを探究したい。


総括班主催『資源と人間』ワークショップ(04/02/22)
小火器流通と野生資源の発見
-南部エチオピア・バンナの事例-
増田研(青山学院大学非常勤講師)

 本研究は資源と象徴的価値に関する事例研究である。本発表で取り上げた内容は大きく分けて2つある。第一は、銃という外来の製品が大量に流入することで、どのように野生動物が商品として発見されたのかについての分析、第二は野生動物、銃、貨幣、家畜がどのようなメカニズムによって交換可能となるのかについての分析である。
 エチオピア南部に銃が流れ込むようになったのは19世紀末のことである。この時期に北部から到来したエチオピア軍にとって国家に併合された南部には、軍を通じて銃がもたらされ、それによって大型獣の狩猟が容易になった。こうして入手した象牙などを、南部の人びとは軍人や役人に供与し、その見返りにまた銃を与えられるという形で、南部からの資源の吸い上げが始まったといえる。ここには銃の南部への流入、資源(家畜なども含む)の南部からの流出という傾向が見てとれる。
 その後、およそ1980年代まで、おもに戦利品の略奪、および商人による売却という形で南部には銃が流通し続けた。また1991年に社会主義政権が崩壊すると、軍の武器庫から流出したカラシニコフ銃(AK)が大量に南部に出回ることになった。現在、私が調査をしたバンナ社会において見ることのできる銃のおよそ85%がAKおよびその互換銃である。
 銃の流通による狩猟圧の上昇により野生資源の吸い上げが続いた結果、現在では南部においてすら野生動物の数は減少し、狩猟の成功率も著しく低くなっている。そうした状況になってもなお、人びとは銃を所有したがる。銃は単に殺戮の道具であるだけでなく、交換価値を有し、なおかつ彼らにとって男性性の証ともなる象徴財なのである。彼らの取引行為を分析した結果、家畜と銃と貨幣の間には、相互に価値変換を可能にするトライアングルを見ることができる。この三角形においては、しかし近年まずます貨幣の「相場」が上昇しており、ウシに市場の価値を置いてきたバンナ社会でも、貨幣経済化が進んでいることが分かる。銃や家畜よりも貨幣に重きを置くようになる契機が何なのか、それを明らかにすることが今後の課題であろう。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ(04/02/22)
知識資源としての土器づくり技術
-エチオピア西南部アリにおける技術の伝承と創造-
金子守恵 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

エチオピア西南部で定住的な農耕活動をおこなうアリの人々が日々の生活に利用している土器は、マナとよばれる職能集団の女性たちが地域内で採取した粘土をもちいて製作し、地域内の定期市で直接利用者に販売している。
発表では、この土器づくり技術を以下の3点において検討しその特質をあきらかにすることを目的とした:1)「指使い」という身体技法を基準にして成形技術(粘土を土器の形につくりあげる過程)を分析しその特質をあきらかにすること。2)成形技術の習得過程を分析しその特質をあきらかにすること。3)成形技術の個人差に注目しその特徴をあきらかにすること。
直接観察とインタビューができた職人は約65人、土器職人が集住している20ヶ村のうち2村を拠点にして、1998年から2002年のあいだに断続的に約2年間調査をおこなった。
 分析の結果、a)職人は成形段階にそくした特定の指使いの組み合わせ(工程)で土器を成形しているが、b)成形過程の途中に独自の工程を組み込むなど個人的な改変をする余地が残されていた。
c)少女たちは土器を製作する母親のそばで身体的な動作を習得し、6歳をすぎたころには特定の成形技術を駆使して土器を成形できるようになる。d)職人はすべての利用者にとって「よい土器」を成形する技術を習得するのではなく個々の職人の独自性を尊重している。
e)職人が結婚にともなって他の村へと移動しこれまでとは異なる性質の粘土で土器を成形することやf)顧客の要望にあわせて既存の成形技術の改変やあらたな成形技術の創造がおこなわれることにより、成形技術の個人差が生じる可能性がある。
 以上の特徴をふまえて土器づくりの成形技術は、職人個人に内在しているのではなく、利用者とかかわりながら習得・行使・創造されるプロセスに内在しており、このような技術のあり方を知識資源のひとつの事例として位置付けることができるのではないかと考える。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ(04/02/22)
バナナの在来品種多様性はいかにして守られるか
小松かおり(静岡大学人文学部)

 バナナは、世界中の湿潤熱帯全域で栽培され、1億トンを超える生産量を誇る作物である。バナナには、アジアから熱帯全域へと拡散した伝播の歴史の不明確さ、粗放から集約まで栽培法の多様さなどさまざまなおもしろさがあるが、バナナ研究のひとつのトピックは、在来品種の多様性の高さである。世界中で輸出用として栽培されているバナナのほとんどがキャベンディッシュという一品種であるのに対して、多くの生産地では、少なくとも十数種、多くて70種を超える在来品種が知られる。発表者は、アジアとアフリカの13地域における品種調査から、これらの在来品種の多様性が合理性では説明できない農民のこだわりとローカル・マーケットの存在によって保存・または拡充されるのに対して、遠隔地向けの商品化と国家の管理がこれらの多様性を減少させていくことを論じた。例えば、首都向けバナナ生産がさかんなフィリピン・ミンドロ島や公立の研究所による新品種の開発と普及がおこなわれているインド・ケララ州では、個人または村における在来品種数が相対的に少ない。それに対して、定期市のような小規模のローカル・マーケットから近隣の中小都市向け、州都向けなど、マーケットのルートが複数存在するインドネシアの南スラウェシでは、在来品種数が保たれている。この南スラウェシのバナナの流通を追い、遠隔地に運ばれるバナナが、品種の選択と名称の2段階で特定の種類に収斂していくプロセスを示した。また、品種多様性は、今や第三世界の各国が欧米に対して防衛すべき資産のひとつと考えられており、世界規模での政治的課題となっていることを指摘した。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ(04/02/22)
小規模社会における森林資源利用の持続性とは?
─エチオピアの焼畑民マジャンギルの100年史から─
佐藤廉也(九州大学)

 焼畑や狩猟採集などを主生業として暮らしてきた小規模社会の資源利用について、それが保全的であるか否かという議論が、80年代頃から生態人類学でさかんに起こっている。なかでも行動生態学的アプローチをとる研究者ら(M. Alvard, K. Hill, E.A. Smithなど)は、「アマゾンなどに暮らす先住民は森林の知識や持続的利用に対する秘密を握っている」というロマンティックな見方をとる人びとを「ポップ・アンスロポロジスト」として強く批判してきた。彼らの主張は、ほとんどの小規模社会の生業は収益最大化の原則に従っており、持続的に見えるのは付随現象にすぎないというものである。では、森林で移動耕作をおこなう焼畑民の生業は持続的利用といえるだろうか。そうだとすると、そこにどのようなメカニズムが働いているのだろうか。
 上記の問題意識にもとづき、エチオピアの森林で移動性の高い焼畑集落を形成してきたマジャンギルの20世紀の土地利用について考察した。主に移動史に関する聞き取りと過去の空中写真・衛星画像などを資料とし、GIS上で集落・土地利用の復原と時間軸に沿った分析をおこなった。
 マジャンギルは1930年代頃まで奴隷交易や周辺民族によるレイディングの影響にさらされ、1960年代頃までは、レイディング、クラン間の血讐、呪いなどの要因によってしばしば集落は放棄され、それが焼畑の土地利用や森林休閑に強い影響をおよぼしていた。ところが、1970年代末の社会主義政権による集住政策、ほぼ同時期に展開したミッションの活動が、マジャンの集落パターンを大きく変えた。かつて暴力を有効に解決する手段をもたなかったマジャンの社会は、その主な要因がとりのぞかれると定住度の高い焼畑をおこなうようになり、集落人口の増加にともなって休閑期間は急速に短期化することになった。このことから、以前の焼畑土地利用を規定していた重要な要因は紛争や呪術などの社会的要因であったという指摘ができる。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ(04/02/22)
GISを使うと何が分かるか?
-タンザニア・セレンゲティ地域における石器分布の解析例-
衣笠 聡史(東京外国語大学AA研)

GIS(地理情報システム)とは、空間的な広がりを持った情報を管理・分析するためのコンピューターシステムであり、近年、カーナビゲーションシステム、エリアマーケティング、自治体の意思決定支援システムなどの基盤技術として急速に普及してきた。またこのような実務的な局面だけでなく、様々な学問領域で研究ツールとして多用されておりその有効性が実証されている。
人文・社会科学系の学問分野、特に人類学、民族学、考古学といった分野においても、GISは強力な研究ツールとなり得る。これらの分野が扱う分析対象には様々なものがあるが、いずれも空間的な位置関係が重要な意味を持っている。しかも、それらは周辺環境の時空間的な変化の影響を受けており、また個々の資料はそれ自体では大きな意味を持たず、複数の資料との関係において人類の活動を解き明かす鍵となるものである。さらに、分析を行う際には、大量に扱わなければ誤差が大きく分析結果の信頼性は極めて低くなってしまう。このようにこれらの分野で扱う現象は、単純ではなく、その分析においては大量のデータを用いて試行錯誤を繰り返すことになる。GISの最大の特長は、一度必要なデータを入力してしまえば何度でも分析をやり直すことができることにある。また、分析の結果、新たなデータが必要となった場合にも、そのデータを追加入力するだけで再度分析が可能である。以上のような理由からGISは、これらの分野の研究にとって非常に有用な研究ツールである。しかし、このような有用性にも関わらず、これらの分野でGISを利用する研究者は僅かであり未だ方法論を模索している段階である。
このような現状を鑑み、本発表ではまずGISについて概観した後に、発表者がこれまで行ってきたタンザニア・セレンゲティ地域の石器の分布から過去の人類の空間利用パターンを推定する研究を通してGISを研究ツールとして利用することの利点などについて報告した。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ(04/02/22)
商品、贈り物、それとも・・・?
-フランスのある地域通貨組織における交換の分析-
中川理(日本学術振興会特別研究員)

一般に流通している通貨ではなく、会員のあいだだけで通用する通貨を媒介として、モノやサービスをやり取りする仕組みである地域通貨は、フランスでも急速な広がりを見せている。本発表は、この地域通貨を用いた交換がどのようなものとして当事者たちに理解されているかを、南フランスの小都市にある地域通貨組織の事例について検討している。ひとびとが交換をどのように表現するか検討すると、地域通貨(フランスではSEL=地域交換システムと呼ばれる)による交換が両義性を持っている、という事実が見えてくる。つまり、SEL交換は時に贈与「のようなもの」として理解され、時に売買「のようなもの」として理解される。これらのすでにある社会関係のパターンとのアナロジーによって、ひとびとは自分たちが行なっている新しい実践がどのような相互行為なのかを規定しようとしているのであると明らかになる。また、このような両義的性格のため、交換にかかわる双方の理解がくいちがうことがありうる。発表者は、地域通貨を用いたリサイクル食料の交換の事例分析によって、このような「言語の混乱」状況を描き出した。

総括班主催『資源と人間』ワークショップ(04/02/22)
森の資源を開発する
―マレーシア、オラン・アスリ社会におけるドリアンの商品化―
信田敏宏 (国立民族学博物館)

 本報告では、マレーシアのオラン・アスリ社会におけるドリアンの商品化を事例として、「森からの恵みを授かる」から「森の資源を開発する」というオラン・アスリの森に対する態度の変化について考えた。「森の民」であるオラン・アスリにとってドリアンは重要な森林資源のひとつであったが、市場経済化の過程のなかで、ドリアンの商品化(換金作物化)が進んでいる。このような状況のなかで、調査村の人びとがいかにして森林産物であったドリアンを換金作物化していったのかを具体的に明らかにすることが本報告の目的であった。ドリアン収穫に関するデータは1997年10月から12月にかけての約2ヵ月間の調査で得たものである。売却されるドリアンの重量と値段を記録しながら、村の人びとのドリアン収穫につきあっていると数値だけではない様々な質的データが得られた。このようにして得られたデータも本報告に反映されている。
 報告では、オラン・アスリと森の関係(森林保護法や森林伐採によって森へのアクセスが制限されていることなど)を簡単に説明した後、ドリアン収穫の過去と現在を調査村の事例を基に素描した。特に、換金作物化と連動して、村の人びとが森から集落に近い地域へとドリアン果樹園の比重を移していったことを強調した。さらに、2日ないし3日しか商品としての価値がないドリアンを売却するに際して、村の人びとと仲買業者との間に様々なやりとりがあることを説明した。そして、村で最も高い収入を得ている世帯のドリアン栽培経営の仕方を指摘した。
 報告の後半では、高収入を得ている世帯のドリアン栽培の仕方に焦点を当て、森との新たな関係のあり方を考察した。彼らのドリアン栽培の方法とは、自生によって形成されていた森のなかのドリアン果樹園に新たにドリアンの苗木を植えて、果樹園を整備していくというものであった。これは森の開拓であり、森から出てきた人びとの新たな森の利用の仕方でもある。ドリアンを植樹するということは、森の資源を開発するという態度につながっている。村の人びとは森のなかのドリアン果樹園を外部者に気づかれないようにしている。そうした処置には、森の資源を確保するための彼らなりの戦略が見え隠れしている。
 報告の最後では、最近の調査からドリアンに関する事例を紹介した。供給過剰によってドリアンの価格が低下し、村の人びとは森のなかのドリアン果樹園でのドリアン収穫を停止している。このことは、ドリアン収穫がドリアンの市場価格に左右されていることを示しているのだが、森のドリアンを売らない権利は彼らにあるという意味では、森の資源を開発する権利はやはり彼らのもとにあることをも示している。


文化資源(山下)班第9回研究会(04/02/21-22)
Changing Aspects of Multilingualism in Byans, Far Western Nepal: Language as a Cultural Resource
Katsuo Nawa  
The University of Tokyo

 For centuries, multilingualism has been an indispensable part of the lives of people of Byans, the uppermost valley on the western border between India and Nepal. In addition, they have faced an increasingly complicated language situation in and around Byans for decades. People of Chhangru (the village where I carried out my main field research) have spoken Byansi as their first language, but not every villager has equal knowledge of this language. In addition, many villagers have utilized their skill in two other languages, Tibetan and Pahari, to carry out one of their "traditional" occupations, trans-Himalayan trade. For more than fifty years, moreover, many villagers have learned Nepali, Hindi, and/or English in schools in Nepal and India. The ability to read and write at least one of those standardized languages has become vital in getting a salaried job, while the influx of those languages has considerably reduced the autonomy as well as automaticity of Byansi, their first language, in their everyday lives. In this paper, I present a historical overview of language use in Byans, and analyze the way in which the local people manipulate different languages as a cultural resource within the context of the ever-changing reality of multilingualism.

文化資源(山下)班第9回研究会(04/02/21-22)
Perspectives Toward Cosmopolitanism as a Cultural Resource
Ulf Hannerz
Stockholm University

 This presentation is primarily concerned with the contemporary conceptualization of cosmopolitanism, and the sense in which cosmopolitanism can be seen as a cultural resource. Cosmopolitanism is a concept with a heavy historical load of meanings and associations, but two emphases are dominant: cosmopolitanism as experience and skill in handling cultural diversity, and appreciation of cultural diversity; and cosmopolitanism as a kind of world citizenship, entailing a sense of concern with and responsibility for the world and humanity as a whole. These two could conceivably be entirely different bundles of phenomena, only somewhat arbitrarily sharing one term, primarily in European languages. Drawing on an analogy with the distinction in studies of nationalism between ”civic” and ”ethnic” nationalisms, where it has been argued that the latter can draw some of its strength from being more culturally dense, the argument put forward here is that cosmopolitanism in its more political sense of ”world citizenship” can find a resource for mobilization and commitment in cosmopolitanism in the sense of a particular cultural orientation toward diversity. The paper also refers to recent debates over the social distribution of cosmopolitanism, suggesting that cosmopolitan orientations may now be more widespread than previously thought. It distinguishes between cosmopolitanism as an emic and as an analytical concept, and between cosmopolitanism as a social and as a cultural resource. It also refers to the difference between cultural and material resources, in the sense that the former, as ideas, are not finite in the same way as the latter.

文化資源(山下)班第9回研究会(04/02/21-22)
文化資源概念は、森を、海を守れるか?
遅沢 克也
愛媛大学農学部

 研究者自体、ないしは、調査研究の行為そのものを文化資源化できないであろうか。そんな無謀なことをあえて考えるのは、「資源概念」を積極的に使うことによって、行き詰まった社会状況に新たな流れを創り出す可能性があると感じるからである。熱帯林を研究する者にとって、1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された地球環境サミットは決定的な意味を持つ。ここで初めて、世界的に自然生態系に経済的価値以外の価値付けがなされたからである。こうした試みの萌芽は、1972年のストックホルムでのアピールなどに遡ることができるが、リオの環境サミットにおいて世界的な認知がなされたことに意味がある。実は、私が今まで冒険的な研究を試行した際には、その行為自体に文化的な価値付けを施してきたとも言える。一つは、「こども向け自然・環境教育への兆戦~愛媛大学農学部の取り組み~」(『農林漁業政策の新方向』255-280頁、農林統計協会、2002年)であり、一つは「船を使った海域研究の拠点づくりとウォーレシア海域の生物資源利用・管理の動態」(科学研究補助金)である。前者は、農学部の教員が自然生態系の中でやっている研究内容やその前線で考えていること、さらには研究者自体を小学校の自然・環境教育の材料にしようという試みであった。後者は、研究拠点としての大型木造帆船づくり自体を研究対象とし、この船を使った調査航海を実施することによってウォーレシアの森や海を守る契機を与えようとしたのである。将来は、「平成の海域遍路づくり」を夢見ている。これは、われわれが展開しているウォーレシア離島群の森や海の生物資源利用の調査現場に先進国の若者を連れて行き、彼等にここでの生物資源利用の技術体系を学ばせながら、かつ、自然への畏敬の念を体感させようとするものである。この試みを通じて、住民には従来からの生業を再評価する契機を、巡礼者には新たな生き方への契機を提供できると考えられた。海域遍路の新たな聖地を散りばめることによって、ウォーレシアの森や海はより文化資源化されるであろう。


小生産物(小川)班2003年度第6回研究会(04/02/20)
雪山遺跡出土の薩摩焼(苗代川焼)について
関 明恵(鹿児島県立埋蔵文化財センター)

はじめに
雪山遺跡は、鹿児島県日置郡東市来町美山字雪山に所在する。東市来町美山は、文禄・慶長の役で招来された渡来陶工によって窯業が始められ、連綿と現在に続く薩摩焼生産の中心地である。このため,17世紀の早い段階から元屋敷窯や堂平窯等の窯が開かれ、幕末にかけては南京皿山窯のような肥前系磁器を焼成する窯等も築窯された。近代になってからも各所に窯が築かれ、現代もなお意欲的にその火は消えることなく続いている。

1 遺跡の性格
 雪山遺跡からは大量の陶磁器が出土した。それらは、一般的な消費遺跡とは異なり、焼け歪みが強く使用に耐えられないと思われるものや、生活品としては多すぎる同器種のもので、その様相は生産地的性格を窺わせるものであった。
 雪山遺跡と近接した位置関係には、明治20年頃「雪之山窯」が稼働していた伝承や文献資料があり、周辺踏査の結果この窯跡を確認した。周辺に散乱する廃棄された製品は雪山遺跡出土の陶器と同様のものであったことなどから、本遺跡は、一つの窯を数軒の陶工が共同窯として運営していた時代(19世紀後半)の苗代川焼陶工の作業場及び家屋であったと考えられる。
2 出土遺物
 製品としては、いわゆる薩摩焼の「黒もの」と呼ばれる資料で、碗・鉢・皿・蓋・土瓶・瓶類・練鉢・擂鉢・鍋・釜・甕・壺・植木鉢・土管等がある。その他土製品、窯道具、陶磁器の製作用具、トンバイなどが出土している。

小生産物(小川)班2003年度第6回研究会(04/02/21)
鹿児島の風土―よそ者の視点から
高 鮮徽(鹿児島大学水産学部・助教授)

  1. 身分社会→鹿児島にきた当初、八百屋、化粧品屋、洋品店、食堂などで、あなた何をやっている人って聞かれる。身分(職業)を聞いて、接する態度を決めようとする社会、階級制が生きている。よそ者、鹿児島大学教員、外国人、女性など様々な要素。まず、職業を明かしそれに相応しい態度が要求される。
  2. 知り合いか→来た当初、飛行機の切符を買うために、電話番号帳を調べ、10社ほど電話をした。相手は、折り返し電話するといい連絡先を聞かれるが、折り返しの電話が一件もない。知り合いでないと相手にしない?外国人だから?
  3. 谷山の近くに住んでいたとき、スパーや郵便局に、入ると出るまで、ずっと目で追いながら(何者だ?)監視する。他の客も私の周囲を回りながらしげしげとみる。
  4. みる(カテゴライズ)という行為、電車、郵便局、レストラン、商店、デパート、街角で、ちょっと異質な者への不快感(異質、見慣れない者自体が不愉快?)を露わにした視線。
  5. 閉鎖的であることを感じる一つの物差し、いったことがそのまま受け取られない。日本語が通じないという感覚。言葉の問題ではない。人がいっていることを自分の(小さい)辞書に置き換える、または辞書になければ、無視する。
  6. 講義を聴きに来て、聞かないように努力する学生。聞きなれない考え方(捉え方)に恐怖を感じる。
  7. 一か八か、すべてのことは一か八かである。しかし、それでは大変なので、重要なことだけ白か黒かをはっきりさせる。鹿児島では、すべてが一か八かである。知り合いとそうでない人間。よそ者であっても知り合いであれば、無理も聞いてくれる。人間関係の適当な距離の感覚が異なる、「近い」と「その他」に分けられる。公私の区別はない?
  8. 自己完結の世界、マスコミ業界を目指す学生へ、鹿児島に戻ってくるにしても、他の世界の経験を勧める、他の世界を想像することすらしたくない。東京と比べ、新聞に書かれている内容の差はあまりない、しかし、実践する立場と知っている立場の違いに気づかない。鹿児島を話題にすることすらいやがる言論統制?客観視させない自己中心的な構造、学問の世界(もっとも自由な)も同じ?マイノリティ研究をする人がマイノリティになり差別される。多様性を拒む。
  9. 差別、差別しているのではと心配、差別されるとは思いたくもない、被害妄想、差別できる立場なのか?差別と関わり合いたくないという本音、関わることだけで周囲から差別される。差別されるものを孤立させる構造。様々な規制(仮想現実)に縛られている。そして自分と他者を縛っている。

小生産物(小川)班2003年度第6回研究会(04/02/21)
共有資源の所有形態に関する通時的検討
長崎県小値賀島の漁業を例として
葉山 茂(総合研究大学院大学文化科学研究科)

 海の自然資源の利用をめぐって人びとは現場の論理に基づく社会的な規制をつくり出してきた。この社会的な規制はしばしばコモンズの議論を引用して論じられる。コモンズの議論は環境保全や資源保護を念頭に置きながら、持続的な資源利用の形態を発見してきた。けれども、自然資源が過去から現在まで何の変化もない伝統的な方法と規制によって使われ共有されてきたとは考えられないし、未来永劫同じ規制のなかで使い続けられるとも考えられない。むしろ、そのときどきに自然資源を取り巻く経済的、政治的、社会的な状況に応じて、利用の形態や規制は大きく変化してきたはずである。本発表では、長崎県小値賀島の漁業を事例として、自然資源の利用と規制の変容を通時的な視点から詳細に描きだすことを目的とした。
  資源利用をめぐる社会的な規制の変容を明らかにするために、本発表では基本的にだれでも自由に参入可能な釣り漁に着目した。小値賀島では釣り漁が盛んである。小値賀島の漁師たちのライフヒストリーから、小値賀島の漁師たちは1950年以降、そのときどきに資源の価値の変化に応じて漁を変えてきたことがわかった。なかでも、小値賀島の漁師たちにとって重要だったのはトラフグ延縄漁、タチウオ曳き縄漁、イサキ夜間釣り漁の3つの釣り漁であった。これらの漁では現在、法的には参入が自由であるにもかかわらず、新たに漁をすることが難しい。しかし、これらの漁は導入された当初から社会的な規制があったわけではない。どの漁でも資源が小値賀島の漁師たちにとって価値がなかったときには社会的な規制はなかったのである。資源が価値のあるものとして発見されて初めて、社会的な規制が生まれるのである。そして、その社会的な規制は固定的なものではなく、そのときどきの現場での相互調整を通じて変容してきた。一見、固定的にみえる資源利用の形態も通時的な視点からみると大きく変容していることを明らかにした。

小生産物(小川)班2003年度第6回研究会(04/02/21)
ボクサーの誕生
-ビルマ伝統スポーツ「レッフェ」の伝承-
宇佐美隆憲(東洋大学社会学部)

 本報告は,ボクシングに類似したビルマの伝統スポーツの一つであるレッフェを取り上げ,ブルデューの「ハビトゥス」,レイヴとウェンガーによる「正統的周辺参加」や「実践コミュニティ」,さらには運動伝承を現象学的・形態学的運動理論によって捉えるスポーツ運動学などの諸概念を背景に,レッフェの技術がどのように身体に刻印され,また選手自身の中で醸成されていくのかについて検討を行った。
 レッフェの主な特徴は,グローブを着用せずに素手或いは拳にバンデージを巻いて対戦すること,また,ダウンしても一度だけ休憩が取れるというルールである。選手はジムに相当する集団に所属してコーチの指導によるトレーニングを行うが,このような集団を実践コミュニティと見ることが出来る。そして技術の伝承パターンが「型」と「試合」のどちらを重視しているかによって実践コミュニティは二つに大別できる。すなわち,一定の型を身につけることをトレーニングの主体とするコミュニティと,実際の試合に近い形のトレーニングを行ってテクニックのバリエーションを増やすことに重きを置くコミュニティである。両者はまた,指導者が動きをどのように選手に伝えるかによっても異なっている。つまり,型重視の指導者は基本的に多くを語らず,選手が動きの解釈を積極的に行うことによって動きの意味を作り上げるようにさせるのに対し,試合重視の指導者は,動きを積極的に言語化して選手と共に動くことで動きを直接伝えるのである。
 これらの差異を運動学的に再解釈すれば以下のように結論づけられよう。すなわち,型重視コミュニティでは,型を身につけさせるために承け手の積極的な解釈が必要とされ,これによって運動ゲシュタルトに運動意味核を持たせ,さらに動きに対する意味の構造化が諺に代表される伝統的な思考様式によって補完されているのに対し,試合重視コミュニティでは,伝え手の能動的な関与によって運動感覚が承け手に伝承され,そこでは身体の共振共鳴による運動感覚交信によって承け手の運動感覚図式が発生するのである。

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貨幣資源(春日)班2003年度第8回研究会(04/02/17)
国際ワークショップ
MONEY, MEANING AND MATERIALISM:
A Papua New Guinean case history
Monica Minnegal and Peter Dwyer (University of Melboune)

By 1986, Kubo people of the interior lowlands of Papua New Guinea had, at the most, 15 years exposure to money. Through the next 13 years the ways in which these hunter-gatherer-like people used money changed. There was a shift in the focus of desire from the particular commodities that might be acquired with monetary tokens to money itself and the potential it offered to acquire unspecified commodities in the future. There was a gradual appreciation that monetary exchanges need not entail connotations of on-going relationships between transactors. And there was growing acceptance of the fact that ‘objects’ which could be exchanged for money had value that was independent of their connection with the transactors but, rather, could be judged relative to the qualities of similar objects. An outcome of these changes was an increased emphasis upon individual interests at a local scale combined with increased integration of communities at a broader scale. In parallel with these changes, however, Kubo people progressively extrapolated the abstract and totalizing logic within which money participates to other, non-monetary, domains of their lives such as gender relations and conceptualizations of both rights to land and group boundaries. These later changes have had more far reaching consequences for Kubo than did money itself.

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貨幣資源(春日)班2003年度第8回研究会(04/02/17)
国際ワークショップ
Kinship and economy re-visited: a Fijian case
Christina Toren (Brunel University)

By means of an analysis of the proceedings in a village meeting recorded on Gau island, Fiji, in late 1982, this paper re-considers the impact of money on a Pacific Island economy. It looks at day-to-day living as I knew it in the vanua (country) of Sawaieke to show how people's relations with one another are mediated by exchanges of various kinds, including work and, by the same token ‘how the idea of a relationship might be variously conceptualized …’ (see Strathern 1985:195). It argues that all exchanges between Sawaieke villagers are assimilated in one way or another to a play of relationships in which hierarchy and equality are in tension with one another as to which form will prevail. Relationships and what one does with them, or by means of them, are what really matters because it is in relationship that the effectiveness of what one says and does evinces itself. The rhetoric of gift versus commodity is used often enough to rationalise the continuity and superiority of what is vakavanua (‘according to the land’ or traditional) over what is variously said to be European or Indian or ‘according to money’, but even so relations between people in Sawaieke vanua are not a function of the kinds of transactions in which they engage. Rather those transactions and their propriety are inevitably referred to the land as the material basis and justification of all relationships between people who, as i taukei, belong to the land from which they come and who cannot alienate it from its ancestral guardians. Whether an object is transacted as gift or commodity or tribute or extracted or seized or whatever, and whether and how money does or does not figure in the exchange, is a function of how relationship is currently being configured by those who are party to the transaction. It is the relationship and what the transactors are making of it that governs how, in effect, the exchange comes to be seen.

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貨幣資源(春日)班2003年度第8回研究会(04/02/17)
国際ワークショップ
The Meanings of Money in Tontine (Rotating Savings and Credit Associations)
: The Case of Bamileke in Cameroon
野元美佐(名古屋大学文学研究科COE研究員)

本発表は、カメルーン経済を握るとされるエスニック・グループ「バミレケ」が活発に行っている金融制度「頼母子講(講、無尽)」を、貨幣に着目して考察したものである。バミレケは、露天商から大企業家まで、銀行がたちならぶ都市においても頼母子講を行っている。これまで、バミレケの頼母子講の活発さは、銀行へのアクセスの難しさや資金創出など経済的理由から説明されてきたが、それ以外の理由もある。
首都ヤウンデにおいて、同村出身者たちが集まる同郷者組織では、頼母子講が欠かせない活動とされている。同郷者組織の活動は複数あり、頼母子講よりも、葬礼参加や保険制度など、都市における同郷者の相互扶助がメインである。しかしそこに頼母子講が欠かせないのは、それが人を集会に向かわせるからである。頼母子講の支払いのため、集会に人がやって来る。つまり、相互扶助は頼母子講によって支えられているのである。
 しかしより重要なことは、頼母子講が貨幣の意味を変えるということである。ほとんどの同郷者組織では頼母子講参加が義務である。頼母子講参加を強いることは、カネを稼ぐことを強いることと同じである。つまりカネを稼ぐという「個人的行為」を、頼母子講にリンクすることにより「集団的行為」へと変化させている。それによって、貨幣も、個人的で利己的な貨幣から、集団的資源としての貨幣へと意味を変える。なぜなら、頼母子講は贈与交換が行われる場として考えられているからである。頼母子講で贈与されるものは貨幣である。ひとびとは贈与の場であるからこそ、頼母子講を「助け合い」であり「善きもの」と考えるのであり、頼母子講のためにカネを稼ぐことも善となり、そこに持ち寄られる貨幣も善となる。アフリカでは平等化の圧力が強く、資本蓄積が難しいとされるが、バミレケは頼母子講を介すことでカネを稼ぐことを正当化し、資本蓄積の場を保証している。これが、人びとが頼母子講を好む理由であると考える。

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貨幣資源(春日)班2003年度第8回研究会(04/02/17)
国際ワークショップ
“Valuing Social Honour: Changing Calculus of Samoan Forgiveness”
Cluny Macpherson (University of Aukland)

In Samoa, the regulation of social affairs is important for political and economic life. Where breakdowns of social relations occur, usually as the result of serious acts such as manslaughter, political and economic relations are threatened, and exchanges between the families, extended families, congregations, or villages involved are arranged. In theseifogaceremonies one group exchanges gifts and extreme deference for the public forgiveness by the other group. These ceremonies involve the ritual self-abasement by the group which accepts responsibility for the act which caused the breakdown and the offering of traditional gifts to the other. When accepted, these gestures end the confrontation and result in the resumption of ‘normal’ relations.
In the recent past, cash has been introduced into these exchanges and this has caused some confusion and uncertainty. It is not clear what the cash is intended to ‘settle’: does it represent a given amount of traditional gifts, or is it an attempt to compensate a family for a loss of life, or foregone production or earnings, or the loss of dignity? In the present situation the foundation of calculus of social honour has become unclear and it has become increasingly difficult to determine how much cash should be given. The uncertainty produced by the introduction of cash may reduce the effectiveness of theifogaceremony.

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貨幣資源(春日)班2003年度第8回研究会(04/02/17)
国際ワークショップ
“From Paddy to Vanilla, from Elephant Tusk to Money
: Influence of Development Assistance upon Traditional Economy among the Ende People of Flores, Eastern Indonesia”
Satoshi Nakagawa (Osaka University)

東インドネシアのフローレス島中部のエンデにおける約50年間の「経済」の変遷について述べた論文である。エンデには三つの経済の領域がある~(1)婚資交換に代表される威信経済の領域、(2)焼き畑耕作に代表される自給経済の領域、そして、(3)市場経済の領域である。エンデの人にとって最も重要な経済は、威信経済の領域である。
1960年代くらいまでは婚資交換(威信経済)を支えていたのは、焼き畑による収穫(自給経済の領域)であった。豊作による余剰作物が象牙などの婚資のアイテムに交換されたのである。嫁を受け取るものたちは婚資として象牙や(豚以外の)動物を、嫁を受け取るものたちに与えるのだ。後者は前者に、米や農作物、豚を与えるのである。1980年代には、象牙が村から外へ流出した。観光客が多くの象牙細工を買っていったのである。さらに、1980年代の半ばには焼き畑があまり耕作されなくなった。多くの若い男たちがマレーシアへ出稼ぎに出かけるようになったのである。2000年代には換金作物が導入されて、焼き畑による「自給経済」はほぼ終りを迎えた。そのような状況下でも、威信経済は活発であり、人々は婚資の交換に情熱をそそぐ。現在、威信経済を支えるのは市場経済の領域なのである。もっとも、婚資交換で交換される財はほとんどが貨幣である。一見現在のエンデの村社会では、すべてに貨幣が使われているようにみえるが、威信経済を流通する貨幣はあくまで「象牙」の代りであり、「動物」の代りであり、そして「米」の代りなのである。1960年代のシステム自身は、ほぼ変わらずに作動しているのだ。

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文化資源(山下)班第8回研究会(04/02/07)
ブルデユーの文化資本について
田辺繁治
国立民族学博物館

 この発表では、ブルデューの「文化資本」の概念が今日の文化的現象についての人類学的研究に適用できるか否かを検討する。その際、ブルデューの初期の人類学的カビル研究から、のちの近代教育制度や芸術、趣味などをめぐる研究、さらに90年代の市場独裁批判への変化を念頭におく必要がある。この発表では、文化資本の概念をブルデューのカビル研究からネオ・リベラリズム批判にいたる過程のなかでとらえ、文化資本をめぐる実践が変革の可能性につながるものであるかを、以下のことがらを検討しながら、考えてみる。(1)ハビトゥス、場(champ, field)、(2)文化資本―象徴資本、象徴暴力、象徴闘争、文化資本、(3)卓越化、差別化(ディスタンクシオン)、(4)市場独裁主義批判─新たな「相対的自律性」へ。ブルデューは1990年代に政治的ターン(その象徴的事件は1995年12月のストライキ)をとげるが、そこで学問的に問われていたのは、1960年のアルジェリアではなく、グローバル化する資本主義市場独裁において経済、社会、文化生産などさまざまな場がいかにそれに対抗できるかという問いだった。しかし、1990年代以降、経済的暴力が象徴暴力としてますます猛威をふるうなかにあって、はたしてブルデューの主張する公共性の復権、文化と社会の擁護がどの程度有効であるか否かはわからない。とくに、ハビトゥスをとおして闘われるさまざまな社会的、文化的、芸術的な生産の場の相対的自立性が市場独裁のなかでどのように確保された力を発揮することができるかという問題は、さらに綿密に検討されなければならないだろう。

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貨幣資源(春日)班2003年度第7回研究会(04/02/02)
「売ったり買ったり」と「あげたりもらったり」のあいだ
-フランスのあるSEL(地域交換システム)における交換-
中川 理(学振特別研究員)

 一般に流通している通貨ではなく、会員のあいだだけで通用する通貨を媒介として、モノやサービスをやり取りする仕組みである地域通貨は、フランスでも急速な広がりを見せている。本発表は、この地域通貨を用いた交換がどのようなものとして当事者たちに理解されているかを、南フランスの小都市にある地域通貨組織の事例について検討している。ひとびとが交換をどのように表現するか検討すると、地域通貨(フランスではSEL=地域交換システムと呼ばれる)による交換が両義性を持っている、という事実が見えてくる。つまり、SEL交換は時に贈与「のようなもの」として理解され、時に売買「のようなもの」として理解される。これらのすでにある社会関係のパターンとのアナロジーによって、ひとびとは自分たちが行なっている新しい実践がどのような相互行為なのかを規定しようとしているのであると明らかになる。また、このような両義的性格のため、交換にかかわる双方の理解がくいちがうことがありうる。発表者は、地域通貨を用いたリサイクル食料の交換の事例分析によって、このような「言語の混乱」状況を描き出した。この事例では、スーパーマーケットの売れ残り食料を地域通貨組織が回収し、SELを用いて交換している。このとき、組織のボランティア(「与え手」)はこの交換を贈与として描写するのに対して、食料の「受け手」は売買として描写する。このリサイクル食料の交換は、二種類の解釈のあいだの交渉の上に成り立っているのである。

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貨幣資源(春日)班2003年度第7回研究会(04/02/02)
交換システムの解釈学
―スペイン・カタルーニャの場合―
織田竜也(経済人類学、国立民族学博物館共同研究員)

 スペイン・カタルーニャ自治州において実施した、述べ22ヶ月にわたるフィールドワークの成果に基づいて、当地の地域通貨団体 “La Troca” の活動を事例に、独自の交換を行う人々の生活世界を考察した。
 これまで文化人類学において、交換の問題は複数の「概念の次元」が混同して議論されてきた傾向があったため、互酬論やシステム論についての先行諸研究を整理することで、問題の所在を明らかにした。
 スペイン・カタルーニャ自治州の概要を説明し、“La Troca” の活動を紹介した。この団体の活動を詳細に分析し、インタビュー結果や図表資料を基に、活動の次元からどのような認識が生まれ、言説が形成されるのかを明らかにした。
 「規範」・「実践」・「心的領域」それぞれの次元を接合させた記述を目指して、言説や儀礼についての先行諸研究を発展させつつ、「想像力」の働きを明示化した。すなわち、地域通貨の活動は「規範」の次元では「温かな互酬」として、また具体的な「実践」からは「楽しい趣味」として、参加者に認識されるのだが、同時に「対抗資本主義」といった解釈も発見されたことを提示した。
 このことは、地域通貨の活動が資本主義との関係によって認識される状況を示す。すなわち、地域通貨へのポジティブなイメージと資本主義へのネガティブなイメージが、相互に結びついた形で人々に認識される。ロジックによる説明では十分に解明されないこのような結びつきを認識の「ポップアップ効果」と概念化し、今後の研究において「抵抗論」や「アンチ・グローバリズム」の文脈で論じられる諸現象のための分析モデルを提出した。

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知識資源(ダニエルス)班2003年度第4回研究会(04/01/25)
「中国戦国時代の史書づくりと宣伝方法、そして逆宣伝方法」
平勢隆郎(東京大学東洋文化研究所・松井班)

 漢字は限られた都市の文字として始まり、春秋時代に黄河流域・長江領域のいわゆる天下の諸都市にひろまった。当時の漢字は都市の祭祀に用いられていたが、戦国時代には文書行政が始まり、漢字のあらたな展開が始まった。
 新石器時代以来の文化地域を母体として複数の領域国家が成立すると、それぞれの中央では古くからの伝統を背景に独自の史書を作り、それぞれの歴史観と領土観を表明した。領土・歴史いずれも舞台が交錯することから、他の国家の史書を誹謗する議論があちこちでおこった。当時は複製を作るにも手書きによったから、同じテキストは限られた数しか作られなかったが、敵対する国家に自分たちの史書を送りつけ、みずからの主張を直接ぶつけて宣伝の道具にした。送りつけられた方は、その史書を逆に利用し、その主張を封印する別の史書や書物を作り出す。こうして、領域国家相互の対立を軸とした宣伝戦が展開されたのである。
 現在出土してくる諸テキストは、そうして各国がやりとりすることになった史書や書物を書き写して手元においておいたものの一部だろうと考えられる。

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知識資源(ダニエルス)班2003年度第4回研究会(04/01/25)
「情報の所有と交換をめぐって」
山本真鳥(法政大学経済学部)

 情報を交換論で分析する手法は早くから構想されていたにもかかわらず、理論化が遅れている。それは、情報の場合、贈与しても贈り主が贈与物の所有をあきらめる必要がない点、また一旦受け取ったことのある情報は2度目に受け取ってもあまり意味のあるものとはならない点で、財の贈与とは基本的に異なっており、通常の財の贈与の分析モデルが当てはまらないことと関係している。情報の贈与を分析する枠組は現在も模索中であるが、無限に情報を不特定多数にばらまく放送のようなモデルと、情報を秘密にして送り手・受け手を限定し、稀少性を作り出すモデルの両極の間に様々な度合いの贈与が存在しうる。
 サモア社会では、家系にまつわる話は、親族集団の諸権利に関わっており、知っているのは親族集団のキーパーソンであるしるしであるから、親族集団内部でも限られた人々しか知らない。また一般的にサモアでは「知は力である」。というのは、儀礼的場面で優れた演説(オラトリー)を行い人々を感じ入らせることが、重大な能力として認められるからである。演説の中では話の全容に直接ふれるのではなく、格言として話に言及する形で知識を披瀝する。貴重な知識を知っている、ということを暗示するが、知識そのものをすべて教えてしまうことはない。「とどめる話」ほど秘密ではないものの、口頭伝承一般(歴史物語、お伽話、昔話)は、心ある若者が親しい老人たちから丹念に聞いて集めるが、むやみに人に教えることはない。情報の稀少性が権力と密接に関わっているのである。
 一方、「背後を走る話」はうわさ話のことであるが、これは逆に話題となっている人が不在の場面で饒舌に語られる話となっている。近代化とともに普及したラジオ放送は、饒舌に語られる点でうわさ話に似ているが、うわさ話と違って、話題になっている人に話が到達しないようにコントロールすることができない。したがってラジオ放送のニュースでとりあげられるトピックは、うわさ話とは異なり、政府関係の動向、海外ニュースなどが主体であり、特定の家系の話や家系同士、村同士の争いといった「伝統的」トピックをオンエアすることはできない。しかし、無限に情報を贈与する(ばらまく)場合でも、次々と情報をまき続ける中心となることによって、ラジオ放送もこの社会では中心性を作り出す点で権力と関わりがある。


身体資源(菅原)班第6回研究会(04/01/24)
家畜という資源
-等価性と外部性を考える糸口として-
太田至
(研究分担者、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)

 アフリカの牧畜社会においては、家畜がさまざまな社会関係の媒介物として使われてきたことが知られているが、同時に家畜は、貨幣がもつ三つの機能(価値の尺度、交換の手段、蓄財の手段)をはたす「原始貨幣」のひとつであるという議論もおこなわれてきた。現在、こうした社会に市場経済が急速に浸透する状況のもとで、普遍性・抽象性・無限性を本質とする貨幣と、家畜との異同をあらためて検討しなおす必要がある。そのためには、家畜がどのように所有され交換されているのかを、再度、問わなければならない。この作業は、あるモノと別のモノが交換されるときに、両者が「等価であること」を確保するにあたって当時者の「外部の存在」が果たす役割を照射することになるはずである。
 本報告の材料を提供するのは、東アフリカ・ケニアの北西部、年間降雨量が200-400ミリ程度の乾燥地域に住むトゥルカナの人びとである。彼らはパラナイル系の言語を話し、約30万人の人口を有し、主として牧畜に依存しながら生活している。
 トゥルカナ社会には、家畜同士を交換するやり方は二つしかなく、そのどちらの交換においても基本的にはオスとメスが交換されるのだが、交換にのぞむ当事者の動機のちがいにもとづいて、交換するという行為をあらわす語彙は異なっている。すなわち「交換」を一般的に表す語彙は存在しない。そして、交換にのぞむ当事者は熾烈な交渉を経ることによって合意を形成する。さらにまた「この家畜交換」と「あの家畜交換」は相互に独自であって、精算することは不可能であるが、その独自性は家畜が個体識別されていることに裏付けられている。
 しかしながらトゥルカナ社会に家畜のマーケットが出現し、家畜が貨幣を介して売買されるようになると、そこで購入された家畜は、第一にそれまでの「歴史」を削除された無名の存在となり、第二にはつよく個人所有されるようになる。また、トゥルカナに隣接するサンブル社会のマーケットでは、家畜を叩いて肉付きを確かめたり、かかえ上げて重さを量ったりする。すなわち、個々に置換不可能であった家畜個体は、「肉付きと重さ=量」を基準として評価されるようになり、個体という身体の全体性を失って「解体して肉屋の店先にならべたとき、各部位はいくらで売却されるか」というように部品化する。
 トゥルカナ社会における家畜交換は、交換されるモノとモノの等価性は、本来は合理的に基礎づけることができず、実践的な合意によって確保されるしかないことをあらためて教える。それは貨幣という抽象的な「外部」に等価性の根拠をもとめる交換とは本質的に異なっている。

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身体資源(菅原)班第6回研究会(04/01/24)
他者の「怒り」を手がかりにした問題解決
─北西ケニア・トゥルカナの占い場面から─
作道信介(研究協力者、弘前大学人文学部)

 北西ケニアの牧畜民トゥルカナは、ねだりに代表される交渉文化をもつことで知られる。社会生活はなんとか要求を実現させようとする要求側とそれを回避しようとする被要求側とのせめぎあいであり、交渉的色彩をもつ。その執拗さは、トゥルカナがあらかじめ決まった外部的規準ではなく、相手への交渉的な働きかけによってしか自己の正当性をえられないところからくるという(北村、1996)。
トゥルカナには、さきのような直接的問題解決ではない、いわば情動(怒り)を中心とした解決の方法がある。トゥルカナの人びとにとって、怒りは災厄をひきおこしかねない危険な情動である。相談者は深刻な病気や異変に出会ったとき、他者の怒りを疑い、サンダル占い師をたずねる。そこは、「誰が、相談者のどのような言動で怒ったのか」の検討がおこなわれ、相談者が相手との確執を語る「情動の語らい」emotion talkの場となっている(作道、2004)。
本発表では、占い場面のやりとりの分析をとおして、情動が物語的に構築されるプロセスを検討し、その社会心理学的機能を論じた。とくに「情動の語らい」がおこなわれた1事例をとりあげ、内容分析をおこなった。
占い場面で、占い師は文化的な確執のパターンと相談者についての背景的知識を照応させ、登場人物と事件をほのめかす。それに呼応して、相談者は具体的なエピソードを想起し語り出す。占い師は判じを「言う」というより、相談者に「語らせる」。ときには他の参加者も語りに加わることもある。相談者は占い師の親族・姻族、近隣の者で、顔見知りであり、占い師は家庭事情や問題の背景をある程度知っている。
まず、相談者は姻族や親族が怒ったと告げられる。それによって、相手は誰か、どうして怒ったのかを想起し、その当否をサンダルにたずねる。判じが決定すると、相談者は、相手の悪い言動を想起し語りだす。これは「相手を怒らせた」と指摘されたことへの反論であり弁明にもなっている。「私が相手を怒らせたというが、私も怒っているのだ」という語りのなかで、相談者は怒りの相互性を認識する。そのタイミングで相談者は、相手の立場や事情を忖度するよう導かれる。以上のプロセスによって、相手と自己の怒りが語りとして認識される。これは相手への攻撃的な態度やふるまいを抑制するよう働くと思われる。
討論の結果、「問題解決」という枠組みが不適切であることが指摘された。他者の怒りが指摘されても、多くの場合、相手の怒りの原因をさかのぼって話し合う根本的な解決ではなく、簡単な儀礼ですまされ様子見される場合が多い。発表者は、トゥルカナの人びとが「怒りを投げ捨て」(Harris, G.G.1986)たりしないで、語りながら、怒りとともに生活していることに思い至った。
 これらの気づきは第45回日本社会心理学会発表抄録(「交渉と怒り─北西ケニア・トゥルカナの怒りの脚本分析から」)、第41回日本アフリカ学会発表抄録(「語られる占い─北西ケニア・トゥルカナのサンダル占いのあとさき」)に反映された。


文化資源(山下)班第7回研究会(04/01/10)
Time and Tides Wait for…?
: Space, Time and the Cultural Logic of Resources (or Commodities ) in the Global Fishing Industry
Theodore Bestor
Harvard University

 This paper presents one part of a larger, more complex project that I call “Global Sushi.” The cultural resources that are involved across the various segments of the project, the things that hold it together, are tuna, not just the fish but the complex social structure of a fishing industry designed to catch tuna and the complex cultural meanings of tuna as an item of cuisine of increasing global popularity. It is a project that looks at what ? many years ago -- Ulf Hannerz referred to as “the provisioning relationships” that make complex societies work. My Global Sushi project also emulates the famous work of Sidney Mintz, Sweetness and Power, that examines how a single commodity ? in his case sugar not fish ? came to occupy a central position in a complex set of connections among very different societies, very different locales, and very different kinds of relations of production. In his analysis, the facts of sugar production in peripheral parts of the global system, the linkages among both peripheral and metropolitan societies and economies that are created through sugar, and the consumption of sugar in metropolitan cores, are all intimately related to one another. My project looks at a different commodity chain in a very different kind of world system, one marked by what many prominent anthropological theorists of globalization ? including Arjun Appadurai and Ulf Hannerz ? refer to in varying ways as a decentralized or disjunctive system of multiple flows and interrelationships and constantly shifting organizations of diversity. A globalized world in which what is core for one thing is peripheral for another, and where relationships among even the most intractable cores and peripheries may dissolve and reform themselves with frightening speed.

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文化資源(山下)班第7回研究会(04/01/10)
Hope as Resource
Hirokazu Miyazaki
Cornell University

 Hope (kibo) has recently emerged as a popular subject of contemplation in Japan. Today, many Japanese seem to agree that there is no hope in Japan. There have been numerous efforts, from politics to pop culture, to generate hope. These efforts range from reaffirmations of the spiritual strength of the Japanese nation to celebrations of individual uniqueness. In these efforts, hope is conceptualized as social resource. The purpose of this paper is to investigate how these diverse efforts to produce hope are articulated and complicated in individual Japanese actors’ experience of Japan’s long-term economic slump. Drawing on my longitudinal ethnographic research on Japanese securities traders’ career change, I seek to demonstrate that the generation of hope demands an operation of radical reorientation of self-knowledge. I also discuss the implications of this observation for the potential of hope as a new analytic for anthropology.

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文化資源(山下)班第7回研究会(04/01/10)
Tourism and Cultural Resources: Bali and Beyond
Shinji Yamashita
The University of Tokyo

 Culture should be understood as undergoing a dynamic process of being shaped and reshaped in history rather than having an unchangeable essence. In this process, as Gordon Mathews has discussed in his book, Global Culture/Individual Identity: Searching for Home in the Cultural Supermarket, there are two fundamental principles which regulate cultural production today: the state and the market. In modern nation-states, different forms of local and regional culture have become resources which can contribute to the formation of a national culture. At the same time, with the penetration of capitalism into the remotest corners of the world, culture has also become a commodity which is bought and sold in the transnational market. Culture today is thus located somewhere between nation-state and global market. This is particularly the case in the context of tourism in which culture is taken as a set of symbolic resources that can be consciously reworked, manipulated and consumed. Highlighting some points from my recently published book, Bali and Beyond: Explorations in the Anthropology of Tourism, this paper examines the cultural dynamics of tourism with a main focus on the case of Bali in Indonesia. It pays special attention to cultural processes and politics among the local people who manipulate culture in fabricating an identity for themselves through their relations with both nation-state and global market. What is crucial for this is to analyze the process of cultural "resourcization" or making culture as a resource. The paper argues that cultural resources are not something to be discovered but something to be produced.


生態資源(印東)班第2回研究会(03/12/18)
アイソトープ分析よりみた先史人の資源利用
南川 雅男
(北海道大学大学院地球環境科学研究科)

1.はじめに
 東アジアの先史人の食性を人骨の分析結果から復元することによって、時代や地域の異なる先史人がどのように利用資源を選択してきたかについて報告した。採集狩猟にもとづく自然資源利用から、どのように栽培と家畜という生業活動に移行したかに焦点をおいて研究した。この報告では、はじめに日本列島とオホーツク、シベリアの北方域の先史人について、人骨のアイソトープ分析による研究で明らかになったことを述べ、次にイノシシ、シカなどの動物骨のアイソトープ分析の結果を比較検討して、家畜化の認定方法について説明し、その方法により日本列島のイノシシの中にしめる家畜の割合から、家畜導入の有無と地域差について論じた。  
2.東アジア、環太平洋域の先史人骨コラーゲンのδ13C、δ15N分析の結果
 メキシコ、ペルーなどの農耕集団では雑穀(C4植物:キビ、アワ、ヒエ、トウモロコシなど)を利用していた証拠が、人骨コラーゲンのδ13Cに顕著に認められた。東アジアでは、シベリアの10世紀前後の集団にも同様の傾向が認められ、これも雑穀を利用して証拠と考えられる。一方、日本列島(北海道、本州、九州)の縄文時代、弥生時代の人骨の分析結果からはこれらと同等のδ13Cを示す集団は見つかっておらず、日本列島では雑穀の栽培は生活を支える食料としては利用されていなかったと考えられる。遺跡集団によっては、海産動物、陸上動物、C3植物の利用の程度は大きく異なり、当時は地域的にきわめて特徴の異なる食資源の利用をしていたと想像される。それにもかかわらずどの集団にも雑穀利用の証拠が見られないのは、やはり日本列島全体でC4植物資源が確実な食料アイテムの選択肢の中になかっと考えられる。しかし、このことは当時の日本列島でC4植物がなかったことを意味しないし、当時の人骨の値にC4植物の痕跡が皆無であるということではない。自然にC4植物を取り込んだ野生動物を利用したり、自然に分布しているC4植物を無意識に利用したことによるδ13Cの値は、分析結果に反映されているだろう。これまでの分析結果は、そのような間接的、受動的なC4植物の取り込み、いわばバックグランド超える積極的なC4植物の利用はなかったことを意味している。
3.家畜化の導入と普及
 家畜利用の有無を人骨の分析結果から見いだすことは困難なので、動物個体の食性分析により、当時の集団に家畜がいたかどうかを見分けることを試みた。イノシシの家畜化は約1万年以上前に大陸では行われていたとされているが、日本列島では縄文時代から弥生時代にかけての出土イノシシ骨のコラーゲン分析の結果は、それらが野生のシカと同等の、すなわちC3植物により成育したものであることを示した。一方、琉球諸島から出土したイノシシ属の個体にはそれらとはかけ離れたδ15Nを示すものが多く見いだされ、しかもその出現は7千年前にまでさかのぼることを示した。分析結果の分布パターンから、それらの試料は農耕民により飼育されたブタではないかと推定した。同様の同位体分布のパターンは韓国出土の弥生期のイノシシ属の個体試料にも見いだされた。仮にその推定が正しいとすると、少なくとも西日本には家畜化されたブタがもたらされても不思議ではないと考えられるが、これまでのところ縄文時代から弥生時代にかけてはそのようなイノシシの分析結果は得られていない。佐渡島や壱岐、五島列島など島嶼からもそのような個体は見いだされていない。これらのことから、南西諸島では、動物性資源を移入することが必要だったが、それ以外の日本の大半の地域では、あえて家畜を導入したり、飼育することは行われなかったのではないかと推定した。
4.考察
 これらの結果を併せて考えると、縄文時代には、本州や北海道など日本列島の多くは積極的に農耕栽培や家畜を導入する必要に迫られていなかったように見える。特に北海道では海産資源が比較的豊富だったためか、骨の形成に資するような日常的食料源として栽培植物を利用したとは考えにくい。ただし、これは栽培活動そのものを否定することではない。特殊な用途か、限られた期間に雑穀栽培を行うことはあったかもしれない。ただ、そこから得られる資源が常食となることはなかったと推定している。自然資源の供給量が小さく、人口の増加などで、時として資源が枯渇する危険のあった珊瑚礁の島嶼などでは実際に他の地域から家畜が移入されたと推定される。家畜飼育や栽培が定着したのはずっと後になってからであろう。

生態資源(印東)班第2回研究会(03/12/18)
「沖縄先史時代における食資源利用のダイナミズム」
高宮広土 (札幌大学)

 先史学的アプローチの利点の一つは、数百年あるいは数千年の単位で過去の人々の文化や適応過程を理解することが可能なことである。さらに、沖縄諸島の先史時代が重要であると思われる最大の理由は、しばしば「島は自然の実験室」と呼ばれるように、文化の変遷やヒトの適応戦略に関する仮説を検証することが、大陸や大きな島と比較して容易であり、その結果をモデルとして、他地域における文化変遷やヒトの適応戦略を理解するために利用することができることである。今回、沖縄諸島に初めてヒトの集団が適応した時期と考えられる、縄文時代中期後半?縄文時代後期から弥生?平安並行期にかけての、食資源利用および文化変遷について考察した。
 一般的に縄文・弥生?平安時代は、狩猟採集の時代で、いわゆる “affluent foraging society”の時代、すなわち「(食料の)豊かな平等社会」の時代であったと想定されている。実際、今日まで蓄積された考古学的なデータは、この想定を支持するようであるが、「島」という環境を考慮すると、この想定は理解しがたい。そこで、縄文時代後期から弥生?平安時代にかけての動物遺体を再分析した。その結果、これらの時代において、利用された動物種(脊椎・軟体動物)は、全て沖縄諸島で入手可能な野生動物であったが、その動物食獲得戦略は時代によって異なることが明らかになった。簡単に述べると、縄文時代後期は、沖縄諸島で最も効率の良い動物獲得システムが確立されていたが、そのシステムはその後崩壊し、弥生?平安時代になると、最も効率の悪い動物獲得システムへと変遷していった。つまり、弥生?平安時代の動物食利用は、沖縄諸島先史時代におけるフード・ストレスと解釈できるようである。
 また、縄文時代後期から弥生?平安時代は狩猟採集の時代であったが、住居跡や遺跡立地の比較、および交易システム等を検討すると、ただ単に「単純な狩猟採集」の時代であったとは断言できないようである。にもかかわらずグスク時代のような複雑な階級社会は成立しなかった。動物遺体の分析から考えられるその理由は、
・ 人口の増加と環境の劣悪化により、フード・ストレスが生じた。
・ 資源に対しての集団間の競争が発生し、その解決策の一つとして、より複雑な社会が形成された
・ グスク時代のような階級社会は形成されなかった。
この解釈が正しければ、沖縄先史時代のデータは、欧米の人類学で議論されているように、複雑社会(首長社会)は簡単には成立しないことをサポートする重要なデータであると思われる。
 以上のことから、沖縄諸島の先史時代を単純に“affluent foraging society”と想定することはできないことが指摘できる。


身体資源(菅原)班第5回研究会(03/12/06)
身体技法と社会学的認識
倉島 哲(研究協力者、京都大学人文科学研究所)

社会構造の科学的認識と行為者の主観的意味の認識を両立させることに、社会学は長年取り組んできた。このような「構造と主体」の問題を解決するうえで有望なアプローチとして実践への関心が高まっているが、実践を捉えるための決定的な方法論はいまだ提出されていない。本発表では、身体技法という観点から実践へ接近することで、実践をめぐる理論的状況に一石を投ずることを試みる。
前半では、まず、実践への認識論的アプローチを切り開いた代表的な理論家(ピエール・ブルデュー、生田久美子、ジーン・レイヴとエティエンヌ・ウェンガー、マイケル・ポラニー)の主張を批判的に検討し、それぞれの認識論的な問題点を特定する。つぎに、これらの問題点を克服すべく、独自の視点からマルセル・モースの「身体技法論」を読解する。
「身体技法論」では数多くの身体技法が列挙されるが、これらは行為の恣意的な形式ではない。なぜなら、モースは、生物学的・物理学的に有効であると認めた行為の形式だけを身体技法として特定しているからである。したがって、モースにとっての身体技法とは社会的に意味づけられたかぎりでの恣意的なシンボルではなく「非―恣意性」を帯びている。のみならず、モースは客観的な生物学的・物理学的判断の及びうる範囲を越えて行為の有効性を判断している。したがって、モースにとっての「非―恣意性」は、根源的には、あらゆる客観的根拠を欠いた「他者の重み」に由来するといえる。モースが行ったように、「他者の重み」に引き込まれて他者の行為に「非―恣意的」な身体技法を認めることは、社会科学的・自然科学的に導かれたいかなる構造のうちにも他者を回収することなく実践を認識することである。
以上の「身体技法論」の読解を踏まえ、後半では、発表者が1999年よりフィールドワークを行ってきた、京都市に所在する武術教室S流における実践を考察し、観察者が「他者の重み」に引き込まれることで「非―恣意性」を帯びた身体技法を認識することの意義を示す。そのさい、「相手の身体の線を取る」など、S流で多用される指導のための比喩的表現(わざ言語)に焦点を当てる。S流の考察は身体技法の「非―恣意性」と「他者の重み」に着目するアプローチの適用可能性の一端を示したにすぎず、今後はさらなる可能性を開拓することが望まれる。

身体資源(菅原)班第5回研究会(03/12/06)
アイデンティティ・セルフ・身体
―西ケニア・オデニョ一族の100年―
松田素二(研究分担者、京都大学大学院文学研究科)

 近代西欧世界との出会いは、世界各地で多様で錯綜した対応を生起させたが、出会いがもたらす共通の社会変化も生じている。その代表的なものとしては、レギュラーワークの思想と実践の普及による賃金労働の確立と、その過程で起こる都市化現象があげられる。都市化はたんに人口の都市への集中的移動という形態的次元にとどまらず、そこに立ち上がる都市社会における新たなアイデンティティや身体技法といった、人間生活の内面まで根源的に再編成する力でもある。
 農村から都市に移住してきた人々は、新たな都市の生活環境において、それまで馴染んできた身体技法や価値規範が、そのまま通用しないことを身をもって知る。では彼らは、その次にいかなる代替規範や技法をつくりあげることができるのだろうか。本報告では、ケニアの首都ナイロビに西部ケニアの山村から移住してきたある村人の経験をもとにして、彼らが、1900年代から2000年までの100年間に示した歴史的な対応の生活実践を、ケニアの近代植民地支配史を背景にして、検討することを試みた。
 まず一族の第一世代は、1910年代、新規な西欧近代の身体技法や価値規範と、真正面から衝突し、圧倒的な力関係の不平等のまえに、暴力的に屈従され排斥されていった。ところが第二世代になると、もう少し巧妙な選択も登場する。もちろん、第一世代同様に、衝突と排除という経験をして、西欧近代的技法と規範から逃避し分離していくという選択をする人々もいるものの、1940-50年代になると、自分たちの慣れ親しんできた慣習的世界と賃労働とモダンライフの白い世界とを、完全に分けた上で二重基準を創造して別々の身体と規範をつくりあげることが一般的になった。つづく第三世代においては、公教育の普及や政府の行政網整備を通して、この近代西欧的身体と規範が「ナショナルスタンダード」の地位を獲得してしまうなかで、それらをいったん受容して都合の良いように変換(換骨奪胎)したり、創発的な身体をその場その場で構築したりしながら、生活世界を日々更新することになる。
 このような都市世界における身体技法の歴史的変遷を概略しながら、人々の自己意識(セルフフッド)もまた、それに応じて変化してきたことを、明らかにしたことが、本報告のポイントであった。


小生産物(小川)班2003年度第5回研究会(03/12/06)
市場経済の浸透と商人たちの自立性
-中国・海南島五指山市初保村の事例から-
卯田 宗平(国立歴史民俗博物館大学院博士課程)

 本発表では、中国・海南島五指山市初保村における商いの発生と変容、消滅の事例から、辺境な農村部において自立し持続可能な商い(行商人・店舗商人)の条件について報告・検討した。発表では次の点を指摘した。
①商いの発生:この村では、特定のリネージが商いを開始するケースが多い。これは、人民公社解体後の、土地使用権の再配分と関係する。土地は、各世帯に公平性をもって分配されるはずであったが、リネージ間の力関係により恣意的な再配分となった。その土地配分の優劣が、市場経済の浸透に際し、「自らの生産物を市場にさらす人々」と「自らの労働力(身体)を市場にさらす人々」を生み出す結果となった。そして、後者のなかから商いという生業戦略が発生したと指摘した。
②商いの移り変わり:この村では、小商店の経営権が世帯間で次々と移り変わる。これは、(a)この村が市場(いちば)から遠いという地理的条件のもと、村内の身近なところで商品を購入したいとする人々の欲求、(b)小商店を開業して一儲けしたい若者たちの個人的な欲求、(c)個人的な儲けや財の突出を許さないという共同体的な意識(妬み)という、3点のせめぎあいのなかで、小商店(モノ)が村の中をまわる現象を生み出したと指摘した。
③商いの持続性:行商人は、村民との商品取引の際、現金払いとともに、コメ(余剰米)による物々交換もおこなう。彼らの全収入の54%は、コメ払いによるものである。
行商人の商売圏は、市場経済が浸透する村々である。仮に彼らが現金取引のみで商売した場合、村々の換金作物(主にバナナ)が市場価格の変動にさらされると、そのまま商品の販売量の減少につながる。行商人は、コメも交換価値とすることで、村民の購入機会を増やし、商いの持続性につなげている。
一方、この村の収入はバナナ栽培に依拠しているが、仮に価格変動の影響を受けたとしても、水田稲作により栄養学的には生活を維持できる。村民は、食事や換金用を除いた余剰米によって少なくとも約2日に1回、行商人から商品(動物性タンパク質)を物々交換できるからである。こうしたコメによる物々交換は、市場経済の浸透に際し、売り手側と買い手側、つまり商いの持続性と、村民の生活の持続性双方に意味があることを指摘した。多くの先生方より、東アジアの商い研究の展開について極めて有益なコメントを頂戴した。


身体資源(菅原)班第4回研究会(03/10/27)
言葉と身体行動との組み合わせ
-西浦田楽の伝承現場から-
藤田隆則(研究協力者、大阪国際大学人間科学部)

 音楽、演劇、儀礼などのパフォーマンスをつうじて、人や社会は、日常的には忘れている特別の情動を喚起される。静岡県の山間部において、「西浦田楽」 と呼ばれる芸能を伝承する共同体にとって、パフォーマンスによって喚起されるのは、「先祖」「伝統」「歴史」等のような「連続」そして「反復」を示唆す る言葉で表される感覚、そして、その「有り難さ(稀さ)」の感覚(あるいは情動)であろう。
 感覚や情動のほかに、パフォーマンスはさらに、パフォーマンス以外の別の行動をうながすこともあろう。西浦の田楽が担い手たちに促す行動の中の中心に あるのが「練習」である。担い手は、パフォーマンスから強く情動を喚起されると、より激しく練習へと突き動かされるのだ。
 練習の構成要素は、おおきくわけて2つである。1つは、パフォーマンスの単純な「再現」(あるいは「繰り返し」)であり、もう1つは、パフォーマンス に対する「反省」である。前者が身体をそのまま投入する行為であるのに対して、後者は、身体をそのまま投入することにおける失敗(たとえば途中でとまっ てしまうなど)に由来する分節行為である。反省はまた、「正確さ」という概念と切り離すことはできない。「正確さからの逸脱」はしばしば反省を導くきっ かけとなるからである。
 本研究では、西浦田楽の舞の流れが、担い手の反省によって分節化されている様子を、「はね能」と呼ばれるレパートリーの中の簡単な例をとおして、示す ことにする。そして、パフォーマンスを分節する言葉の性格について若干の考察をおこなう。パフォーマンスを、たんに一回性のものとしてとらえるのではな く、繰り返される練習の集積、あるいは、そのパフォーマンス自体が、たとえば次の年のパフォーマンスのための練習であるとしてとらえるならば、一回のパ フォーマンスにともなう言葉は、決して、練習のときにだけに使われて消費されてしまう性質のものではない。それらは、パフォーマンスにとって必要不可欠 な部分として位置づけることができる、あるいは、そのように位置づけられなければならないものである。


貨幣資源(春日)班2003年度第5回研究会(03/11/22)
「貨幣と歴史」
今村仁司

 貨幣は社会的現象である。社会的な存在は、社会がそうであるように、必ず時間的で歴史的である。この意味で貨幣は時間的・歴史的である。あるいは貨幣の基本性格は時間的であり、したがって歴史的であり、要するに貨幣は歴史的時間それ自体である。経済的経験では、貨幣は交換の効率的な道具であると信じられているし、実用面では事実そうである。しかし貨幣の「社会的本質」は交換用具(支払手段、蓄積手段等々)にあるのではない。それは貨幣の社会的性格の実用面での派生形態でしかない。貨幣が過去の歴史のなかでつねに効率的で便利な道具であったのではない。非(反)効率的、「象徴的」な表象もまた全地球的に普遍的な現象であった。
 さて、「歴史的」というのは貨幣が歴史「のなかで」発生したことではない。貨幣の歴史的発生は歴史学または人類学の研究対象である。貨幣の時間的・歴史的存在の考察は哲学的であり、望むなら存在論的である。貨幣「である」こと自身のなかに人間の歴史的経験が凝縮している。貨幣は人類の時間と歴史の経験を、経験の具体相を捨象して、そのエッセンスのみに煮詰め変形して保存している。貨幣の事実存在(Dasein)は歴史の缶詰である。
 貨幣の存在論的分析は、貨幣を産出する諸商品関係の分析である。諸商品の関係は価値関係であるから、価値関係の形態分析を通して貨幣の歴史的性格が析出される。貨幣形態は、三つの価値形態(単純形態、展開形態、一般等価形態)を統合している。三つのきわめて抽象的な価値形態はどのような歴史的経験を指示しているのか。単純形態は、バーター取引または互酬交易を、展開形態は局地的市場を、一般等価形態は、種々の一般等価物(家畜その他)の現象を、それぞれ指示している。近代貨幣の現存在のなかには、交易のあらゆる諸形態の精髄がいわば「論理的カテゴリー」として保存されている。近代貨幣の理解によってはじめて過去の経験の、具体相ではなく、「本質」相が理解できるのであって、その逆ではない。マルクスが言うように、「人間の解剖は猿の解剖の鍵である。」

貨幣資源(春日)班2003年度第5回研究会(03/11/22)
表象と代理の「あいだ」
-現代キューバにおける経済と宗教の縺れ合いをめぐって-
大杉高司(一橋大学大学院)

1990年代以降のキューバでは、コメコン体制崩壊がもたらした経済的混乱のなか、サンテリーアと呼ばれる黒人複合宗教が、かつてないほどの隆盛をみせている。とりわけ注目すべきは、政府による市民の外貨保有合法化後(93年~)、国外の亡命者や移民から大量の外貨が流入し、それが平均月収の数百倍もの資金を要するサンテリーアの儀礼実践へと振り向けられてきた点である。こうした経済と宗教の結びつきは、他方で、「サンテリーアの商業化」という否定的な語り口を儀礼実践者たちのあいだに生み出してきた。中核となる宗教的権威が存在せず、また、外貨の力を借りずして儀礼を執り行うことができる者もほとんど存在しないなか、原理的には儀礼実践者の誰もが他の実践者を「商業化」の名において批判しうる状況にある。「商業化批判」は、価値形態論のマルクスが商品価値の実体性を脱構築したのと同じように、儀礼実践の価値の虚構性を全面的に暴き立ててしまう可能性を秘めている。では、サンテリーアの隆盛と「商業化批判」は、いかにして両立しえているのだろうか。
本発表ではまず、岩井克人の『貨幣論』に依拠しつつ、貨幣―モノ関係を「表象・価値付け関係」(貨幣中心主義、関係論)と「代理・表象関係」(モノ中心主義、実体論)の二重性においてとらえ、それぞれが順にマルクスの価値形態論と労働価値論にあらわれていることを示した。続いて、相互に排他的であるかにみえる「表象・価値付け関係」と「代理・表象関係」が、サンテリーアにおける至高神―物神関係においていかに両立しているかを、とくに儀礼実践における神(オリーチャ)の「物質化(マテリアリサシオン)」の論理に注目しつつ示した。結論として、「商業化批判」によって前景化される儀礼実践に対する外貨の中心性が、信仰の内的論理と節合されることによって、神=モノの価値、そしてそれを作りだす儀礼実践の価値を維持することと、矛盾なく両立していることを明らかにした。


貨幣資源(春日)班2003年度第4回研究会(03/10/25)
『グローカル化するマクドナルド』
前川啓治(筑波大)

 マクドナルドは近代の効率主義の権化のように見られ、非人間的な社会を推し進めて行く元凶とさえ言及されている。あるいは、食を通じて、すべての国の「嗜好」をアメリカ人と同じにしてしまうという新たな文化帝国主義との議論すらある。
 ジョージ・リッツアーは、ウェーバーの合理化の議論を踏まえながら、マクドナルドに代表されるファーストフード産業の効率主義が、近代社会における非合理性を逆説的に生じている点を指摘している。しかし、この議論は基本的に西洋社会を前提にしてなされており、そこには従来の、社会の単線的な変化という歴史観が根強く反映している。つまり、近代化の行き過ぎに警鐘を鳴らしていても、基本的にはモダニストの議論である。重要なのは、そこに「空間の差違」に関する議論がすっぽり抜け落ちている点である。
現代のグローバル化という現象を捉えるためには、この「文化の差違」を重視したアプローチが必要である。ジェームズ・ワトソンらは、マクドナルドの東アジア各国での展開について、フィールドワークを通して具体的に例証している。マクドナルドが現地では自在に解釈され、ファーストフードとは別の意味を担う存在となっている例を数多く提示している。東アジアでは、ファーストフードは生産がファーストであっても、消費の形態はスローなのだ。そうした現地での意味の変化に対応して、マクドナルド側も現地の文化・社会に馴染む用に自らを変容させてきている。マクドナルドは、日本のマクドナルド、中国のマクドナルド、台湾のマクドナルドとなっている。
グローバリゼーションの展開を考えるうえで「マクドナルド」は最適な対象であり、その調査から、グローバリゼーションが一方的なアメリカナイゼーションに終わるわけではなく、各地域の受容過程においてローカライズ(グローカライズ)される、という点を理解することが重要である。

貨幣資源(春日)班2003年度第4回研究会(03/10/25)
Big Mac Currencyからみたマクドナルド化
竹内惠行(大阪大学)

本報告は、英Economist誌が1986年から毎年発表しているBig Mac Currency(BMC: ビッグマック平価)に焦点をあて、経済学における「マクドナルド化」の意味を考察したものである。BMCは経済学における購買力平価の概念を援用したものであり、全世界で販売されているBig Macの「一物一価」法則が成立するように算定された為替レートである。だが、保存のできないBig Macのような食品は非貿易財であるため「一物一価」の裁定が働かないだけでなく、Big Macの食品としての消費パターンや意味が各国で異なるため、この援用には問題がある。加えて、たとえ生産技術が同一であり、すべて輸入原材料を使っていたとしても、総コストの1/3を占める労働などの現地でしか調達できない要素価格の影響から、内外価格差が生じるのは当然であり、BMCの解釈には注意が必要である。次いでRitzer(1996)が主張した「マクドナルド化」を経済学の観点から考察した。Ritzerの「マクドナルド化」の4つの次元は、「標準化」による「合理性」の追求、とりわけリスク回避機能となっていることを示した。そして、この機能は生産者だけでなく消費者に対しても有効であり、Ritzerの主張はこの点を軽視していることを指摘した。さらに、この「マクドナルド化」議論の主張を検証するために、「標準化」による飲食業の生産性を計算した。その結果日本では他の第3次産業より遥かに低い伸びに過ぎないことがわかった。最後に「マクドナルド化」は近代化の一側面に過ぎないことを指摘し、Ritzerの議論は(1)近代生産・消費の「ネットワーク性」から「標準化」が進行することを無視していること、(2)文化をstaticなものとして扱っていることの2点から問題があると結論付けた。


貨幣資源(春日)班第3回研究会(03/10/20)
物持ちの持ち物:大村しげコレクションからの検討
田口理恵(総合地球環境学研究所)

本報告では、国立民族学博物館所蔵の大村しげ生活財コレクションについて紹介させていただいた。同コレクションは、1999年にバリ島で死去された故大村しげ氏の遺品でもあり、大村氏が長年暮らした京都姉小路寺町の本能寺借家に遺されていた家財道具のすべてからなる。10000点以上をはるかに超える同コレクションは、二つの意味で、商品世界から切り離されたモノの事例として扱うことができる。
1) 生活財という居住空間内に滞留しているモノ、つまり人間の側に引き寄せられ個別化され、モノの商品性が保留された状態にあるモノ全体を示す一つの具体例。
2)家財道具は所有者が死ねば、遺族にとっては邪魔なゴミとなり、処分され廃棄される場合が多いものの、国立民族学博物館に寄贈され、所蔵コレクションとなったことで、国家財産になったという特異な経過をもつ。
 大村しげ生活財コレクションの整理作業は2000年4月に搬入されてよりスタートした。2002年4月からは民博共同研究会「モノに見る生活文化とその時代に関する研究」の活動としてモノの整理と、同コレクションを文化資源として利活用する可能性を模索・検討する調査研究が進められている。同コレクションの整理作業にてモノ一点一点に向き合っていると、モノに残された使用痕や文字情報もあり、モノから様々なことが喚起される。故人は執筆活動を通して「京のおばんざい」を世に広めた人でもあり、生涯独身で過ごし、晩年に脳梗塞で倒れてからは、生活の中心をバリ島に移し療養生活を送っている。故人と同世代の女性の多くと比較すれば、彼女の経歴は特殊な部類に属するともいえる。それゆえに時代性、世代論、地域文化の特性などに安易にひきつけ一般化して考えることがかえって躊躇される。
 故人が生前使っていた家財道具すべてとはいうものの、療養生活を送るようになって以降、使わないからと知人に贈られたものもある。彼女の死後に、バリで燃やされたもの、偲ぶ会で関係者に形見分けされたもの、施設に寄贈されたものがある。こうしたしまつ後の残りが民博に来たわけだが、家屋内のどの間取りのどこにどのように所在していたのかなど、断片的な履歴情報を総合すると、人間の側に据え置かれたモノの群も多層的に構成されており、人との距離や滞留時間に応じてモノが序列化されていることが見えてくる。
 ただ正直なところ、膨大な量とモノに染み付いた故人の存在感に圧倒され、これまでに進められてきた地道な作業は、豊かな鉱脈を着実に掘り進めてきたことになるのか、あるいは多大なる無駄に終わるのか、しばしば不安に陥る。同時に、これまで交換財や象徴財など、研究者が対象とする人々の文化や社会経済を描く際に取り上げてきたモノが、果たしてどれだけのモノからなる全体の一部であったのかが気にかかる。贈与交換経済への貨幣経済の浸透による変化も、人間の生活空間を占めるモノの構成やその連鎖の変化が示されてはじめて、ダイナミクスが理解されるのではないだろうかと考える。


文化資源(山下)班第6回研究会(03/10/11)
環境主義の人類学とエコツーリズム
堂下 恵
東京大学大学院総合文化研究科(博士課程)

 この発表では、環境主義の特徴と文化人類学における位置づけを紹介し、その上でエコツーリズムが環境主義の一例として説明できることを論じ、事例として京都府北桑田郡美山町を取り上げて紹介した。具体的には、まず、1960年代以降に欧米を中心として盛んになった環境主義は、デカルト哲学批判やロマン主義等の影響を受けている「主義・主張」であり、その理念は社会的・政治的影響によって変化し、また科学的知識とともに世間の俗説等も重視される特徴があることを述べた。その上で、文化人類学においては、地球規模の社会経済システムに基づいて生活する人々の、人間活動としての環境主義(運動)を、民族学的手法をもちいて考究する研究がここ10年程で行われるようになってきており、「環境主義の人類学」と称されていると紹介した。「環境にやさしい」観光として急速に盛んになったエコツーリズムも、観光主体が欧米の国籍保持者に偏っていることや、西洋の自然観に影響を受けて「世界に残存する豊かな自然」を観光対象とする傾向があることから、環境主義の人類学と同様に論じることができるのではないかと述べた。加えて、エコツーリズムには地域住民、観光客、旅行業者等、複数の主体が絡んでいるため、各主体の特性を捉えていけばエコツーリズムという事象の本質が浮かび上がってくるのではないかと論じ、実例として、文化的歴史的自然環境を利用した観光を実践している美山町を紹介した。この発表では美山町における特徴的な関係主体として、町内出身者、移住者、移住者の知人・友人、個人観光客、団体観光客、の5主体を取り上げ、各主体と環境との関わり方を分析し、異なる主体が錯綜して美山町の環境を「消費」していることを示唆し、詳細は今後の調査に委ねるとまとめた。

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文化資源(山下)班第6回研究会(03/10/11)
市民社会と文化の構築――インドネシアの事例から
バクティアル・アラム
インドネシア大学

本発表においては、人類学にとっての市民社会考察の意義および人類学における最近の市民社会研究に関する先行研究の検討をまず行った。こうした検討を経た後、最近の人類学における市民社会研究はまだ少ないこと、およびその理由を具体的事例に基づいて説明した。次に、インドネシアにおける市民社会論の現状を、発表者の著作“Antropologi dan Civil Society: Pendekatan Teori Kebudayaan (人類学と市民社会:文化理論のアプローチ)”, Antropologi Indonesia, No.60 Vol.23, 1999の議論を通して説明した。そして、本発表の中心となる「人類学的市民社会モデル」の構築に関する部分では、市民社会を「国家と現地社会の間に存在する中間領域としながらも、その特性を理念および利害の多元性に貢献する公共的な言説と実践の場」と定義することを提唱した。また、文化的資源と市民社会論のかかわりについては、インドネシアでは、「市民社会」という用語のインドネシア語訳が”masyarakat sipil” (文民社会)、”masyarakat kewargaan” (国民社会)などという試行錯誤を経た後、1990年代中旬になって”masyarakat madani” (市民社会)というぴったりとする訳語が表れたことを指摘した。しかし、この用語は、7世紀のマディナに現出した多民族社会を現代のインドネシアにおける市民社会構築のモデルとしているため、イスラム教徒を含む一部の知識人からは、masyarakat madaniよりもより包括的な言葉が望ましいとの意見も出、現在まで決着はついていない。そのため、発表者を含めた多くの知識人は、あえてcivil societyを訳さず、そのまま外来語として使っているのが現状となっている。こうした市民社会のインドネシア語訳へのプロセスには、文化的資源の活用・構築をめぐる問題を見てとくことができる。本発表の締めくくりの部分では、インドネシアにおける市民社会構築に深くかかわると見られる共産党容認問題やリベラル・イスラム思想の問題について触れた。

【↑】

文化資源(山下)班第6回研究会(03/10/11)
文化資源学研究専攻の現状と課題
佐藤健二
東京大学大学院人文社会系研究科

 東京大学大学院人文社会系研究科の「文化資源学研究専攻」は、2000年4月に発足した。博物館学芸員の教育の高度化のためのものと思われている側面もあるが、本来の意図は異なる射程をもつ。文学や語学、あるいは哲学や歴史、心理や社会の研究など、伝統的に文学部系の学問の基礎となってきた、さまざまな資料・データを学術という「文化」の「資源」ととらえなおすことで、人文社会系の学問それ自体を再編成しようという試みでもある。テクストと文字に焦点をあてる文字資料学、モノ資料に焦点をあてる形態資料学、そしていわばそれらの文化の組織化や制度のデザインに光をあてる文化経営学という3つの専門分野を通じて、新しい視角を開拓しようとしている。むしろ「学問」という文化の物質的な基礎をさぐり、「知」の生産様式の解読と批判と改善とを目指している。「資源」をキーワードに掲げているけれども、実体的な資源の収集整理だけを考えているわけではない。学問が基礎をおくデータなり資源なりは、資源化という意味づけの作業のもとで成り立つ。その意味で資源化・データ化は、主体が設定する問題枠組みによって切り取られた資料や事物情報の蓄積集合であり、保存参照形態の設計である。主体という概念に適切な位置を与えなければならない。だからデータベースの語も、単純な図書館や博物館の資料管理の「対象」局面だけでなく、読者という主体を織り込んだインターフェース(すなわち「主体/対象」関係の局面)の社会的ありようとして設定されるべきである。その意味では、「社会」という語で指し示そうとしてきた対象それ自体がテクストの織物であり、一種のリレーショナル・データベースである。渋沢敬三の「絵引」や、ここ数年のあいだ報告者が取り組んでいる『柳田国男全集』編纂の事例をあげつつ、資源化におけるインターフェース設計の重要性について話題提供した。


B01認知・加工(松井)班、A03小生産物(小川)班合同研究会(03/09/11)
「商品としてのジャワ・バティックの創造過程」
関本照夫(東京大学東洋文化研究所)

インドネシアのバティック(ジャワ更紗)製造業者の作業場で蝋描をする女性たちは、分業の鎖の一部分に過ぎないのか。それとも、何らかの創造的仕事をしているのか。作業場の工程は細かく分かれている。どんな文様と色どりのバティックを作るか考え決定するのは、もっぱら経営者の仕事である。そのアイデアにより実際の文様図案を作るのは、経営者自身ないし専門の職人の仕事である。だが女性たちの中には、白布に下絵なしで直接見事な文様の蝋描ができる人もややまれにいて、経営者に大事にされる。蝋置きの作業の各作業工程は分業で、それぞれ別の女性がおこなう。白布に全体の文様描をするのが全体の仕上がりを決めるもっとも大事な仕事で、これができる人はやや限られている。最初に作業場に入った女性労働者は一番単純な仕事を与えられ、慣れるうちにより難しい仕事に移っていく。各工程すべてをできる人もいれば、ある一部分しかできない者もいる。重要なのは細部の装飾文様描の仕事が、それをする女性に任されていることである。経営者や図案職人は細部の装飾文様には関わらず、女性労働者がすでに習得している地域ごとの多数の装飾パターンを自由に描いていく。分業とはいっても、一目で見渡せるような作業場内で行われるので、労働者は自分が関わった仕事が最後にどんな完成品になるのか、よく知っている。農村部の自宅で請負仕事をする女性にどの程度の仕事が任されるかは、その人の技量により、また仕事を出す経営者との関係により、さまざまである。彼女たちの中には自分で布と蝋を買い、染めを除く全工程をひとりで仕上げて、農村市場の商人に売ったり、娘や孫のために作る者もいる。したがって、女性たちのすべてが分業の一部分しかできないのではない。彼女たちの中に、バティック業の経営者に上昇する者がいないのは、収入が低く資本を貯えることが不可能なこと、経営の知識、とりわけいまどんなバティックがどこでどんな購買層に売れるかという、マーケティングの情報を持たないことである。

B01認知・加工(松井)班、A03小生産物(小川)班合同研究会(03/09/11)
「2000年 南風原アジア絣ロードまつり」から見えてくること
平良次子(南風原文化センター学芸員)

「かすりの里」としての南風原町で、織物についての情報を発信し、国内のみならずアジア各地に広がる絣について「人と技」が交流しあえるような機会を作ろうと、町制施行20周年に当たる2000年11月に「南風原・アジア絣ロードまつり」が開催された。絣織物の生産の中心地に建設された「かすりの道」が主会場である。1日目は記念講演(「アジアの絣、世界の絣」吉本忍)とフォーラム(「南風原からの声」、「アジアからの声」)が開催され、また各分野の講師をお招きし8コマの染織物レクチャー開講した。
地元の織物生産を紹介するだけでなく、インド、インドネシア、タイ、フィリピン、ウズベキスタンの絣織りの実演と、カンボジアも加わり展示即売も行われ、賑やかな3日間となった。生産者のみのまつりではなく、展示会場に至る「かすりの道」の広場では招待した国々の、民俗芸能や料理が味わえるように出店が並び、近所の女性たちは沖縄独特の砂糖菓子(サーターアンダギー)を手作り販売したり飲み物を用意したり、地域をあげての開催にするための工夫が為された。
「布に関わりのない人はいない」ことを原点に、生活の中で布を、特に地域の伝統織物を楽しむ方法を探りながら、ファッションショーや絣を使った服や小物のデザインコンテストなどでもの作りについて考え、つくる人と買う人を繋げていく楽しみの機会にもなった。


知識資源(ダニエルス)班2003年度第3回研究会(03/09/05)
秘密の民族誌学:学習論と読者論を介して
真島 一郎(東京外国語大学AA研)

 本発表では「秘密の民族誌学-学習論と読者論を介して」と題して、秘密にまつわる言語実践の事例を経由しながら、人類学的実践論の再考が試みられた。とりわけLPP理論を主たる参照軸としつつも、初期ゴフマンのチーム概念、1980年代アメリカ社会学の情報統御論、中期ゴフマンの情報論、関連性理論などの枠組から抽出しうる情報伝達の実践論的な視座が比較対照されたのち、情報伝達の実践そのものをあつかう人類学的研究においては「読者」にまつわる明示的な理論化が不可避となることの根拠が指摘された。1960年代のコンスタンツ学派による受容美学や、1970年代アメリカの読者反応批評といった、いわゆる「作者」以後、「作品」以後に属する文学批評史の過去を回顧するとき、情報伝達をめぐる情報伝達の場とでも呼べそうな民族誌学的秘密論は、「被調査者の実践」に「調査者の実践」および狭義の読者のみならずマスメディアをもふくめた社会的な「読みの実践」が必然的に付加された実践概念をもとに展開することが予想されるというのが、本発表の暫定的な結論であった。

知識資源(ダニエルス)班2003年度第3回研究会(03/09/05)
解釈とパッケージ化:知識の伝達におけるメディアの作用について
飯田 卓 (国立民族学博物館)

 異文化表象に関するこれまでの議論では、完成した作品を取りあげることが多く、制作過程にまで考察が及ぼされることは少なかった。この結果、作家の意図と社会的制約の葛藤ないし妥協といった問題が軽視されたため、現実に即した実践論を提示しえていないという指摘がある。本発表では、マダガスカルの漁村生活に関する日本のテレビ・ドキュメンタリー番組を取りあげ、その制作状況までを含めて考察することで、現代日本の不特定多数者に向けた情報発信がいかなる現状にあるかを明らかにした。また、その現状をふまえつつ、メディア社会日本において人類学的実践に取り組むうえでの基本姿勢を再確認した。
 問題の番組は、取材でじゅうぶん確認できなかった情報を作品中で言及しただけでなく、それをことさら大きく取りあげて番組構成の柱とし、それに沿って登場人物の語りを操作的に翻訳していた。情報の鵜呑みは取材不足によるものだが、操作的翻訳は編集作業の問題である。編集段階でこうした誤りが生ずる背景としては、限られた経費と取材期間で不特定多数の視聴者の関心を喚起するという、テレビ番組制作における強い制約を指摘できる。テレビ制作者は、公益性の高い作品づくりをめざした結果、現地の文脈に照らしつつ作品の妥当性を検証する作業を怠ったのである。
 メディアの受け手を意識した作品編集すなわちパッケージ化は、テレビ番組にかぎらず、民族誌の執筆においてもおこなわれている。何らかの実践に応用できる知識として情報を整えようとすれば、情報の背景はある程度まで捨象されざるをえない。したがって、民族誌的知識を求める人類学者もまた、メディアのもつ制約から自由ではないのである。しかし、調査地の文脈に意識的になれる点では、人類学者ははるかに有利な立場にある。調査地と現代日本、両方の文化的脈絡をふまえ、質の高い情報発信をすれば、メディアが越境すると言われる時代においても、人類学者の役割が低下することはないだろう。


貨幣資源(春日)班2003年度第2回研究会(03/07/19)
経営学の資源観
藤本隆宏(東京大学)

経営学の中には、市場における企業ごとの利益パフォーマンスの違いを説明しようとする「経営戦略論」という分野があるが、そこには従来「組織の能力重視」と「環境の魅力重視」という二つの流れがあった。前者は、企業・事業が収益性を高め生き残るには、まず自社の組織を鍛え、他者にない経営資源を蓄え、いかなる相手にも勝る能力を獲得すべきだと考える。一方後者は、むしろ魅力ある事業分野を他に先んじて見つけ出し、あらかじめ有利な位置取りをすることが先決だと考える。

fig.1_Fujimoto魅力ある分野でトップに立つことがむろん理想だが、それには2つの経路があり得るわけだ。そして、資源・能力重視の戦略論は前者を指向する。かくして80年代以降の経営戦略研究は、「資源・能力派」と「位置取り派」に分かれて論争してきた。日本の企業や研究者は、どちらかといえば資源・能力派が多かった。戦後日本の企業史の所産と言えよう。
経営資源・組織能力は、個々の企業に特有の属性である。経済体系全体の説明を優先する伝統的経済学は、個別企業間の差を捨象する傾向があったが、経営資源派は、例えばトヨタと本田は異なる組織能力を持つと想定する。経営資源・組織能力は、組織全体が持つ、相互に調整された知識や組織ルーチンの束、あるいは組織の遺伝子であり、企業間の競争力(生存能力)の差をもたらす。
業界最強企業の組織能力(例えばトヨタ生産方式)を他社が模倣しようとしても、コピーは容易でない。経営資源・組織能力は市場で買ってくることが難しく、地道に構築する必要がある。それは計画的に構築されるとは限らず、当事者が意図しなかった道筋で創発・進化することも多い。
つまり、資源蓄積・能力構築の動態理論は、進化論的な枠組と親和的である。
例えばトヨタ自動車は、もの造りの組織能力を進化させることを中核的な動態能力としてきた企業だと解釈することができるのである。


文化資源(山下)班第5回研究会(03/07/19)
The Historical Nature of Cultural Resource:
A Chinese Example
Liu Xin
University of California Berkeley

 What is interesting to note in the People's Republic of China is a radical shift in conceiving the wealth of the nation in terms of cultural or natural resources: before the 1990s, especially before the late 1970s, there had been a typical saying among the Chinese, officially sanctioned, that which said: China is a country with a huge population and a nation with extremely rich natural resources. It was not simply a conception; it was a belief, an ideology. China is huge and it has abundance of cultural and natural resources. Into the late 1980s, the situation began to change. In the 1990s, after a decade of economic reforms, with more people traveling internationally, the image of China, in terms of how much the country possesses in resource, came to be different: everyone began to talk about its lack of natural resource. My point is to emphasize that natural or cultural resource, how much one has, not only depends on the existing quantity of it but also, more important, depends on the expectations and subjective evaluations of such a quantity. And this evaluation is always historically situated. By taking an example of recent high-tech industrial development in China, the present paper discusses: a) conceptions of resources, either natural or cultural, are historically contingent; b) it is hard not to find transcultural elements in so-called cultural resources; c) resources, either natural or cultural, are subjective rather than objective, if such awkward vocabularies are acceptable. Therefore, even within one group of people, there may be different understandings or views of cultural resources.

文化資源(山下)班第5回研究会(03/07/19)
Traditional Gold mining in East Kalimantan:
Changes and Practices taken by Local Entrepreneurs
Semiarto Aji Purwanto
University of Indonesia

 West Kutai is a new district in East Kalimantan, Indonesia, that only recently separated from Kutai district. The consolidation of administration, development strategy, infrastructure and personnel are just beginning. Construction of governmental buildings is underway, and the policies in the regency level are being made. The economy is stimulated by the autonomy to manage natural resources, resulting in the quick growth in the forestry sector as the forest there is the largest in the country. However, the case in the Kelian dalam village shows another direction. The people searching for gold in the river for years and seems not to be interested in forestry sector. Today the local government of the district is giving the local people to exploit timber by granting them a license or concession to manage forest. This was a significant change since before such license only given by the Minister of Forestry to the army generals and national businessmen. Nevertheless, for the people in Kelian Dalam, the chance to do business in forestry is limited. It only get used by the local entrepreneur from the district capital and the village people remain working a the laborer; they do not have a chance to manage the resource themselves nor have enough capital to manage the business. So that for the villagers, forest is the main natural resources but, even so, not consider as their economic resources; and since it is not their way of living, it is not also seen as cultural resources. The presentation will focus on how people in Kelian Dalam deal with kinds of natural resources and how they manage gold deposit along the river of Kelian as their main economic activity.


文化資源(山下)班第5回研究会(03/07/20)
資源とスタイル -葬儀産業と葬儀の実践から-
田中 大介
(東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程)

本発表における関心は「死ぬときのスタイル」を、資源という要素を通して捉えようという点にある。それはまた、どのように死へ対処するかということを表現する際の文化的性向を探るという言明にも置き換えられよう。この関心を深化させるために発表者が選択した調査対象は、現代日本における葬儀産業、そして葬送儀礼の実践である。これらの対象が有する様々な傾向を整序し、人類学からの視座を打ち出すに当たり、本発表では資源という枠組みを措定することで、「わたしらしい死」という観点が再生産されているという現代的傾向の背景と、近年における新しい葬儀の実践が占める位置について考察を試みる。この考察の基礎として提示される事例は、明治維新期から現代に至る約150年間における葬儀実践と、それに大きな影響を及ぼしている葬儀産業の活動である。これらの観察対象から抽出できたものは、葬儀社が専門的職能集団として葬儀にまつわる知識を集約させていく流れと並行して、何のために/誰のために葬儀を行うのかという問題が惹起されてくるようになったという傾向であった。こうして人々の内に湧き起こった問題意識は、高齢化社会あるいは終末期医療の議論などと交錯しつつ、「わたし(たち)らしい死」という観点を再生産し、その傾向は現在でも拡大している。また、発表者はこうした傾向を整序するに際して資源という概念を用いて、死にまつわる様々な付帯状況を資源の創出や加工、あるいは選択の過程として統合しようとすることを目論んでいる。さらに、それは人類学が不断に見つめてきた人間行動の動態に関する理論的蓄積を、資源という概念を通す事で再活用しようという試みであるとも位置づけることができよう。


A03小生産物(小川)班2003年度第3回研究会(03/07/12)
グローバル化に晒される町工場のモノづくり
―ヘラ絞りの工場を事例にー
中村香織(東京外国語大学大学院地域文化研究科)

日本の製造業は、現在、後継者不足と新規創業の減少による活力の低下、そしてグローバル化に伴う生産拠点の海外移転、中国などアジア産業の台頭など内部と外部において新しい変化と課題を抱えている。
本発表では、日本を代表する機械金属加工の集積地である大田区の工業に焦点をあて、ヘラ絞りの町工場を事例に、日本のモノづくりの特徴を考察し、現在の変遷下で抱える変容や本質的な課題を明らかにする。
まず、ヘラ絞りとは、金属の円板の中心部を元になる型をつけたロクロを回転させながら、その表面にヘラと呼ばれる棒状の工具を押し付け、何回もなでるようにして少しずつ変形させ、必要な形状の製品を作る方法をいう。プレス加工と比べ、型代が高くかからないため、多品種少量生産向きで、試作や単品の生産に用いられている。
調査を行ったK工場は、昭和22年に現会長によって創業し、ヘラ絞りの工場としては職人約20名を抱える比較的大きな規模で、ヘラ絞りの中でも大きく厚いものを得意とする、高い技術力に定評のある大田区を代表とする工場である。
K工場は、長男の会長が自宅で開業し、次男の社長、三男の専務など家族で兄の工場を支える家内工業からスタートした。また、高度成長期の事業拡大において、地縁や血縁を頼り、社員を増やしていく中で、会長を頂点とする職人集団の中で切磋琢磨し、ヘラ絞りの技術を向上させる文化を築いた。以上のようにK工場のヘラ絞りを支えてきたのは、家族経営と職人気質であった。
しかしながら、近年の仕事量の減少・精密かつ厳しい生産管理の中で、かつてK工場を支えてきた「大家族制、職人気質」の組織構造は足かせになり、未熟な経営体質を露呈し対応力を持たなくなっている。K工場は今まさに、新しい製造業の流れに対し、これまでの技術の質を維持しながら、早急に構造転換をする必要性があるのである。
以上、K工場のように、日本の製造業は、新しい産業構造の変化の中で、これまでのモノづくり構造を見直し、新たなイノベーションを生み出す必要にあるのである。

A03小生産物(小川)班2003年度第3回研究会(03/07/12)
廃物資源利用と物質文化
-ケニア中北部の牧畜民サンブルの事例-
湖中 真哉(静岡県立大学)

アフリカを対象とした従来の物質文化研究には、動態的・歴史的観点が十分ではなく、とりわけ、在来の物質文化と商品経済の関係は、ほとんど問題化されてこなかった。本発表では、資源人類学の観点から、動態的物質文化論を構築することを目的として、ケニア中北部の牧畜民サンブルを対象として、彼らの廃物資源利用についての民族誌的事例の検討と分析を行い、その位置づけについての討論を行った。
本発表では、サンブルの廃物資源利用の特徴として、(1)拾得物の利用、(2)動植物資源と廃物資源利用の併存、(3)再利用品の再利用、(4)モノの分解利用、(5)動植物資源利用の技法を転用した廃物資源利用、の五点を指摘した。
コピィトフのモノの文化的履歴論は、モノを固定して、それが社会の間をいかに動いてゆくのかを問題提起したが、発表者は、これと反対に、社会を固定した場合、新旧のモノがその社会のなかでいかように置換されていくのかを、「モノの文化的置換論」として問題提起した。サンブルの廃物資源利用を基礎づけている思考様式は、既存の資源と新入の資源のこうした比喩的置換(metaphorical replacement)であると考えられる。サンブルの場合には、優れた比喩の媒体である家畜と共生してきた歴史が、このような比喩的置換を認識面から基礎づけている。
また、こうした廃物資源利用の位置付けとして、「リサイクル」や「貧困の文化」等の普遍的一般論がただちに想起されるが、サンブルの場合には、これらの議論は必ずしも説得的ではない。サンブルは、資源保護の理念に基づいて廃物資源利用を行っているわけではないし、廃物資源利用の全てが、経済的貧窮によって説明可能なわけでもない。サンブルの牧畜社会においては、家畜資源が社会的な意義を担っているために、倹約は社会的に賞賛される。つまり、家畜資源の損失を最小限に抑える消費様式が発達しており、廃物資源利用は、こうしたサンブルの在来の消費観の脈絡に位置付けるべきであると思われる。


A02知識資源(ダニエルス)班2003年度第2回研究会(03/07/05)
ジャワの暦と占術 -知識の遍在と偏在-
宮崎 恒二(東京外国語大学AA研)

 「資源」は価値ないし価値を生み出す源泉と意識されるものである。それは当該社会の意識によって定義される。「知識」もまた社会によって定義されると同時に、社会生活における資源として認識される。自然や商品などに比べ、知識はその抽象性ゆえに、社会によって定義されるという側面が強調されよう。また、知識は容易に増殖、加工、伝達されうることにも留意さるべきである。
 ここでは、ジャワの暦を用いた占術に関して、知識と資源という観点からどのような切り口が可能か、またどのような方向性を見いだせるか、試行を行う。
 ジャワにおいては暦は起源の異なる複数の時間の単位が併用されるが、最も基本的な周期は五曜と七曜、そしてその両者を組み合わせた35日の周期である。これらに関する知識は、ジャワ社会のほぼすべての人々によって共有されている知識といってもよい。しかし、占術においてはこれらの要素を数値に変換し、文字列に当てはめることによって「答え」を得る。この数値と文字列に関する知識は占いの専門家ないし一部の老人(男)に限られる。しかし、より権威のなる答えを欲する場合は、導師のもとを訪れ、答えを求める。導師はその場における演技および宇宙論的な説明を加えることが多い。
 いわば知識の専門度に応じて、知識は共有から占有へ、換言すれば遍在か偏在へという連続軸の上に、それを担う人々とともに位置づけられる。これ自体、自明のことであるが、ここでは少し支店をずらし、知識は占有されることによって社会的な資源となりうるのであるが、この関係自体を社会分業の体制の一つとして捉える方向性を示唆しておきたい。

A02知識資源(ダニエルス)班2003年度第2回研究会(03/07/05)
「東アフリカ遊牧社会の変容と時間知識の活用」
曽我亨(弘前大学人文学部 認知・加工/松井班)

 従来、文化人類学は、儀礼や宗教行事などにかかわる、特定の知識人によって所有され秘匿された伝統的知識を対象に研究をすすめてきたが、これらの研究では、伝統的知識の変容について議論されることが少なく、知識はあたかも静止した固定的なものとして扱われる傾向が強かった。けれども日常生活に目を向けるならば、知識は政治的・社会的・経済的要請に応じて資源化されたり、非資源化されたりしている。さらに過去の知識は、現在において想起される過程で、情報が省略されたり付加されたり、改変されたり捏造されたりとダイナミックに変化している。
 本発表では、エチオピア南部にくらす牧畜民ガブラ・ミゴ社会の「時間知識」に焦点をあて、近代化の過程で時間知識に生じた変容について紹介するとともに、ガブラ・ミゴが直面する現代的な問題解決のために、ある種の時間知識が資源化されていく過程について報告した。また、この資源化にともなって、その知識について語る主体が「専門家」として登場してくる過程についても報告した。


身体資源(菅原)班第3回研究会(03/06/21)
一九六〇年代少年週刊誌における戦争
-「少年マガジン」の事例-
高橋由典(研究分担者、京都大学大学院人間・環境学研究科)

1959年に創刊された少年週刊誌は、1962、3年をピークとする前後四年ほどの間に第二次大戦についての特集記事や読み物、戦記マンガを繰り返し掲載した。それは後に「戦記ものブーム」(串間努)とよばれるような現象であった。その時代は「日本の母親たちは、子どもたちがおもちゃの鉄砲や軍艦にひきつけられることを大変に心配している」(D・リースマン)と記述されるような、平和主義が共有価値として浸透していた時代であった。このような時代の只中になぜ「戦争に対する共感」を核とする共感共同体が成立しえたのか。これがここでの問題である。
このブーム時の「少年マガジン」誌を取り上げ、特集記事、読み物、マンガを精査して事実確認を行った後、少年たちの、戦争をめぐる共感の特徴把握を試みた。彼らは「太平洋戦争」に興味津々なのだが、彼らの目がひきつけられるのは戦争の全体像ではなかった。すなわち戦争全体の歴史、意義、現代との関連などではなかった。彼らはまっすぐに(1)兵器そのもの、(2)兵器と兵器の戦闘、さらに(3)(戦争読み物で活躍する)道徳的個人の決断と行動に向かったのだった。少年たちの興味は局所的、部分的であった。全体から切り離された部分への共感、これが彼らの共感の特徴であった。
全体から切り離された部分への共感という事象はある程度一般的である(映画ではなく、その映画に出てくるスターへの共感)。だが負の道徳的評価のついた全体(太平洋戦争)の場合、そこから部分(兵器や戦闘)を価値中立的に切り離すことは、原理的に難しい。部分にも負の評価はついて回るはずだ。そしてそれは共感を妨げるだろう。少年たちは、どのようにして「全体」への負の道徳的評価と「部分」に対する強い共感とを両立させるに至ったのか。考えられる可能性は一つしかない。彼らは道徳的評価に関し、全体と部分をつなぐ回路を断ち切ってしまったのである。そうであるがゆえに、平和主義の時代に存分に戦争への共感を経験しえたのだ。これが上の問への答えである。なぜこの「回路の切断」が戦後日本社会において容易に起こりえたのか、が今後の課題となる。


A04貨幣資源(春日)班2003年度第1回研究会(03/06/16)
「人とモノの関係:アクター・ネットワーク論とフェティシズム現象」
足立 明(京都大学)

 フェティシズム論におけるイディオムを使わずに「フェティシズム」や「フェティッシュ」と名付けられる現象を描き出すことは可能であろうか。可能であるとすれば、「モノ」もしくは「モノと人のネットワーク」形成における/よる行為遂行性の理解の仕方を検討し、「フェティッシュ」と呼ばれるような強い行為遂行性が現れるアクター・ネットワークの諸条件を問うことであろう。というのも、「フェティッシュ」や「フェティシズム」というものは異種混交な現象であり、「フェチな人間」の根拠は、その人間の精神に存在するのではなく、その人間とフェチな対象物との関係だけでもなく、ブラックボックス化されて見えないそれ以外の複数のアクターとのネットワーク生成にあると考えうるからである。
しかしこれまでのフェティシズム論は、結果から原因を推量する遡及的思考であり、フェティシズム現象が生成する過程を描いていない。いいかえれば、フェティッシュというブラックボックスの完成から始めた分析である。また、その際に、モノへの考慮が薄い。例えば、「『性的身体』の現象学」(村瀬ひろみ)において、著者はミニスカートと女性の共同の「振る舞い」(隠す仕草)による行為遂行性を論じて興味深い。しかし、ミニスカートの色、材質や、靴下、靴、その他の多くのアクター全体の作用の結果としての記述はない。
アクター・ネットワーク論的な記述は、人とモノを対称的に扱うことで、ある種、平板なものになりがちである。しかし、それにもかかわらず、人とモノを同等に扱いながら、フェティシズム現象が生成する過程を記述することで、これまでの「人」中心や「意味」中心の議論とは異なったフェティシズム現象の新たな側面が明らかになるかもしれない。


B03生態資源(印東)班2003年度第1回研究会(03/06/13)
ペルー北高地の形成期における食性の復元
―炭素・窒素同位体分析による考察―
関雄二(国立民族学博物館)・米田穣(独立行政法人国立環境研究所)

1.序
 食糧が栄養を供給するものとして以上に、さまざまな文化的側面を担うことは、人類学でも、しばしば指摘されてきた。なかでも食糧の生産や消費のパターンが、生態環境への適応や経済的側面を越えた他の政治的あるいは宗教的側面に影響を受けながら成立する例は多い。 本発表では、そうした食糧の多面的性格について、南米中央アンデス地帯の古代社会で消費されたトウモロコシをとりあげ、自然科学的方法から検討を試みた。
 中央アンデスのトウモロコシは、茹で、炒るなどして食するほか、醸造酒の原料としても用いられる。この酒はチチャとよばれ、現代では、社会的、政治的、あるいは宗教的な場面で重要な役割を果たしている。たとえば労働にかかわる集会や、種まき、収穫、祝宴などで供され、社会集団や血縁集団間の関係を確保する媒介物として機能している。また、山や大地に棲む神的存在に捧げられ、人間と神的存在との間を結びつける例もある。
 またインカ期でも儀礼はもとより、大土木工事に際して、賦役を担う被支配者層に対して民にチチャ酒が振る舞われ、互酬性の要として政治的性格を賦与されたことが知られる。
2.炭素・窒素同位体分析による食性復元
さて近年、人骨のコラーゲンにおける炭素と窒素の同位体を測定することで、古代人の食性に迫ろうという研究が注目されている。陸上生態系には、炭素安定同位体13Cを比較的多く含む植物(C4植物)と、あまり含まない植物(C3植物)とが存在するため、地球上の炭素の大半を占める12Cとの相体比を測定することにより、植物性食糧の大まかな摂取傾向をつかむことが可能となる。また窒素においても、14Nと15Nの同位体比を測定することで、重い同位体比が多い海産物をどれだけ摂取していたかを知ることができる。
本発表では、まず、上記の方法を用い、ペルー北高地カハマルカ盆地周辺の形成期(前1500~前50年)遺跡から出土した人骨試料を解析することで、とくにタンパク質源から見た食性の通時的変化をまとめることにした。なお対象地域における在来のC4植物は、トウモロコシが唯一といってよい。分析の結果、ペルー北高地では、形成期の後期以降に、C4植物であるトウモロコシの利用が開始されることが明らかになった。
3.結語
こうした形成期末におけるトウモロコシの利用方法については、出土する土器の器形分析から、酒の利用が想定されている。また形成期の末には、遺跡の分布パターンや祭祀センターの建築軸の変更など、あきらかに対象社会(カハマルカ盆地)と外部社会(盆地外)との間の社会的関係が生じていることもすでに検証されている。おそらく、トウモロコシ農耕やラクダ科動物の飼育化の導入、あるいは気候変動によって生じたのであろう。
先述の現代、あるいはインカ期におけるトウモロコシの利用形態を適用するならば、形成期末の社会変化の中で、集団間の緊張関係が高まり、集団同士の関係を維持、強化するための饗宴などでチチャが振る舞われた可能性が指摘できるのである。

【↑】

B03生態資源(印東)班2003年度第1回研究会(03/06/13)
国家の作物としてのトウモロコシ
-ワリ社会の土器の図像分析によるアプローチ-
土井正樹(総合研究大学院大学院生)

単なる食料として以上の意味を付与された作物として、先史中央アンデス地域(現在のペルー国を中心とする地域)において、紀元後600年から900年にかけて栄えたワリ社会におけるトウモロコシを挙げることができる。ワリ社会の土器に表現された栽培植物図像の分析した結果、以下のことが判明した。ワリ社会が栄えた時期の前半には、ワリ社会の中心地で栽培される様々な作物が比較的具体的に表現される一方で、想像的図像と共に様式化されたトウモロコシの果穂の図像が見られる。その後半では、具象的な作物図像は姿を消し、この様式化されたトウモロコシの果穂の図像が中心となる。
トウモロコシは、後の「インカ帝国」では政治的に重要な役割を果たしていた。また、ワリ社会が栄えた時期の前半から後半にかけて、トウモロコシ生産が拡大されたことを示す考古学的証拠がある。したがって、ワリ社会の土器にみられる図像の変化は、トウモロコシがワリ社会において政治的に重要視される様になっていったことと連動していると考えられる。


A03小生産物(小川)班2003年度第2回研究会(03/06/07)
バサリ社会(セネガル)外からくるもの→内におけるもの
-ある祭りの報告を中心に-
山田 重周 (東京外国語大学大学院)

本発表では、「ナベを返す」という名前の、ものの交換をその重要な一部として持つ祭りの報告を中心に、セネガルにおいて地理的、社会的に辺境に位置するバサリ社会で、外からくるものがどのように意味を付与され、内で受容されているのかを簡単に検討した。
「証人seda」が行う演説の中で、コップとシャツは、バサリ社会の、もはや現実とは対応しない、「狩人としての男」という理念の中に位置付けられて、語られていた。
さらに、コップとシャツの語られ方の微妙な差を検討することによって、コップは、内が外に依存していかなければならなくなっている現状において、この「内」と「外」の区別を確保するための触媒として、意味付けられているのではないかと結論した。
また、このような祭りでは、親族、地区、年齢、性別などのバサリ社会において重要な差異のシステムが顕在化することから、外からくるものは、バサリ社会の構造を変化させるのではなくて、強化、強調する機会を与えていると述べた。
だが、同時に30年程前に行われていた、「ヒョウタンの容器を返す」実践とは、ものの交換を行うアクターが変化してきており、バサリ社会において、この祭りが始まったとされる18~24年程前から、人と人との結びつきのあり方が変化してきており、それに伴ってものの分配経路もかわってきているのではないかと推測した。
本発表は、ただ一つの「演説」テクストの分析をもとになされたものであって、上で述べたような仮説的な論点を確認するためにも、今後、同様の祭りにおいてなされる演説のテクストを録音し、検討する必要があると思われる。

03.06.07@AA研


A03小生産物(小川)班2003年度第2回研究会(03/06/07)
「セネガルの食の周辺 ― 食に関わる小生産物」
小川 了(東京外国語大学AA研)

 本報告ではセネガル都市部住民の食のあり方の特質と、その周辺事項について考察した。
まず、アフリカ全般の食文化の特質を3点挙げた。それらを列挙すると、(1)主食と副食が一体になっていること。(2)アフリカでは、「食べる」とは「飲む」ことである点について。(3)そして、アフリカでの食事は「熱く」なければならない、ということである。それぞれについて根拠と理由を説明した。(1)については、アジアでの食が一般に主食とをよりおいしく、かつよりたくさん食べさせるものとして「おかず」が存在することは知られている。アフリカにおいても主食が存在するのは確かだが、「おかず」と別にあるのではなく、主食とおかずが一体化している点に特質がある。(2)これはアフリカの食のもっとも特徴的なことで、料理の道具(臼と杵)と強く関連している。また、飲む行為こそ[文化]と認識されていることを述べた。(3)についても同様で、「熱い」ことが[文化]の領域として認識されていることと関連している。
 次いで、セネガルの都市住民の食について考察した。(1)米を大変好むが、この米そのものに特色がある。破砕されていること、それは油の絡まりをよくし、「飲み込み」安くしてもいる。(2)調味料が豊かであること。その中でも発酵食品が重要であることを指摘した。(3)さらに食と道具の関係を見ると、ナイフはあるもののまな板はなく、食品は宙で切られる。アフリカにおいて最重要の道具は臼と杵であり、これで食品を破砕する。つまり、「噛む」行為は臼と杵ですでになされており、人は「飲み込む」だけでよいのである。また、鍋については自動車エンジン部のアルミを溶かして鍋を作る工程を現地調査に基づくスライド等で紹介した。(4)最後に、セネガル都市民の食の特質として輸入食材に頼る度合いが大きいこと、グローバル化の中でセネガル食文化が貧困化する恐れがあること、現地産のアルミ鍋(厚手)が今後も重要であり続けること、そして燃料の非効率的な使用が目立ち、環境への負荷が大きいことを指摘した。


文化資源(山下)班第4回研究会(03/05/31)
資源・集団・知識に関する理論的メモランダム
渡邊 日日 (東京大学)

資源という術語の日常的・学問的用法を振り返ると,一方に,資源は稀少とし,その有効利用が問われる議論があり,他方に,明確な目的の為に創り出したり発見したりできるものとする議論がある。いずれにしても,社会的行為者が意識的・合目的に,外的環境のなかに見出し,活用するものとしての資源像は共通している。資源とは,行為者と環境との相互作用の中で,行為者が行為にあたって意識的に措定した対象である
問題は,人間の行為が意識的で合目的性を伴ったものとは限らない,或いはそう前提視することが出来ないという点にある。本報告はこの点を,SHIROKOGOROFFとBARTHのエスニシティ論を例に検討した。
両者の議論は,エスニシティ形成・維持の過程を重視し,エスニック統合の状態を認めつつもそれを一時的とみなし,環境に於けるニッチの探索を社会変動の誘因として考察した点で同一である。だが,SHIROKOGOROFFの議論で行為主体は受動的な集団であるのに対し,BARTHのそれでは演技する戦略主義的個人であるという差異も認められる。興味深いのは,両者とも環境と行為主体との関係が現代の我々の目にはかなり自由なものとして想定されている点である。だが,成熟した現代の国民国家という政体の包摂性を無視することは不可能である。
そこで今後の研究プログラムとして,①現代世界に於いて環境は如何に縁取られるか(世界を環境として捉える視座は状況的である),②資源の在処として対象化する時,環境と対象化する行為主体との関係は如何に変容するか,③行為者にとって何が環境であり,何が環境でないかに関する行為者間の偏差,行為者の意識の度合いは如何ほどか,という問いが立てられる。

文化資源(山下)班第4回研究会(03/05/31)
文化資源と文化資本
森山 工(東京大学)

本発表では、ブルデュー社会学における「文化資本」概念を概観しつつ、それが「文化資源」概念とどのような関連をもつのか、あるいはどのような関連をもたせることができるのかを検討した。
ブルデューは「文化資本」を、身体化された相、客体化された相、制度化された相の三つの側面において概念化することにより、「ハビトゥス」、「再生産」、「差異化=卓越化」といった諸概念と連動する一つの理論的なマトリクスを構築するとともに、これを「経済資本」概念との対比に置くことで、階級分析に関する理論的なマトリクスを構築している。そこに看取されるのは、「文化資本」が「再生産」の過程で自己回帰的に循環を繰り返すプロセスであり、そうであるがゆえに、「文化資本」を考える上では、その形成と継承に費やされるべき時間のファクターが重要な意味をもつ。
これに対して、既存の何らかの文化要素を「資源」として活用・動員し、アイデンティティ・ポリティクスに供するという営為を「文化の資源化」と捉えるとするならば、そこにおいては、既存の文化要素がことさらな言及対象とされることにより、その要素の「引用」、すなわち「カッコ入れ」という現象が生じる。その「カッコ入れ」はまた、当該文化要素の位置移動(物理的な位置移動、たとえば博物館に収蔵されるといったような、がある一方で、意味場における位置移動、すなわち「資源化」されることによって生ずる意味の変容や、それによって付与される新たな意味、がある)とも相即的である。そして、このような「カッコ入れ」の効果の一つが、当該要素を時間的なプロセスから切り離すということであり、当該要素に超時間的なアスペクトを付与するということである。
本発表では、以上のような見通しを踏まえつつ、「文化」と「資源」とのかかわりについて若干の予備的な考察を提供した。


A03小生産物(小川)班2003年度第1回研究会(03/04/12)
経済学的見地からの小商品
児玉谷史朗(一橋大学)

 本発表では主に経済学が資源や小商品をどのように見てきたかを簡単に紹介した。経済学でいう資源とは狭義では天然資源であるが、広義には生産要素であり、経済的に必要な労働、資本、天然資源をさす。
次に小商品との関連でインフォーマルセクターの定義を取り上げた。インフォーマルセクター研究には小規模生産者についての研究という側面も含まれる。初期のILOのケニア調査報告書におけるインフォーマルセクターの規定のうち、生産への参入と市場の性格、小規模、家族経営、労働集約的、現地資源の利用が小規模生産と関連している。
小商品の生産は非資本主義経済と結びついているので、経済学が非市場経済(非資本主義経済)をどのように捉えてきたのかを紹介した。二重経済論では近代経済(市場経済)と伝統経済(非市場経済)に分割し、伝統経済では非合理的な行動が支配的と考えた。1970年代になると二重経済論は、従属論と新古典派経済学の双方から批判された。新古典派は「合理的な農民像」を提示し、途上国においても農民は経済合理的に行動していると主張した。1980年代には、新制度学派が盛んになり、途上国では市場が存在しても効率的な取引が行われるとは限らないし、また市場メカニズムと異なる取引形態にも合理性があることに注目した。
最後に「社会関係資本」social capitalの議論を簡単に紹介した。社会関係資本は、ネットワーク、信頼、規範等を資本と捉え、その形成、蓄積が経済発展に寄与すると考える。近年資本や資源を広く捉えようとする傾向があり、物的、資金的なものだけでなく、人的(教育、訓練による能力)、社会関係的なものが注目されるようになってきたのである。


文化資源(山下)班第3回研究会(03/02/22)
文化資源としての「国家ブランド」の形成
岡本真佐子
政策研究大学院

 国家の「ブランド」イメージは、これまでの政治や外交において重視されてきた「地政学」や「軍事力」に代わる重要な「戦略的資本(strategic capital)」になりつつある。しかし、「国家のブランド化」は情報化やグローバル化を条件として生じている現象であり、ブランド化する主体としての「国家」も、ブランド化される客体としての「国家」も、概念、領域、境界というあらゆる面で変容する中で進行している。また国家の内外の境界が曖昧になっている中では、これまで国際関係論や外交論が扱ってきたように「対外的」な局面でのみ「ブランド化」が生じているとは考えられず、ブランド化は国の内外という区別を超えた一続きの、全体的変化のプロセスだと考えられる。
 イギリスの「対外文化機関」を対象とした調査からは、「国家のブランド化」が変容しつつある「『国家』の再想像」に関わる問題であり、国内における「アイデンティティー再考」とも密接に連動しながら生じているプロセスであることが伺える。「対外文化機関」は「国家、市民社会、企業」を横断する新たな「公的存在」として、組織の性格や活動方針を変化させながら、国内で再検討された新たな「国家イメージ」の内容を発信し、体現している。新たなアイデンティティーに基づいた「イメージ」は、それが当該社会の「変化しつつある現実」に適合しつつ将来の変化の方向を包括的に示せるときに力をもち、またグローバルな課題にその国がどのように関わろうとしているかを説得力のある形で示す「物語」を作り上げることで、国家の「ブランド」の確立につながる。このような「国家のブランド化」は、グローバル社会における「メンバーシップ」の獲得という文脈において、国家がその「社会的アイデンティティー」を変容させていこうとする動きとしても解釈することができるかもしれない。

文化資源(山下)班第3回研究会(03/02/22)
資源としてのアニミズム・シャーマニズム
─サーミの<文化><芸術>─
葛野浩昭
聖心女子大学

 北欧諸国の先住少数民族サーミが自らの生存を確かなものとするためには、自分たち自身に向けてと同時に外部の人々に向けても、サーミ<文化>、サーミ<芸術>なるものを実践し示す必要がある。<文化kultur><芸術daidda>はもともとサーミの間にあった言葉・概念ではなく外部からの借用であるが、このような借用語・概念に寄り添って実践され発信される<文化><芸術>なるもの、それはまさしく「資源」として意識化されたものとも言える。この発表では、近年、サーミの間でも、また、国際的にも注目を集めている、以下の①~⑥の6組7人のサーミ芸術家の作品を具体的に紹介し、これら作品の中に過剰なまでに表現されたアニミズム・シャーマニズム的世界観を確認する。すなわち、(1)ヨイク歌手:①Valkeapää 1991 Beaivi, Áhčážan(太陽、私の父親)」; 1994 Nu Guhkkin Dat Mii Lahka(遠くて近いもの)、②Aŋŋel Nieiddat(Ursula & Tuuni Länsman姉妹) 1992 Dolla(炎); 1995 Skeaikit(笑い声)、(2)小説家:③Paltto  1986 Voijaa Minun Poroni(ああ、僕のトナカイ)」、(3)手工芸作家: ④LAITI サーミナイフ等、(4)画家: ⑤Ranttila Beaivi Bárdni(太陽の息子)等、(5)映画監督: ⑥Gaup 1987 Ofelaš(導く者)。
参考文献:GASKI, Harald(ed.) 1997 Sami Culture in a New Era: The Norwegian Sami Experience, Karasjok(Norway): Davvi Girji OS. ;葛野浩昭 2001「アニミズム・シャーマニズム世界の復権:北欧の先住少数民族サーミ人の文芸の現在」聖心女子大学キリスト教文化研究所(編)『宗教文学の可能性』春秋社。


A04貨幣資源(春日)班2002年度第2回研究会(03/02/01日))
「頼母子講における貨幣―カメルーン、バミレケ都市移住民の事例」
野元美佐(名古屋大学COE研究員)

 本発表は、カメルーン経済を握るとされるエスニック・グループ「バミレケ」が活発に行っている金融制度「頼母子講(講、無尽)」を、貨幣に着目して考察したものである。バミレケは、露天商から大企業家まで、銀行がたちならぶ都市においても頼母子講を行っている。これまで、バミレケの頼母子講の活発さは、銀行へのアクセスの難しさや資金創出など経済的理由から説明されてきたが、それ以外の理由もある。
首都ヤウンデにおいて、同村出身者たちが集まる同郷者組織では、頼母子講が欠かせない活動とされている。同郷者組織の活動は複数あり、頼母子講よりも、葬礼参加や保険制度など、都市における同郷者の相互扶助がメインである。しかしそこに頼母子講が欠かせないのは、それが人を集会に向かわせるからである。頼母子講の支払いのため、集会に人がやって来る。つまり、相互扶助は頼母子講によって支えられているのである。
 しかしより重要なことは、頼母子講が貨幣の意味を変えるということである。ほとんどの同郷者組織では頼母子講参加は義務である。頼母子講参加を強いることは、カネを稼ぐことを強いることと同じである。つまりカネを稼ぐという「個人的行為」を、頼母子講にリンクすることにより「集団的行為」へと変化させている。それによって、貨幣も、個人的で利己的な貨幣から、集団的資源としての貨幣へと意味を変える。なぜなら、頼母子講は贈与交換であるとひとびとが認識しているからである。贈与交換が「善」である限り、贈与交換である頼母子講に参加することも善であり、頼母子講のためにカネを稼ぐことも善となり、そこに持ち寄られる貨幣も善となる。アフリカでは平等化の圧力が強く、資本蓄積が難しいとされるが、バミレケは頼母子講を介すことでカネを稼ぐことを正当化し、資本蓄積の場を保証している。これが、人びとが頼母子講を好む理由であると考える。

A04貨幣資源(春日)班2002年度第2回研究会(03/02/01日)
「『カネと人生』で扱いきれなかった諸側面―キプシギスを中心に」
小馬 徹(神奈川大学)

 市場経済は、需要・供給による価格形成メカニズムという形式的(formative)な論理(と自己調整機能)を社会に押しつけて支配し、変化させる。昨今の情報資本主義の貨幣自体を商品とした投機的な取引の総額は既に取引額の千倍を超え、個人や国家どころか、地球という生命体の命運そのものを牛耳りつつある。その利潤極大化原則は、人々の暮らしの現実を夾雑物として切り捨てて省みない。ここに地球大の死活の問題がある。
 他方人類学は、人間と共同団体を維持・再生産する全体的社会交換である「埋め込まれた経済」の現在に、またその論理に劣らず暮らしや心理の細部に深い関心を抱いてきた。
 16世紀以来の人類史は、地球上の無数の「埋め込まれた経済」を単一の「分離した経済」に組み込んだ。ただ、それは一方的な埋没ではなく、二つの経済を接合して今を生き継ぐ過程だった。純粋な資本の論理が夾雑物として排除する暮らしの現場はまさにそこであり、貨幣は剰余を指向する抽象的な資本の論理ではなく、個々の歴史が育んだ固有の文化的構築物であるカネとして実に多彩な姿を現す。上掲書はその委細を吟味している。
 同書は、狩猟採集、牧畜、農耕を生業とする小集団や複合的伝統社会のみならず、情報化社会の正負両極端に位置する証券トレーダーと都市の無宿者にとってのカネも取り上げて、接合の形態と深度の変異に留意しつつ、可能な限り包括的な視野を確保した。だが「プラス利子」の論理の多様な変異の考察に止まり、「マイナス利子」や「ゼロ利子」の論理と世界を対象化できなかった。たとえば、日本の商店街の地域通貨が実は資本の論理を補完している現実を考察し、それを乗り越える展望も示すことができたと思う。
 消費にも焦点を当てたかった。剰余と消費を鍵概念とする「貧乏臭い」暮らしを自ら脱却して、「豊かに貧乏」する思想が日本にも芽生えた事実が興味深い。暮らしのあらゆる場面で「考える」ことを取戻し、貧しくとも(料理などを)「作る(創る)」喜びから、日本の現実を(一方的に無視することなく)流用しつつ深く相対化する動きである。


A03小生産物(小川)班2002年度第2回研究会(03/01/27)
炭焼きとウバメガシ
-備長炭生産にみる山林の利用と商品価値の変化-
吉村郊子(国立歴史民俗博物館)

 燃料革命をさかいに日本では木炭生産者の数や生産量が激減したが、最近では海外からの炭の輸入量が増えるとともに、炭の用途や商品価値も大きく変化してきた。本報告では、和歌山県の備長炭生産地を例に、山林の利用・管理の実態を明らかにするとともに、炭を焼く人びとに焦点をあてて、彼らがどのようにして消費者のニーズに対応し、また、炭焼きという生業をつづけてきたのかを紹介した。
和歌山県の備長炭生産地では、1960年ごろまではさまざまな樹木が炭の原木として利用されていたが、燃料革命以降、消費者が質のよい炭を求めるようになると、炭焼きは直径4~8センチメートルのウバメガシを選択的に焼くようになった。その際、人びとは「ヌキギリ」や「バイタテ」という二種類の択伐と皆伐という異なる伐採方法の組みあわせを工夫して、必要なウバメガシを多く含む植生を人為的につくりだし、管理してきたのである。こうした管理は、薪炭林にかかわる人びとの日常生活における関係や、「よい炭焼き」という強固な価値観の共有によって成りたっていると考えられる。
また、炭焼きの多くは60歳以上のベテランであったが、彼らの多くが燃料革命を機に、親方にやとわれて炭を焼く「焼き子」から自身が経営者となって炭を焼く「自営」へと転身していた。こうした経営形態の変化は、一見、危機的な状況にも思われた燃料革命を逆に好機としてとらえ生かした結果といえるだろう。なかには、燃料革命を待たずにいち早く自営の炭焼きとして特化していった者もおり、一方では、梅栽培という新たな生業を導入しながら、炭焼きを兼業してきた者、いったんは炭を焼くことをやめて他の仕事についたが後にふたたび炭を焼きに戻ってきた者などもいた。このように、木炭の商品価値が変わるなかで炭を焼く人自身もまた、それぞれに炭焼きとしてのあり方を大きく変化させてきたのである。

【↑】


B04身体資源(菅原)班2002年度第2回研究会(03/01/11)
語りえないものについて語る
-カナダ・イヌイトの狩猟の物語にみる状況に埋め込まれた知識-
大村敬一(研究分担者、大阪大学言語文化部)

 この発表では、発表者がこれまでにカナダのヌナヴト準州(Nunavut Territory)のクガールク(Kugaaruk)村でカナダ・イヌイトのイヌイト・カオイマヤトカンギト(Inuit Qaujimajatuqangit:イヌイトの伝統的な知識)について行ってきた調査の概要とその成果を報告するとともに、今後の調査の方針について発表を行った。
筆者はこれまでに、イヌイトの人々の民族地理学的知識、ナヴィゲーションの技術、動植物分類をはじめとする野生生物に関する知識など、極北人類学においてイヌイトの「伝統的な生態学的知識」(TEK)と呼ばれてきた知識について調査を行い、そうしたイヌイトの知識と近代科学的な知識の比較を行うとともに、イヌイトの知識を科学的な知識と協調させながら、野生生物の管理をはじめとする環境管理に効果的に活用するための方法について考察してきた。そして、ミシェル・ド・セルトーが提示した「戦略」と「戦術」という実践様式の区別を参照しながら,次のような仮説を提示してきた。すなわち、「科学的な生態学的知識」が「戦略」のイデオロギーによって駆動されているのとは対照的に、イヌイトの伝統的な知識は「戦術」のイデオロギーによって駆動されており、この二つが共同管理の現場でうまく両立しないのは、それぞれの知識を方向付けているイデオロギーが、正反対の方向を向いているからなのではないかという仮説である。そして、このようにイヌイトの「伝統的な生態学的知識」と「科学的な生態学的知識」を基礎づけているイデオロギーが正反対を志向している以上、この二つの種類の知識と信念と実践の体系を統合することは原理上不可能であり、この両者を無理に統合するのではなく、この両者を共存させながら使い分けてゆくためのシステムをこそ、考えてゆかなければならないのではないかという問題提起を行ってきた。
そして、今後は、以上のようなこれまでの調査の成果に基づいて、「戦術」のイデオロギーに駆動されているイヌイトの知識をさらに詳細に明らかにし、その知識を環境管理に有効に利用するための方法を具体的に考えてゆくことを目標とし、その目標を達成するにあたっては、近年、心理学で提唱されている「状況認知」論が重要なヒントを与えてくれるのではないかという見通しをもっていることを示した。

B04身体資源(菅原)班2002年度第2回研究会(03/01/11)
動物・植物・人間(身体)
-相互交渉としての自然・人間関係-
寺嶋秀明(研究分担者、神戸学院大学人文学部)

 人間と自然は連続なのか,あるいは対立したものなのか。その関係はいかなるものか。これは多くの宗教や哲学が取り上げている,人間存在のもっとも根元的な問題の一つである。この発表は,従来の人間中心的自然観ではなく,自然中心的人間観とでもいうべきものを探索するための一つのアプローチである。人間の身体もそのような自然・人間観の中に位置づけられるべきである。
 従来のエスノサイエンス的アプローチでは,「自然はどのように分類されるか」という分類主義的観点か,「自然はどのように利用されるか」という功利主義的観点からの探求がなされるのが通例であった。これらは,自然と人間との関係を,「人間にとっての自然」という人間中心主義的な観点から探求することを意味している。このようなアプローチは,もちろん誤りというのではないが,人間と自然との関係のすべてをつくすとはとうていいえない。
 自然の分類や自然の利用の前には,自然と人間とのすり合わせという位相があるはずであり,そのすり合わせの結果,その生物の価値が生まれ,認知が形成されるのである。それは動物の場合でも,植物の場合でも同じである。動物に比べると植物は静的で沈黙した存在であり,とても人間と相互交渉をもつようには想像できないが,近年の研究では,人間と野生植物との関係には,思いの外「植物からのアクション」と「人間の認知・反応」の回路が存在することが明らかになってきた。
 この発表ではアフリカ熱帯雨林の焼畑農耕民であるレガ族の植物に関わることわざを吟味することによって,植物と人間との相互関係を探ろうとした。その結果,レガ族の植物ことわざは,まさに植物の存在・挙動と人間の感性とのすり合わせ的関係の言語的表現であり,植物と人間とが相互交渉するものであるという見解を支持する一つの論拠を提供すると考えられる。


文化資源(山下)班第2回研究会(03/01/11)
State, Market, and Self in the Construction and Contestation of Cultural Resources
Gordon Mathews
The Chinese University of Hong Kong

 This paper focuses on two dominant forces in the world today in the construction and contestation, mobilization and manipulation of cultural resources: those of the state and of the market. The state has as its underlying discursive premise the idea that one must cherish and defend one’s particular culture (this corresponds to the older anthropological conception of culture as “the way of life of a people”). The market has as its underlying discursive premise the idea that one may buy, do and be anything in the world that one chooses (this corresponds to a more recent conception of culture as “the information and identities available from the global cultural supermarket”). State and market utilize these concepts in discursive competition, in seeking to mobilize cultural resources in areas of contemporary policy from religion to mass media to education to language, as this paper discusses. The concluding sections of the paper explore the discursive competition of state and market in the micro-world of self in its interactions. The competing discourses of state and market may be apparent in such routine choices as what television programs to watch and what foods to eat for dinner, as well as what language to speak to foreigners and how to react to one’s national anthem: this is where the state’s and market’s mobilization of cultural resources becomes the stuff of our daily lives.

文化資源(山下)班第2回研究会(03/01/11)
Appropriation and Marketing of Local Cultural Resources in Korea: A Case Study
Okpyo Moon
Academy of Korean Studies

 The purpose of this paper is to analyze the dynamics involved in the production of local culture in contemporary Korea with a specific reference to the case of Hahoe Village in the southeastern part of Korea. The paper traces three different ideological stages in the production of Hahoe culture starting from the early 1970s when the village was recreated as a hometown of Confucian tradition as part of Park Chung-hi's search for ideological ground for social integration and legitimacy. In the 1980s, the village was re-invented by university students and anti-establishment movement leaders as a 'country of resistance' for which the reconstructed Hahoe Mask Dance that had been the art of the lowly people in the past served as an important political symbol. Since the early the 1990, however, Hahoe has begun to be transformed rapidly as a national tourist resort, a process that has witnessed an overall commodification of the local culture with no distinct ideological orientation. The case offers us a useful empirical case in which one can observe how the diverse forces -- the state, the civil forces, the market, and the people (residents) ? interact with each other in the production and manipulation of the local culture at specific political and historical contexts. From the fact that the residents themselves have been constantly alienated from the political and economic appropriation of the local culture, the case also raises an important question regarding the ownership of cultural traditions.***

文化資源(山下)班第2回研究会(03/01/11)
Planning the Local Museum:
Art and Anthropology in the Post-modern Era
Sachiko Kubota
Hiroshima University

 In this paper I will focus on the background and consequences of discussions about the plan to build local museums in Arnhem Land, in order to understand why one such plan in the Aboriginal township of Galiwin'ku has not been realized. Through this study, discrepancies between the image of art in the outside world and painting/art in the area of my research have become clear. Painting in the study area, especially bark paintings, have a unique style and are nationally famous. Arnhem Land works are now well known internationally as 'Aboriginal Art'. At the same time, the paintings retain their local religious and social function in the context of local rituals and ceremonies. The local creation of painting is not art created for arts sake although people do distinguish between rough and fine paintings. The fact that Europeans now collect these paintings for their aesthetic value does enhance their value and has influential the nature of some paintings modified for sale. The plan to create a local museum to exhibit bark paintings as aesthetic objects has created controversy in the area. Particularly because it ignores the difference between Western and local concepts concerning exhibiting or showing of knowledge. Thus various multifarious issues were raised in the discussions concerning a local museum. Here, while analyzing the discussions and their circumstances, I focus on differences in the standpoints on art/painting between Western and Aboriginal societies. I also show how the value of Aboriginal peoples is changing and being re-negotiated in the contemporary situation.


A03小生産物(小川)班2002年度第1回研究会(02/12/05)
「鍛造技術と鉄製農具から見た日本の近代」
香月洋一郎(神奈川大学・教授)

 「小生産物の流通と消費」班では、今後の当班の研究活動のあり方について、理論的な展望を得る意味で、第一回の研究会に日本民俗学の領域で目覚しい成果を挙げておられる神奈川大学香月教授にお話いただいた。
 香月教授は日本民俗学の泰斗宮本常一の高弟として知られる。『日本文化の形成』、あるいは『山に棲む』といった著作からも氏の活動の一端がうかがえよう。
 研究会においては、鉄製農具を中心にお話いただいた。ある普遍的なものが地平を覆うのが近代の特質であるとすると、工場生産物ではないものがいかに人々の生活を支えてきたのか、それらが地域間でいかに伝播し、互いに作用しあってきたかといったお話をうかがうことができた。
 香月教授のお話をうかがっていると、モノと人との関わりの切実さを実感させられた。モノは文書をサポートするだけではなく、モノにはモノ独自の世界があり、集めるだけ集めるとモノが語りだす世界があるといったお話などに実感があった。
 近代化の過程で農具にも普遍性が広がるが、その過程で地域差が生まれてくる。土壌の違い、人々の仕事の仕方の違い、そういったものが農具に地域差を作っていく。
 近代産業は必ずしも小生産物を滅ぼすわけではなく、使い方のよさが職人の腕をあげていく面がある。
 現代のわれわれの生活において、職人芸に属するような小生産物がどう展開していくのか、そういった問題に多くの示唆を得られるお話であった。(文責:小川)


B04身体資源(菅原)班2002年度第1回研究会(02/11/30)
身体知としての狩猟
-グイの男たちの語りから-
菅原和孝(研究代表者、京都大学大学院人間・環境学研究科)

南部アフリカのボツワナ共和国中央部に位置する中央カラハリ動物保護区に住んできたグイ・ブッシュマンの狩猟について報告する。グイの伝統的な猟法は、毒矢を用いた弓矢猟、はね罠猟、鉄鉤のついた竿を用いるトビウサギ猟の3種であったが、1979年より始まった政府主導の定住化以降は、集団騎馬猟、犬を使う追いかけ猟もよく行なわれるようになった。
まず、既出版論文の到達点をまとめる。田中二郎は「[人が]食べるもの」「咬むもの」「役立たずなもの」という三つの民俗分類カテゴリーを摘出したが、中川裕は言語学的な分析を用いてこの見解を修正し、「肉(食べる)」と「害をなす(咬む)」という独立した二軸を基本骨格とし、「役立たずなもの」を各象限における残余カテゴリーとする分類の論理を明らかにした。本発表では、この中川の見解に「生活形」名や他の実用的カテゴリーを重ね合わせたモデルを提示し、それに基づいて、グイの肉食回避と肉食タブーの概略を示す。ついで、民族鳥類学的な知見を紹介し、精密な観察に基づく経験的な知識と、神話やジンクスを包含する象徴的な知識が実践のなかで分かちがたく統合されていることを明らかにする。とくに、動物の形態や行動に見られる異常が回顧的に「人の死」と結びつけられる<ズィウ>という概念について論じる。こうした分析を総合して、予見的/回顧的志向および直示的/遠隔的認知という二本の軸によって構造化されるグイの認知空間モデルを提示する。
発表の後半では「身体資源」という視座からグイの狩猟経験を捉え直すために、年長の男たちのライフストーリーを分析する。とくに、猟の成功を曖昧にほのめかしたり、空間距離を語りの場での対象指示によって現出させたりする、独特な修辞的方策を明らかにする。さらに、獲物との闘争や、さまざまな危険との遭遇にも注目し、そこで活性化される知識、信念、社会関係の様態を明らかにする。この分析は、予備的なものであり、今後、さらに資料を集積することにより、狩猟者の身体知が構築され伝承される過程を浮き彫りにすることができるだろう。

B04身体資源(菅原)班2002年度第1回研究会(02/11/30)
病因はどのように納得されていくのか
-ラダックのシャマンと患者との対話から-
山田孝子(研究分担者、京都大学大学院人間・環境学研究科)

西チベットのラダックにおいて、病気の治療は、州営の病院や個人クリニックの西洋医のみならず、チベット医学を実践する伝統的な医師アムチやシャマンなどによっても担われる現状にある。ここでは、シャマンによる治療を取り上げ、病因が患者に納得されていくプロセスを考察し、シャマンの治療が代替医療として存続する背景を探ることにしたい。
ラダックにおいて、シャマンはラバ(男性)、ラモ(女性)と呼ばれるが、いずれも霊の憑依による病いを経験したのち、ラー(神霊)の憑依を会得し、修業を経てシャマンとしての役割を担うようになっている。村人には、治療儀礼においてシャマンはラーそのものになると信じられている。ラーとなったシャマンは、訪れた患者に対し病因を明らかにし、汚れの除去、熱したナイフを用いての火による浄化を施す。
ラーとなったシャマンの語る言葉はチベット語であるとされ、治療儀礼の場にはシャマンの発する言葉を説明する介添え役が必ず参加する。このため、シャマンと患者との対話は、厳密にはシャマン、介添え役、患者の3者による発話の連鎖ということになる。そこでは、シャマンは患者の身体的不調の訴えのいずれに対しても超自然的な原因を示唆し、その対処として、「薬師如来の経を唱えれば、(病は)良くなる」「(亡くなった)僧侶達とギャポ(鬼神)たちに、よく経を唱え、供物 を供えろ」「サダック(地の神)を災難から解放する経をなんどもなんども繰り返せ」などと、実施すべき儀礼を指示する。また、医師やアムチに薬をもらうことを指示することもある。 
シャマンの治療儀礼は、身体の不調そのものの症状を和らげるための処理とその背後にある超自然的原因除去のための指示とで成り立つ。ラダックにおいて、病因は二つの異なる次元で捉えられ、ラーとなったシャマンの超自然的力に対する信仰によって、開示された病因は納得され、病気に対する村人の不安が解消されることとなっている。村人は病院での治療を受ける一方、超自然的病因の開示を求めてシャマンを訪れることが分かる。


A02知識資源(ダニエルス)班2002年度第2回研究会(02/11/27)
「高度情報化社会」における「知の共有」の諸問題
水谷雅彦(京都大学文学研究科)

 「知的所有権」は民法上の概念である所有権という枠組みでは考えられない特殊な性格をもつ。所有するといっても「知」に関しては、それ自体としては可触な形をもたず、かつそれを使用する際に占有する必要がない。つまり、私のもっている知や情報を誰かが使用したとしても、私のもっているものがなくなったり減ったりすることはなく、単線的流通を経ることなく広範に使用可能となるのである。こうした特徴をもつ財は「公共財」と呼ばれる。この公共財としての情報という表現は、排他的な占有という意味での私的所有という考え方が、この財には基本的にはあてはまらないことを意味している。しかし、この基本的特長は、市場経済においてはフリーライダーの存在を可能とするため、結果として知的生産を行う者がやる気をなくすことになれば、文化の発展は阻害される。そこで、著作者に何らかの排他的権利を与えることで文化の振興を促進する装置が必要となる。そこで考えだされたのが、知や情報を物と類似したものとみなすことによって、一部所有権と類似した権利を法的に定めるというのが著作権という考え方である。よって、「文化の発展」が始めにあって、「知的所有権」とは法律的にはこの大前提の枠内で擬似的、便宜的に設定されたものにすぎないのである。本発表は、こうしたことを「研究業績」やデータベースをめぐって情報の「共有」の倫理を論じるなかで、興味深い様々な論点が浮かび上がらせた。ここでは剽窃をめぐるパラドックスから具体的にみておく。学術論文執筆の目的は「真理の追究」であり、可能なかぎり多くの人に読んでもらい、当該領域の学問的発展に寄与したいからであるはずである。したがって、剽窃が悪徳であるのは、他人の権利を侵害するからではなく、努力なしに他人の努力にフリーライドする点に求められる。ここに、知の所有ということに関して「努力」という基準に曖昧さを伴う別の評価の尺度が持ち込まれることになる。剽窃は真理の追究のためには何ら悪徳ではないが、剽窃者が失敗するのは、剽窃が発覚することで「他人の努力」を横取りしたとしてアカデミズムという競争社会から放逐されるからである。本報告は「業績表」に象徴されるアカデミズムの「業績主義」、すなわち「知」を個人の所有物として単純に捉え、数量化しようとする発想に対して、「研究業績」自体のもつ重層性、曖昧性を指摘することで警告を発している。(文責:西井凉子)


貨幣資源班研究会2002年度第1回研究会(02/11/18)
小牧幸代
イスラームにおける象徴資源としての聖遺物
- pricelessな「もの」の流通をめぐって-

 イスラームにおいては理念上、神の言葉であるクルアーンや預言者ムハンマドの言行録ハディース(「正真」とされるハディースのみ)に代表される抽象的で多義的な解釈の幅をもつ言葉こそが信仰の中心とされる。しかし、実際には預言者とその家族ならびに聖者として崇敬される人々、そして彼らが遺した子孫や遺品といった具体的で可視的な人や物もまた熱狂的な信仰の対象となっている。本報告では後者のうち、便宜的に「聖遺物」と翻訳できるもの、すなわちイスラームにおける象徴資源に焦点をあて、イスラームの普及(世界各地におけるムスリム支配政権の確立)に伴うそれらの流通過程・経路について考える。
 イスラームの聖遺物は、ムスリム共同体(ウンマ)の指導者のシンボルとして--在地のムスリム支配政権の場合は、その部分であることを表明するためのシンボルとして--所有または分有され、各種の典礼や儀礼で重用されてきた。「イスラーム潮流」が趨勢となった今日でも、一部の地域を除いて、聖遺物はなおも現在あるいは過去のムスリム支配のシンボルとして利用され続けている。たとえば、イスタンブールのトプカプ宮殿の聖遺物コレクション、アフガニスタンの旧ターリバーン政権による預言者の外套の利用、そして本報告で取り上げるパキスタン、パンジャーブ州政府との関わりが深いラホールのバードシャーヒー・マスジドの聖遺物コレクションなどは、その代表例とみなすことができるだろう。
 今回は、パキスタンとインドを中心に、現代南アジアにおけるイスラームの聖遺物の来歴をめぐる言説を紹介し、寄進・略奪・盗難・売買・相続といった王朝間・世代間などでの聖遺物の流通過程・経路に関する事例分析を試みることにしたい。


文化資源(山下)班第1回研究会(02/11/10)
日本型エコツーリズムへ
堂下 恵
東京大学大学院総合文化研究科(博士課程)

 観光の研究はまだ歴史が浅く、観光が人類学のテーマとして積極的に取り上げられるようになったのは1974年のアメリカ人類学シンポジウム以降、日本では観光人類学研究プロジェクトが始まる1980年代末以降である。環境との連関にしても、観光による環境問題の認識が浸透し始めるのは1970年代、観光と環境の議論が急速に発展するのは1990年代である。なお、この議論の背景には欧米の環境主義運動があり、観光における自然志向は環境保護の活発化と切り離すことはできない。また、エコツーリズムの名の下に環境破壊の当事者である先進国の人々が「壊されていない自然」を求めて発展途上国を旅行している事実も無視できず、さらに、エコツーリズムの対象は欧米の「自然」と「文化」を明確に区別する考えに基づいた、人間社会と乖離した生態学的「自然」が一般的であり、文化・社会的背景によって「自然」の捉え方が異なる点はあまり考慮されていない。しかし、このような考えを何処にでも当てはめることは不適当であり、日本も例外ではない。近年、再考されている日本人の自然観を考慮すると日本人にとっての「自然」には粗野な自然と手を加えて加工した自然があって、日本人の愛すべき「自然」は審美的に加工された自然であり且つ加工する過程が重要であるようだ。また、日本の植生をみてみると、約7割が人の手の入った、人の生活と共存する「自然」であることがわかり、エコツーリズムにおける「自然」とは質が違う。このように、日本の「自然」は欧米の考える「自然」とは異なるのでこれからは地域特性を考えて「日本型エコツーリズム」を探究する事が大切であろう。その研究対象としては、個人的には資源供給から環境保全まで様々な機能を有し、歴史・風土・文化が生き続ける中山間地域「里山」が興味深い。なお、日本型エコツーリズムの模索は日本のみならず様々な地域の特色を生かした新しい観光実践に役立つと思われる。

文化資源(山下)班第1回研究会(02/11/10)
ふるさと文化再興事業と近代日本の「文化」政策
岩本通弥
東京大学大学院総合文化研究科

 2001年度から文化庁の正規事業となった「ふるさと文化再興事業」と、それに至った近代日本の文化政策について通観し、日本における「文化」の資源化をめぐる二つの理念の対立を素描する。ふるさと文化再興事業とは、簡単にいうなら、地域固有財としての伝統的な祭りを復活・活性化させる施策である。この政策が誕生する背景には、1990年代以降のグローバル化に伴う「文化」概念の流用・拡大があり、その1つに1992年に加入した世界遺産条約とその影響、2つ目にWTO体制下の農業政策の「文化」政策化、その結果、3番目に農業の多面的機能の象徴として、ある文化要素を表象化し、フォークロリズムを媒介させてナショナリズムを喚起する保守思想の潜在を指摘できる。1は従前の日本の文化財保護制度へのグローバル・スタンダードの導入であり、2はWTOとの関係性を補足すれば、1995年のウルグアイ・ラウンドにより、従来の助成金中心の日本農政が根底的転換を迫られ、1999年に農業基本法を38年ぶりに改定する(食糧・農業・農村基本法)。その第三条で農村の「多面的機能」の発揮が謳われるが、それと連関するのがふるさと文化再興事業であり、農村や農業を「日本文化の核」と賞揚することで、農村への補助を文化政策として堅持する一方、その象徴としての棚田などが見出されていく。こうした日本政府の文化政策は、日露戦後の地方改良運動以降一貫して続く、内務省系の「文化」の資源化であり、すなわち郷土愛を涵養することで、愛国心の醸成と接合させながら地方振興を図るもので、第二次大戦中の大政翼賛会の地方文化運動でも、東北文化といった領域的な地方文化を創造したが、ある文化要素を切り取り、日本や地方あるいは郷土・行政村といった領域に、固有のものとして、直接的に領域(空間)に措定する文化論であって、これを批判し体系化されたのが、対象自体に価値を付与しない柳田国男の民俗学であったといえる。


 

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